暖かな温もりを与えてくる男の肢体。露骨な意図等含まれていない両の手は、確かめる様に背中へと回されている。微(かす)かなコロンの香りが、ふんわりと春の身体を包んでいた。
柑橘系ではない。フローラルとも違う。だが何処と無く落ち着かせる様な香立ちが男から薫(かお)っていた。
だからなのか、母や父、弟や友達とする抱擁とは違い、男に抱(いだ)かれている温もりは甘く感じた。身じろぎも出来ない程抱き止められていると言うのに、息苦しさは皆無だった。


………えーと


―――男の腕(かいな)の中、春は盛大に今の状況に混乱していた。
手には先程配達員から受け取ったゴルフボールの入った小包が握られている。それが、夢だと思いたかった状況に現実と言うリアリティを伝えてきた。
また、来てしまった。
現実の様な非現実。夢の様な夢の世界。恐らくこんな世界に来たがる輩は老若男女問わず山のようにいるだろうに、何故、自分なのかと思考回路は実に客観的だ。
あり得ないなんてありえない。
数年前に連載が終了した、月間少年誌の敵役の名台詞が出る程には、春は直向(ひたむ)きに現実逃避しそうになる思考と戦っていた。
そもそも何故男は自身を抱(だ)いているのか。彼のキャラ設定上で言えば下心等のやましい心持ちも否定できないのだが、春はされるがままだった。

「あ、あの〜」

―――それも時間が二桁に迫ろうかともすれば、流石に声をかけずにはいられなかった。自身の声掛けによりようやっと抱擁から解放された春は、よくよく男の顔を窺(うかが)った。
均整のとれた顔立ち。誰もが羨むさらさらブロンドヘアーにぐるぐる眉毛。あ、目も金色なんだ。と以前来た時には直視しなかった故に抱いた感想は、実に凡人のそれだった。

「ごめんごめん、あれから君がいなくなったから、心配になって探してたんだ」
「え、あの…」

探して、いた?その言葉に春は違和感を覚えずにはいられなかった。こちらに最初に跳んだ日を、春は忘れてはいない。忌まわしいとまではいかないが、所謂カルチャーショックを受けただけに記憶は鮮明だ。
五日前のあの日。誘拐事件として処理を受けたとは言え、被害者の立場だろうと警察のご厄介になったのは覆しようもない事実である。中学生には堪えるものがあったのだ。そうそう忘れる訳もない。

「わ、私が消えてたってどう言う…」

事ですか、と問うと男は酷く不思議なものを見る目付きになった。
なんだなんだ、なんなんだ。

「君がトイレに行ってから…あれから十二時間経ってる」

んだけど、と言う男の言葉が理解できなかった。言葉を反芻(はんすう)するが理性が及ばない。十二時間。やけにリアルな数字だった。
最初にこちらに来たのは五日前。来たと言っても居たのは1時間にも満たっていない。なのにあれから“十二時間”しか“経っていない”事実に胸騒ぎがした。
忘れもしないあの日。昼過ぎの最初の授業からこちらへと強制的に足を踏み入れてから僅か1時間足らず。奇跡的にトイレを介して現実世界に戻ってこれた時には、確かに空は昼間学校から覗いた群青から茜色へと移り変わっていた。つまり、だ。
時間の経過に大幅なズレがある―――。
春は前身を戦慄かせた。現実の世界では五日経っているのに、こちらの世界では半日しか経っていないのならば、丸一日も居たらどうなるのか…。それが解らない程、春は非現実的な状況から目を逸らしてはいなかった。

「わ、私…帰らなきゃ」

理解が及んだ途端、想像した未来に鳥肌が立った。自然と声が震えていく。
どうして、どのように、どうやって。
あちらとこちらを行き来しているかも解らないのに、なんていう時限爆弾を抱えたのだろう。帰れる確証の無い焦燥感。追いたてられた現状は最悪だった。
時限爆弾ならぬ時間爆弾。脳裏で浦島太郎物語が展開されていく。
…笑い事じゃなかった。
もし帰る方法が解らずに1月(ひとつき)も帰れなかった場合、果たして、どれだけの月日が現実世界で流れるのか………考えてゾッとした。
慌て出す春を前に男は困惑気味だった。

「帰るっていったって…」

何処へ?
その一言が春に追い討ちを掛けた。男の制止の声も聞こえぬままに、見える扉を片っ端から開けていく。だが続く道はどれもこれもが船内で、見慣れた空間の代わりに見覚えの無い室内ばかりが広がっていた。
心臓がやけにけたたましい音を鳴らしている。

これも、これも、これもなの!

開ける扉全てが現実世界と繋がっていない事実に冷や汗が止まらない。目ぼしい扉は全て開けたと言うのに、どれもこれもが知らない部屋ばかりに直結している。競り上がる恐怖感に身体の震えが止まらなかった。

「お…おい君!」

最後の扉を開けた瞬間、先程まで抱き合っていた男に肩を捕まれた。








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