良い夢見てた気がするぞ
テンゾウの家の窓は建て付けが少し悪い。
窓枠が少し歪んでいて、鍵が掛かっていても木の枝を僅かな隙間に差し込めば開いてしまう。
おかげで俺はいつも大した苦労も無くおうちに上がらせてもらえている。
今日もまた、道すがら手頃な枝を拾って辿り着いたテンゾウの家。
テンゾウはいつも玄関から入ればいいと言ってくれるけど、俺がテンゾウに会いに来ようと思う時間帯には決まってテンゾウは夢の中だ。
それならば起きてる時間に会いに来てと言われると、今度はそんな時間に会いに来たいとは思えないと答える羽目になってしまう。
そうすると少し落ち込んだ顔をして「僕はいつでも逢いたくてたまらないのに」と言うから、いつも、ふと会いたいと思いつく真夜中にお邪魔することになる。
結局はそういう風に出来ているんだ。
「さて、と」
見上げた窓に飛び付いて、いつもの隙間に枝を差し込む。
毎回同じ場所にしか枝を使わないせいで、そこだけガラスが傷ついてしまった。
カコンと軽い音がして、鍵がずれた。
建て付けが悪いわりにはスムーズに開く窓が俺はいつもおかしくてたまらなくて、だからこそ窓から入るのが止められなかったりする。
「おじゃましまーす…」
いそいそと窓枠を跨いで部屋に上がり込んで部屋の中を見回した。
ベッドで眠るテンゾウと、植物だらけの静かな部屋。
いつもと変わらない室内にホッと肩の力を抜いた自分に少し驚く。
ベッドに歩み寄って横たわる体を見下ろした。
身体を冷やすなと何度言っても上半身は裸で眠るテンゾウの剥き出しの肩をそっと指先で撫でて耳元で名前を囁く。
「テーンゾ」
ほとんど反射に近い速さで肩に置かれた手を掴んだテンゾウが低く呻いてうっすらと目を開いた。
「せ、んぱ…どう……?」
「星がきれいだから、会いにきちゃった」
途切れ途切れに訊いてくるから先ほど見上げた夜空を思い出して言ってみた。
寝ぼけたテンゾウはふにゃりと笑ってまたすぐに寝息を立てる。
掴まれたままの手が時々にぎにぎと動いて指が絡められたから起きているのかとも思ったけど、幸せそうに緩んだままの口元からは規則正しい呼吸しか聞こえない。
「子供みたいだ」
よしよしと空いた手で頭を撫でる。
前に一度目覚めの悪さを指摘した時、確かテンゾウは「先輩の傍にいると気が抜ける仕組みなんです」とケロッと言ってのけた。
今もやはり油断しきった顔で眠っている。
「う〜ん…いいな、」
あまりに幸せそうだから、つられて自分まで眠たくなってきた。
なるほど、世の中は上手い具合に出来ている。
俺の傍で気を抜くテンゾウと、テンゾウの気の抜けた表情で眠たくなる俺。
つまり、今は一緒に寝るしかないってことだ。
いそいそと布団を捲って、ちょうど一人分空けられたスペースに寝転ぶ。
テンゾウの身体の隣で丸くなって目を閉じるとまたしても反射的な速さ、絶妙なタイミングで寝返りをうった。
眠る時には絶対に枕の下に腕を突っ込むテンゾウが、頭の下に腕を差し入れてくる。
反対の腕が身体にのって、気付けばすっぽりと腕の中だ。
「すごいな、お前…」
寝ているにも関わらず見事に俺が求めた位置関係を作ってみせるテンゾウにちょっとばかり感心して、その暖かさにいよいよ抗えなくなった。
結局何をしにここに来たのか、目的を果たさないまま気分よく眠りについた。
枕元でこれでもかというくらいけたたましく目覚ましが鳴っている。
(何だか良い夢を見ていた気がする…)
意識の遠いところへ消えた夢が惜しく、このタイミングで起きなければならないのが悔しい。
時計を止めてしまおうと腕を伸ばそうとした。
ところが上げたはずの右腕はズシリと鉛がのったように動かず、しょうがないから夢の続きを諦めて目を開く。
途端、視界いっぱいに先輩の寝顔が飛び込んできて言葉を失う。
頭上では脳を揺さぶるほどの大音量でベルが騒いでいるというのに、先輩は瞼一つ動かさない。
「カカシ先輩…?」
何でそんなにと訊きたくなるような穏やかな顔で眠る先輩の名を呼ぶと、ピクリと睫毛が震えて眉間に皺が寄った。
今鳴っている目覚ましは僕じゃなくて先輩が起きる時間に合わせてある様で、この音で起きる必要があるのは僕ではなく先輩の方だ。
それなのに気を抜いた表情でスヤスヤと眠り、起こそうとすれば不機嫌そうに顔を顰める。
先輩の寝起きの悪さはなかなかのものだ。
「起きないと遅刻ですよ」
言いながら、何となく眉間に口付けた。
起きてほしいけど、幸せそうな寝顔に戻ってほしい。
正反対の願いを込めてのキスで想いが届いたのか、深く刻まれた皺が消えた。
まだ起きたくないとでも言うようにもぞもぞと僕の身体を撫で回してギュッとしがみついてくる。
まるで、母親に甘える子供みたいだ。
そんなことを思った時に、ゆっくりと先輩の瞼が上がった。
何度か瞬きを繰り返してイマイチ状況が把握できていなさそうな表情で僕を見る。
「おはようございます」
「……ああ、おはよ」
どうやら何かに思い当たったようで、うんうんと頷いて挨拶が返ってきた。
「目覚まし、止めて良いですか?」
「そろそろ止まるでしょ」
チラリと枕元を見て、またすぐに視線は僕に戻る。
先輩が僅かにでも動くたびに髪の毛が身体を擽るから僕としては出来ればじっとしているか、早く起きて欲しかった。
それなのにこんな時に限って先輩は離れていく素振りなど微塵も見せず、むしろ収まりどころを探そうとピッタリ寄り添ってくる。
「今日はどうして?」
「寝る前に教えたでしょ」
先輩が寝る前なんて、僕はとっくに寝てましたよね…?
そう言い返そうとしたけれど、口を開く直前で先ほど見ていた夢を思い出した。
「星がきれいだったから…?」
「何だ、覚えてるんじゃない」
「合ってましたか」
夢の中の先輩はそう言って妖艶に笑ってから夜這いにきたよと囁いたけれど、現実は単純に僕の布団に潜り込んだだけのようだ。
「で、本当は何をしに?」
「俺がウソ吐いてるみたいな言い方やめてよ」
「嘘じゃないにしても、それだけじゃないでしょう?」
いたずらに鎖骨に吸い付く先輩を引き剥がしながら問い掛けると楽しそうに肩を揺らして「お祝いしたくて」と言った。
なおも伸ばした舌で僕の素肌を翻弄しようとするのを阻止するために髪の毛を引く。
ゆっくりと手で梳くとやっと体の力を抜いて向き合ってくれた。
「今日って何かの記念日でしたっけ?」
「まぁ、ある意味」
落ち着いたと思ったのに突然腕の中からゴロリと抜け出た先輩は、身体を起こして「う〜ん…!」と大きく伸びをする。
いつの間にか静かになった時計を見ると最初に目覚ましが鳴ってから10分も経っていた。
「本当に遅刻しますよ?」
「大丈夫。今日はゆとりがあるんだ」
いつもだったら出発時間の15分前に目覚ましをセットするのに、今日は30分前に合わせたと言う。
「今日が記念日だからですか?」
「そう、特別な日だから」
伸びの姿勢から上げたままだった腕を勢いよく下ろして布団を叩かれた。
分厚い布越しとはいえ、先輩のパンチはかなり重たい。
胸を押さえて呻くと「その胸の痛みが恋患いってヤツだよ」と笑いながら言った。
「何を…」
「テンゾウ君は今日が何の日か知ってる?」
「正直に言うと心当たりが全くないんですが…」
「ま、そうだよね」
怒られるかなぁと顔色を窺いながら言ったのにアッサリと流されて会話が途切れる。
よっこいせとやる気のないかけ声で僕の上に跨って、もったいぶるように口を開いた。
「今日は俺が決めたテンゾウの日」
「……ボクの日?」
「そう。俺さ、絶対テンゾウの誕生日は今日だと思ってたんだよ。しかもけっこう長年疑うことなく信じ切ってたわけ」
眠たいせいか、少しぼんやりした顔でのんびりと喋る先輩。
時々両手で布団を揉むような仕草を見せながら話は続く。
「そもそも何で10月3日に生まれなかったの?」
「そ、れは……僕にはどうしようもない話では…」
「まぁね、そうなんだけどね。でも納得いかない」
おかしなわがままを言って上から下りた先輩の腕を引くと素直に腕の中に収まった。
「先輩もヤマトって呼んでくれたらいいんですよ。そうすれば8月10日で納得できるでしょう?」
「やだよ、俺はテンゾウの方が好き」
ヤマトなんてカッコ良すぎる。
そう拗ねたように呟いて僕の腹の上に“の”の字を書くもんだからくすぐったくて仕方がない。
やめて、くすぐったいと身を捩ればより一層楽しげに口角を上げて指先が素肌の上を踊った。
「せんぱ…も、何なんですか…?」
「俺さぁ、これから任務なんだよね。二週間の」
「ええ、」
「せっかくのテンゾウデーなのに一緒にいられない」
「はあ…」
「ごめんね?」
指先はピタリと僕の心臓の上で止まる。
少し力を込められるだけでドクドクと鼓動に合わせて先輩の指が上下するのが自分にもわかった。
「緊張?期待?それとも不安?」
いつもより速い鼓動の理由を問われ、ちょっと考えてから期待だと答えた。
「なにしたいの?」
「引っ張り倒してメチャクチャに」
「んー…ちょっと時間が足りないかもね」
困った顔で僕を見て、それからグッと身体を屈めた先輩はゆっくりと僕の身体の真ん中を臍から首まで舐め上げる。
生暖かく濡れていく感触にゾワリと鳥肌が立った瞬間、静かに唇が重なった。
本当に、ただ触れるだけのキス。
「セックスは帰ってからでイイ?」
「帰ってくる日はボクの日じゃないですけど、それでも抱かせてくれます?」
「今、我慢できるならね」
僕よりも我慢が出来なさそうな顔をした先輩が額にもう一度口付けを落として今度こそ離れていった。
「今日は僕のコトを考えて過ごしてくださいね」
「テンゾウの日だから?」
起き上がって首を縦に振る。
ゴキゴキと首や肩を鳴らして窓枠に足を掛けた先輩はボソリと何かを呟いて、外に出てから「またね〜」と伸びた声を残していった。
「夢、かな…」
先輩の舐めた腹の肉を摘んで引っ張ったらヒリヒリと痛む。
夢でないなら、聞き間違いかもしれない。
『それじゃあ毎日テンゾウの日だね』
なんて。
うん、先輩に限ってそんなことは言うはずがない。
いそいそと布団に入り直す。
さっきの夢の続きが見られますように、と心の中で願って、枕の下に腕を突っ込んだ。
09/10/03