かすかに聞こえた物音に土方は目を覚ました。
いまだ眠気でぼんやりとする頭で起き上がりながら、物音の正体を確認する。
「あ、すみません。起こしちゃいましたか」
思った通りの声の主を一瞥して、土方は眉間の皺を伸ばすように押さえた。
外はもう明るい。
屯所に戻ってきたのは今朝方だから、数時間はすっかり熟睡していたらしい。
「…いい。丁度見回りの時間だからな」
「え、でも、局長が無理はするなと、」
「大丈夫だ。このくらい。何てことねェよ」
あくびをかみ殺しながら、凝った肩を回す。
バキバキ、といい音がして、山崎が苦笑した。
「大丈夫ですか?見回りなら、沖田隊長がいますけど」
「…あいつに任せる方が落ち着かねェよ」
「それはまあ、そうですけど…」
「…隊服はどうした」
「ああ、すみません」
どうぞと隊服を差し出された隊服を受け取って、土方はしゅるりと帯を緩める。
「それから、」
「…何だ」
「おそらく、3日後です」
山崎の目をちらりと見やって、土方はわかったと頷いた。
何か動きがあったらすぐに報告しろ、と伝えて下がらせる。
無理しないでくださいね、と最後までうるさい監察方に大きく嘆息して、ばさりと着流しを脱いだ。
「…無理、か」
頭にちらついたのは妙の泣きそうな顔。
妙と口論になったあの日から、もう1週間がたつ。
あれから一度も、妙に会えていなかった。
タイミングがいいのか悪いのか、局長である近藤が屯所にいないということを攘夷派連中に悟られてはいけないと、あれからすぐに近藤に代わって城に詰めるようになり、護衛の役目は沖田に移った。聞いた話では、あの銀時も迎えに出てきているらしい。
屯所への用事でかぶき町に降りる度、何かと理由をつけてすまいるや家に足を運んだが、妙は今いないだとか、忙しくて手が離せないだとか、全て周りの人間にうまくかわされて、結局会えずじまいだった。
街で見かけたときですら、妙自身から気付かないフリをしてさりげなく距離を取られる始末。
部下の話では沖田や銀時を避けるようなそぶりは見られないというし、要は、完全に避けられていた。
『お前さァ、ほんとに何してんの?今さっき、お前の目の前にいたのは誰だよ?』
ふと頭にフラッシュバックした、銀時の瞳が土方を苛立たせる。
『アイツはアイツだ。それがわからねェなら、お前にアイツの隣に立つような資格はねェよ』
わかっているのだ。そんなことは。
わかっている、わかっている、と何度自分に言い聞かせたか知れない。
(ミツバはミツバ。妙は妙だ)
たったそれだけのこと。
何を間違える必要がある?
やり場のない苛立ちを抑え込むように拳を握りながら、舌打ちする。
障子をあけると、太陽が眩しかった。
***
いつも通りのかぶき町。
行きかう人々も遊びまわる子供たちも、のびのびと楽しそうだ。
土方はそれとなく周囲に気を配りながら、2本目の通りにさしかかる。
そしてふと、視界に入ったポニーテール。
すれ違いざまに顔を確認して、違ったことに少し落胆している自分に、土方は苦笑した。
「…ハッ、何やってんだ」
小さくそう呟いて、土方は髪をくしゃりとかきあげる。
久しぶりのかぶき町見回り。
無意識のうちに、探してしまう自分が、会えるかもしれないなんて期待してしまっている自分が、どうしようもなく情けなかった。
妙に会いたい、妙はどうしているだろうか、とそんなことを考えている時点で、もう答えは決まっている気がした。
思わず嘲笑じみた笑みがこぼれる。
頭から離れない妙の泣きそうな顔。それに重なるミツバ。
知らず、拳に力が入る。
沖田ミツバ。
彼女の存在は、土方にとってあまりに大き過ぎた。
忘れられるはずがない。
幼い恋だった。幼い気持ちだった。
でも、それでも、確かに自分はミツバを愛していたのだと、彼女が死んでから思い知らされるのだ。
だから決めた。
生涯、自分はミツバを思い続けると。
それが、自分なりのミツバへの想いの返し方なのだと。
(ざまァねェな…。こんなもんかよ)
乾いた笑いが漏れる。
こんなものだったのだろうか。
自分のミツバへの、―――妙への想いは。
こんな仕事をする自分に、まして、ミツバへの想いを捨てきれない自分に、妙を愛する資格があるとは到底思えない。
しかし、妙への“不要な”想いを捨ててしまおうとすればするほど、妙の泣きそうな顔が頭に蘇るのだ。
それは本当に“不要”な想いか…―――?
ふと、頭の中に聞きなれた声が響く。
何を馬鹿な、と振り払うように頭を振った。
集中しろ、と自身を叱責して、顔を上げる。
そして視界に映った桃色に、土方は目を瞠る。
考えるよりも先に身体が動いた。
前を行く妙の手を掴み、路地裏へ押し込む。
思いの外大した抵抗もされずに、簡単に捕まった。
押さえつけるように路地の壁に両手をぬいつけて、きつく睨み付けた。
「ひ、じかたさ…」
怯えたような瞳。
やっと会えたと逸る気持ちから、知らずに手に込めた力が強くなる。
顔を歪める妙を見て、少し力を緩めた。
あなたもついにゴリラの仲間入りか、と負けじとこちらを睨み付けてくる妙に苛立ちが募るが、もうそんなことはどうでもいい。
何で避ける、と想像以上に苛立った声が出て、妙が顔しかめた。
避ける?と白々しく返されて、また苛立つ。
「とぼけんな。ここ1週間ずっとだ」
「自意識過剰もいい加減になさったら如何かしら?そういうことだってあるでしょう。私だって暇じゃないんです」
この小娘が…!と土方は内心腸が煮えくり返る思いだった。
どんな思いで俺がお前を探していたと思ってる、と怒鳴りつけてやりたかった。
また両手に力を込めそうになって、土方は奥歯をかみしめて耐える。
落ち着け、と何度も自分に言い聞かせ、土方は努めて優しく妙の名を呼んだ。
俯いているせいで表情はわからないが、妙がぴくりと反応を示す。
「妙、顔上げろ」
優しくそう言うと、妙はおずおずと顔を上げた。
目が合う。しかし、妙のその表情が徐々に驚愕に染まっていくのがわかった。
明らかに異なる妙の様子に、呼びかけようとしたその時、妙の震えた声がそれを遮った。
「…やめて下さい」
「え?」
「そんな瞳(め)で私を見ないで…!」
嫌々をするように頭を振って、妙が土方の手を振りほどく。
「…あなたは誰を、見ているんですか?私は志村妙です!あなたが愛したミツバさんじゃない!」
「…っ!」
泣きそうな表情で、妙がそう叫ぶ。
ぶつけられた言葉に、土方はただ茫然とする。
頭をハンマーで殴られたようだった。
「…私はあなたが好きです。土方さん」
潤みを帯びた黒曜石に、射抜かれた。
残酷、なんて言える資格はない(その言葉だけは、言わせたくなかったはずなのに)
titile:灰の嘆き