幼稚な罠
「俺ね、彼女が出来たんだ。」
そう打ち明ける瞬間の、不安というか緊張というか…何と位置付けていいかわからないドキドキ感を、カカシは間違いなく楽しんでいた。
向かいに座った男の、ほんの僅かな反応さえも見逃さないようにしっかりと見つめながら、胸が高鳴るのを抑えられなかった。
動揺するか、それとも悲しそうな顔をするか。
ワクワクしながら見つめていたのに、目の前の男から得られたのは
「そうか」
たった一言。
(面白くないな…)
それが正直な感想。
どうでもいいフリをしているのか、本当にどうでもいいのか。
彼の感情を読み取れなくて苛々する。
だから、意地を張った。投げやりな言葉を発した。
半ば自暴自棄になりながら、可愛い子なんだ、今度紹介するねとだけ言って席を立った。
彼に――アスマに恋人が出来たのは、それから一週間後の事だった。
「こんなはずじゃ、なかったんだ…」
親指の爪をかじりながら、カカシは呟く。
自らの行動に後悔している人間がそうであるように、カカシもまたあの時ああしていれば、これから先どうしようかと考え込んでいた。
あれ以来、何度か女を連れて歩いているアスマを見かけた。
同じくらい、女を連れて歩いているところをアスマに見られた。
その度に引きつる様な痛みを発する胸の奥と、思っても無い事ばかり言う口先と。
(もう、ウンザリだ……)
上辺だけで付き合ってきた恋人に別れを告げて、長期任務を入れてくれるように頼んだ。
2ヶ月。
それだけあれば、アスマへの感情も利用した女への罪悪感も消えるだろう。
「どうした、さすがのはたけカカシも5人に囲まれたらお手上げか?」
下卑た笑みを浮かべた男を睨み上げながら、必死に今の状況から抜け出す術を考えた。
他里の暗部が5人、自らの周りを囲んでいる。
武器はある。が、チャクラが足りない。
この場から瞬身で逃げたとしても、それまで。逃げ切る事はできないだろう。
「参ったね…」
今の任務についてから、どうも投げやりな考え方しかしてなかった。
別に任務で死ぬのも悪くないかな、そんな事まで考えた。
しかし、今はマズい。
単独任務で自分が死ねば、写輪眼の情報が他国に漏れる事になる。
それだけは何としても避けなければならない。
「ねぇ、勘弁してよ。」
「ははっ!面白い奴だな。」
ニヤリと笑った男が、クナイの切っ先をこちらに向ける。
「願ってもないチャンスだ。おかげでタップリ報酬が貰えそうだよ。」
首に刃先が食い込む。僅かに血液が伝う感触。
「…とりあえず、逃げるわ」
男の腕に力が籠もると同時に印を切った。
先ほどの場所からはそう離れていない洞窟の中。
今は気配を消して時が過ぎるのを待つしかない。
(まぁ待ったトコで結果は同じ?)
敵の手に掛かる前に、自らの体を燃やしてしまうくらいしか、写輪眼の情報を守る術は無い。
(火遁、いけるかな…)
チャクラが足りないかもしれない。
ほんの少しだけ休んで、全身のチャクラを絞り出そう。
そう決めた途端に、入り口のすぐ近くに人の気配を感じた。
(ちょっと待ってよ…)
まだ、駄目だ。
印を切るどころか、腕を動かす事さえできない。
里の為に、この体は消してしまわないといけないのに。
ザッ…ザッ…
逆光を浴びた人影が、入り口に見えた。
自分がいる場所までは光が届いていないから、まだ相手には自分は見えていないはずだ。
(一か八か、やるしかないか…!)
ギシギシと痛む関節を無理に動かして、両手を組んだ。
敵が一歩、また一歩と近付いてくる。
印を組み終わるのと、敵の手が自らに触れたのは同時だった。
掌に熱を感じ、目の前が真っ暗になった。
背中に痛みを感じて、瞳を開いた。いや、開いたつもりだった。
ところが辺りは暗いままで、何も視界に飛び込んではこない。
(俺、死んだのかな…)
何も見えないし、聞こえない。体の感覚も無い。
「…あっ……」
声が出た。
感覚が無いなんて気のせいだ。掌が、熱い。
「気が付いたか?」
急に聴覚も戻って、聞き覚えのある声が流れ込んでくる。
「良かった。あんまり動かないもんだから死んだかと思った」
この声…
「ちょっと待てよ。今、包帯取るから」
左手に触れていた温もりが消えて、代わりに頭に触れる大きな掌。
布の擦れる音がして不意に視界が白く染まった。
「眩しっ…」
目の奥がズキズキして、瞼を開けていられない。
「久しぶりの日光だもんな」
まだ見る事はできないけど、すぐ傍にいるのはわかる。
「アスマ、何で……」
声しか聞こえなくても、間違えるはずがない。
ずっと、ずっと追い続けてきた、愛しくてたまらない声。
「お前の帰りが予定より遅れるなんて珍しいだろ?心配だから行ってこいって言われたんだ」
チャクラ切れなんて、火影の言うとおりじゃねぇか。
アスマが笑いながら言う。
「だって俺、体力無くて…」
「知ってるさ。なのに何で長期任務なんか入れんだよ」
長期任務の中でも、今回の任務は明らかに体力勝負な内容だった。
それを知った上で、限界まで自分を追い込みたくてわざと選んだ。
「だって…」
だってアスマが……
言えるはずのない言葉の続きを飲み込んで、何かちょうどいい理由はないかと考えた。
が、頭がボンヤリとしていて、何も思い浮かばない。
「大丈夫か?」
不意に黙り込んだ自分を、心配そうに覗き込んでくる。
「ああ、うん。何か、まだダルいんだ」
「そっか。ゆっくり休んでて良いからな」
里にはもう知らせてあるから、と上着を掛けられた。
「…敵は?」
「放置プレイ」
「え!!?」
「冗談だよ。お前の代わりにちゃんとやっといたから」
「ありがと…」
軽い冗談なんだから引っかかるなよと笑うアスマ。
その笑顔を見て、自分が2ヶ月前とちっとも変わってない事を悟った。
「そういえばさ、俺、どれくらい意識無かった?」
ふと気になって訊いてみると、たぶん5日ぐらいと返ってきた。
「へ〜……って5日!?そんなっ…早く帰んなきゃ!!」
「うん?別に大丈夫だろ。連絡したんだから」
「そうじゃなくて…」
「あ、あれか?彼女が心配してるからとか言うんだろ」
グシャグシャと髪をかき混ぜられて、当てつけかよと呟いたのが聞こえた。
しばらく言葉の意味を考えてから問い返す。
「アスマだって帰りを待っててくれる可愛い子がいるじゃない」
言いながらも、胸が痛む。
「残念ながらいないんだよ。ココ来る前に振られた」
「え?何…」
「『アナタは私の事なんて見てくれてない!』だってさ」
女の声音を真似てか、幾分高いトーンで言ってから苦笑いを漏らす。
「まぁ自業自得ってやつか…」
「?」
「や、女って妙に勘が働くよなって」
自嘲気味に呟くアスマの言葉が理解出来ない。
寝呆けてるわけでもないんだけど……
「もうちょっとわかりやすく言ってくれない?」
そう言うと、アスマがここに来るまでに起こった出来事を話してくれた。
予定日を過ぎても俺が帰ってない事を知って心配になった事。
自分が確かめにいくと名乗り出た事。
それを、彼女が必死に止めようとした事。
「何でアスマの彼女が止めようとするの?」
「俺がいっつもお前の事しか考えてないからだと」
「……………え?」
今行かせたら、あなたは本当にあの人のものになってしまう。
アスマの彼女はそう言ったらしい。
「だから行かないでって言われたんだが……やっぱそういうわけにもいかないだろ?」
心配でどうしようもなかったんだから。
だって。
俺、やっぱり寝呆けてるのかな…
「アスマ、お願いだからわかりやすく……」
「まぁ要するに俺の気持ちがカカシにしか向いてないから別れようって事らしいぜ?ったく、やってらんねえよな」
「いや、あの……え?」
サラリと言い放たれたのは、告白ととれなくもないセリフ。
「ちょっと待ってよ…アスマって、そうなの?」
「そうって?」
「だから、その…俺の事……?」
こんな事を本人に面と向かって言うのもなんだけど、今の話を聞く限りでは、少しは自惚れても良さそうな内容だった。
「ああ?何言ってんだ今更。知ってたんじゃないのか?」
知らなかったと言えば嘘になる。
多少なりとも、自分の事を意識してくれてるのは知っていた。
だからこそ、自分は彼女が出来たなどと子供じみた鎌を掛けてアスマの気持ちを確かめようとしたのだから。
「それなら、何で……どうしてあの時言ってくれなかったの?」
俺があんなくだらない事をした時に。すぐに言ってくれれば……言わないにしても、少しでも態度に出していてくれたら…
「何でって…カッコわりぃだろ?お前に彼女が出来たくらいで慌てんの」
「アスマまで、女の子と付き合い始めちゃうし…」
「だってアイツしつけぇんだもん」
だもんってアンタ…
上に掛けてもらっていた上着を握りながら、下唇を噛む。
しつこくしただけで付き合えるなら、俺だって最初から…
「俺はカカシの事が好きだって言ってんのに、それでもいいって言ったんだぜ?なのに私を見てくれてないなんて言われても困るよな」
あまりにも簡単に好きだと告げるその唇が、何故だか憎くてたまらない。
「あの時言ってくれれば…」
自ら仕掛けた幼稚な罠を悔やむ事も、自分を好きだと言ってくれた女の子を傷つけた罪悪感に苛まれる事も無かったのに。
「俺だって、アスマが好きなのに…!」
自分勝手な言い分だとわかってる。
アスマが考えてる事を顔に出さない事ぐらい知っていたんだから、あんな事しなければ良かったんだ。
「好きなのにって……お前、彼女は?」
「別れたよ。何もかも忘れて、サッパリしたくてこの任務に就いたのに…」
「あ、そう…へぇ、別れたのか…そりゃあ残念だったな」
明らかにニヤけた口元を手のひらで覆いながら呟いたアスマに、完璧な逆ギレだとわかっていながらも右手で胸ぐらを掴んだ。
「残念なの…?」
「ん?」
「俺の事が好きだって言ったくせに、俺が別れたのを残念だと思うの!?」
「おい、右手使うな」
「俺の質問に答えて!!」
理由なんて知らないけど、右手が痛い。よく見たら包帯まで巻いてあるじゃないか。
失敗した。左手にしとけば良かった。
でも、今はそれどころじゃない。今度こそ、求めている答えを目の前で聞かせてもらおう。
「嬉しいに決まってんだろ…」
ポツリと一言。
「俺、ハッキリ言ってもらわないとわかんないから…」
「だから嬉しいって…」
「好き嫌いも、喜怒哀楽も。ハッキリ言ってもらわないと全然わかんないんだ」
「……?」
「それでいて、自分は言葉濁すし…今回みたいに遠回しに試す様な事もたくさんするかもしれない」
「ああ」
「それでも、良い?」
やっぱり手のひらが痛い。
久しぶりに起き上がったせいか、目眩も酷いし今にも倒れそう。
心音も、どうしようもなくウルサい。
「ワガママで意地っ張りで、それなのに必死で強がって……全然良いところなんて無いかもしれないけど、それでも良い?」
今だって不安でたまらないのに平気な表情作ってアスマを捕まえてる。ホントに可愛げのない人間。
訊きながら自分自身に呆れてため息を吐くと、シャツを捻り上げていた右手首を掴まれた。
振り解かれる……そう思った瞬間、右手は優しく外されて、代わりに全身が温もりに包まれた。
「病み上がりなんだから無理すんなよ」
「アスマ…」
はぐらかさないで答えを頂戴。
「ワガママ言われても聴いてやんねぇから」
「え…?」
「意地っ張りなんて可愛げ無くて嫌だな」
「うん……」
「ちょっとずつ、変わってく努力でもしてみるか」
「!?」
「俺も、カッコ悪いとか考えてないでハッキリ言うようにするから。お前もちょっとは素直になれ」
左手はしっかりアスマの背中に回して。
右手は少し宙をさまよわせる。
それでもアスマの温もりはたっぷりと伝わってきて。
なんだか少し、泣きそうになった。
「アスマ、もっとカンタンな言葉で言って…?」
「ワガママな奴」
「いいから…」
「これからもヨロシク」
「なんか違う…」
「ぞっこんらぶ?」
「そういうのはガイのセリフ……」
「愛してるぜベイベー」
「あすまぁ…」
次から次へとよくもまぁ面白い言葉ばっかり……
呆れるよりも逆に感心して体の力を抜くと、アスマの腕に更に力が入った。
耳元に寄せられる口唇と、小さく小さく囁かれた愛の告白。
「ずっと…ずっと前から、どうしようもなく好きだったんだ」
だから今こうしていられるのが本当に嬉しい、と。
アスマが面白い言葉ばかりを並べていた理由を、触れ合った体が教えてくれる。
自分と同じくらい、緊張してるんだ。
「なんか、照れくさいね」
アスマの鼓動を感じる距離に自分がいる。
長い間望み続けた現実が、正に今目の前にある。
「こっちのセリフだバカ野郎」
チラリと見やれば首まで真っ赤に染めたアスマがいて。
「…たくさんたくさん愛してください」
今の気持ちを存分に込めて、呟かずにはいられなかった。
アスマにワガママを言わなくて済むように。
変に意地を張って喧嘩をしないように。
不安にならないように。
ずっと、たくさんの愛をください。
06/06/19