気持ちが、悪い。いや、悪いなんてものではなかった。
夢、であればいいとすがる様に見た先には、広がる海、海、空、なんて言う…どこまでも続く青のグラデーション。
なんの冗談だか、視界一面は等しく青で塗りつぶされていた。
船が波に揺られる度に、ザザンっと聞こえてくる波の音は偽物とは思えず。否応(いやおう)なく突きつけられた現実に、緊張からか口許がひくりと動めいた。

「ちょっと…あんた大丈夫?」

おかしすぎる状況について行けず、話しかけてくる女性の声がぼんやりとしか聞こえない。
血の気が波に拐われるかのように引いていく。途端、ざざんっと船体が大きく揺られて空と海の境界線が太陽の光で曖昧に映った。それをきっかけに、春は思わず口許を押さえた。
競り上がる胃液。立ちはだかる“時間”と言う恐怖に震えが止まらなかった。
かたかたと小刻みに震え出した春を前に、驚いたのか狼狽えているのか判断のつかない声が回りを囲っている。
だがそんなものはどうだってよかった。戻れないかもしれない事実。
戻れたとして、何時になるのかも不確かで。1日、1週間、1ヶ月?その時、現実世界でははたして何日が経過しているのか。最悪の場合、浦島太郎伝説を地で行くことになるだろう。
ぞっとする内容に全身の皮膚が泡立つ感覚。思考が、精神がついていかない。
寒くもないのに、春は自分の両肩を抱き締めた。
そこへ響いた、間延びした声。

「おおーい。みんなー」

春以外の一同の視線が、声のした方を向く。春も二呼吸ほど遅れて虚ろに視線を動かした。
視界の先。がちゃがちゃとした何かが蠢いていた。
已然恐怖に震える思考の為、一瞬それが何かは解らなかった。ただ大きな体躯にアンバランスな小さな足が生えていると思ったそれは、アンテナやら鉄パイプやら数多くの部品が取り付けられた荷のようで、あまりに荷が大きいため持ち手の視界が塞がり、足が生えているように錯覚したに過ぎなかった。
視界を荷で遮られているせいか足取りはよたよたとふらつき気味だ。よっこいしょっと古い掛け声と共に近場に下ろされた物体は、春の記憶する限り、現代社会のとある電化製品を彷彿とさせるフォルムをしていた。

「ふぃー」

いやー重かった重かった、とジェスチャーするように肩を叩きながら現れたのはウソップだった。
工作が得意な彼は、自身の必殺武器でもあるパチンコに、過去にはナミの愛用武器でもあるステッキ(?)や大食いの船員用に自分の食事は自分で調達しろとばりに釣具まで作り、確か小型ボートまで作成したように思う。
持ち前の器用さを活かし、船大工でもないのにメリー号の修理をもこなす彼は、不本意かもしれないが実質メンテナンス係りの座にいる。
ワンピースの発刊巻数は既に七十巻を越え、春も全部ではないがそれなりに巻数を揃えている。
だが極度のマニアという訳でもない為、初期の彼が手掛けた細かな作品まで正確に覚えている訳もない。が、彼が手掛けたであろう目の前の物体は、それでなくとも原作のどのシーンにも登場した事はなかったはずだ。
メイン部分であろう正面の四角く黒い画面には、縁をなぞる様配置された継ぎ接ぎだらけの配線にアンテナ、どこをどうしてそうなったのか釣具やら凧糸、お玉にしゃもじに槍の穂先とエトセトラエトセトラ…がやたらと複雑に、しかし一定のバランスを保ちつつ設計されていた。
実はこれ、春の住む現代社会において、非常に酷似したものがある。大きさで言えば32インチ。一般家庭で多く見られるサイズの、配線テレビだった。そう、テレビ。言い直してTV。
見間違いなどではない。紛れもなくそれは、“TV”だった。
春は息を飲んだ。ウソップがTVを作った。そんな話は知らないと。
もしかしたら、作者の没案設定なのかもしれない。とも思ったが、単なるイレギュラーの可能性も否定できなかった。…そもそも春が居ること事態がイレギュラーだ。
では、なぜこんなにも焦っているのか。
それは、原作にはない物を作ることがイレギュラーだとして、ひょっとしたらここは、原作の世界ではない可能性もありえるんじゃないか?と言う疑問…少なからず、ありえないなんてことはありえなかった。
何よりトリップをした先が原作沿いであると、いったい誰が言えるのだろう。何を基準に、何の定義があって、原作沿いだと決められる。
トリップの定番で言えば、原作をなぞり、危険や危機を回避しつつ友情や親愛を深め、本来死ぬ予定の人を助けたり助けられたりしながら話を綴っていくのが常である。
だが自分が飛んだ先の世界が、未来が、決められたストーリーをなぞる。そんな、ご都合主義。はたしてありえるのだろうか。
仮に、原作沿いではないとしよう。
百歩譲ってもまかりなりにも彼らは海賊だ。しかも主人公枠。何をしなくても危険の方からやって来る。
そんな中に一般人でもある自分が、先読み?(原作)の力もなくして生き残れるかと問われれば、結果は実に芳(かんば)しくない。恐ろしいまでの死亡フラグの乱立性に呻きが漏れる。

「…え?」

もはや絶望しかない。そう思った時、それは起こった。
TVと同じフォルムの黒い画面。一瞬ノイズ混じりで映った光景は、何故だか見慣れた洋室のそれ。一瞬しか映し出されなかった為、自宅の映像かは解らない。春以外気付いた者はいないのか、聞こえてくる声は穏やかだ。ただ、誘われるままに近づいた。
手を、指を伸ばして黒い画面に触れようと………した瞬間の事。

「きゃあ!!」

自分のものではない甲高い悲鳴。同時に襲い来た派手な衝突音と複数の衝撃に、皆の驚きが響き渡った。

「何!!」
「何だ何だ!うわっ?!とと…」

ドゴォン!とけたたましい音が鳴り響き、突如船体全体が大きく揺れた。船が揺れて波が荒くなり、水飛沫が頭上を覆う。衝撃で足がもつれて、体が前のめりにつんのめった。倒れそうな体を支えようと床に手をつくが、そこへ更に大きな衝撃が襲いきて、気づいたときには春の体は横殴りに飛ばされていた。

「あ…!」

何、が起きたのか。
飛ばされた衝撃で足を腕を強(したた)かに打ち付けたようで痛みが走る。血は出てはいない。起き上がろうとした所にまた衝撃。波が激しくうねり、船が不規則な起動を描き揺れ動く。
甲板に爪を立てて必死に衝撃をやり過ごそうと試みるが、予測のつかない波の動きに変に舵を取られているのか、船が安定を失っている。

気持ち、悪い

前後左右に揺さぶられ、酷い揺れに生理的な吐き気が込み上げた。涙で曇る視界を必死に開けたら、目の前には、黒い画面。

「!?」

波で甲板の位置が上がったり下がったりを繰り返している。春のいる位置はTVよりも随分と低い。TVの置いてある甲板が勢いよく上に上がったことでスピードをつけたらしい黒いそれ。滑るように近づいてくるTVを避けるまもなく、春は襲い来る衝撃に目を瞑った。

聞こえた「敵襲だ!!」の言葉を最後に、春の意識はとぷりと途絶えたーーー。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -