「そーご」
心地よいソプラノが、自分の名を呼んだ。
うっすらと目を開けると、くるりとした目が優しく細まる。
「起きて。もうすぐ予鈴が鳴るわ」
まだ眠っていたくて目を閉じようとすると、こら、と諫める声が頭上から届いた。
サボりたいのはやまやまだが、授業にはちゃんと出るとこの間約束したばかりだ。
彼女との約束を破るわけにはいかない。
妙の膝の上から渋々体を起こし、思い切り伸びをする。
くわ、と大きな欠伸が出て、目の端から涙がこぼれた。
「まだ寝足りねェや」
「夜更かしするからよ。でも本当、今日はいい天気ね。お昼寝したくなっちゃうわ」
妙も大きく伸びをして、楽しそうに笑った。
吹き抜ける風が柔らかく頬を撫でる。
本来立ち入り禁止の屋上からは、校庭でサッカーをする生徒や、遠くにある大きなお屋敷まで一望できた。
ここの合い鍵を持っているのは、この学校内でもおそらく自分だけだろう。
「戻りましょうか」
「おう」
弁当を片手に妙が立ち上がる。
スカートが風にはためいて、一瞬制服とは違う色彩が目に入った。
「…見た?」
「さあねィ」
妙は慌ててスカートを押さえ、振り返った。
「いちご柄なんていつ買ったんでィ」
にやりと笑ってそう言うと、妙の顔が一気に赤くなった。
いくら幼なじみと言っても、やはり見られたというのは恥ずかしいらしい。
「…っ!やっぱり見たんじゃない!」
「別にいいだろィ。今更じゃねーか」
「良くないわよ!」
顔を赤くしたまま、妙は怒ったように眉を寄せてうつむいた。
すねる妙も可愛いが、本気で怒りだすといろいろと大変だ。
「すいやせんでしたァ」
「…心がこもってない」
「ダッツの新作ドルチェでどうでィ」
ため息をつきつつそう言うと、妙がぴくりと反応した。
「…許してあげる」
渋々といった感じだが、声には嬉しさが滲んでいる。
妙と呼ぶと、上機嫌でにっこり笑った。
いつものパターンだ。
どうしたって自分は彼女には敵わない。
幼なじみの大切な少女。
一体何年片思いしてるんだか。
幼い頃からずっと一緒で、姉弟みたいなものだった。
今更恋愛感情なんて言えやしない。
臆病な自分に反吐が出るが、妙のこの笑顔を崩したくなかった。
しかし、そうのんびりもしていられない。
認めたくないが、妙を慕う者は自分以外にも数え切れない程いるのだ。
いけすかないマヨラーも、くるくるの天パも、ゴリラっぽい先輩も、地味な黒髪も、眼帯の不良も、ピンク頭の兄妹も、みんな妙が好きだと言ってはばからない。
幸い妙は自分のこと、特に色恋に関しては有り得ない程鈍いので気付いていないが、焦りを隠せないのが本音だった。
"幼なじみ"から"恋人"へ。
伝えなければ始まらないのはわかっている。
しかし、いまいち自信が持てないでいた。
「総悟?何ボーっとしてるの?予鈴鳴ったわよ」
「ん、あァ。今行きまさァ」
今まで考えていたことを頭の隅に追いやって、妙の後を追う。
凛と伸びた小さな背中をふと抱きしめたいと思ったなんて、もちろん言えやしないけれど。
***
HRが終わった放課後の騒がしい教室。
その一角に出来た小さな人だかり。
中心にいるのは妙だった。
「志村、今日時間あるか?」
「あら土方くん。ええ、今日はもう何もないわ」
「良かったらでいいんだが、晩飯でも一緒に行かないか」
「ええ、いいで」
「お妙ー、今日寄り道してこーぜ。銀さん糖分摂取したいから付き合って」
「ちょっと待ってよー。何、坂田くん抜け駆け?いけないなー。妙ー、こんな奴らとより俺とご飯食べに行こーよ」
「あ、あの、ちょっと」
「何言ってるネ!姉御は私と一緒に行くアル!」
「妙ェ、飯行くぞ」
「お妙さァアァアアァァん!!是非俺と」
「姉上、たまには僕と外食しましょう!」
たまたま担任に呼び出され、教室に戻ってきてみればこの始末。
不快感と苛立ちで大きなため息がこぼれる。
自然と拳を握っていた。
「ちょっと待って下さ」
「妙!」
困り顔で妙が少し声を荒げる。
その声に重なるように、妙の名を呼んだ。
思ったより大きな声が出て、全員の視線が自身に集まったのがわかった。
妙の大きな瞳がこちらを見つめている。
気まずさから視線を逸らすと、ぶっきらぼうに言葉を続けた。
「…帰るぜィ」
「え?…ええ。ごめんなさい、みんな。今日は総悟と約束があるの。今度みんなで食べに行きましょう」
妙が優しく笑って謝罪をする。
それをただ黙って聞いていた。
本当は約束なんてしていない。
妙は身勝手な自分の行動に合わせてくれているだけだ。
拳を握る力が強くなる。
慣れた光景に、どうしようもなく心がざわついた。
「じゃあ、また明日ね」
「バイバイヨー」
妙の言葉に、神楽だけが返事をする。
男共の殺気混じりの視線を受けながら、妙の手を掴んで教室を出た。
待てと言われた気がしたが、無視して廊下を突っ切った。
妙の手を引き、黙って歩く。
校門を出て昔よく遊んだ公園までたどり着くと、そこで手を離した。
湧き上がってくる腹立たしさと嫉妬、それから自己嫌悪。
「総悟」
妙の心配そうな声がする。
今の自分の顔では到底振り向けなかった。
「何怒ってるの?」
「何でも」
「ないわけないでしょう。むくれてないでちゃんと教えてちょうだい」
妙が困ったように自分を見つめているのがわかった。
自分の幼さに羞恥心がこみ上げてくる。
妬いたのだ。
妙の周りにいた男たちに。
妙を巡って言い争いが起こることなど珍しくもなんともないはずなのに。
「もしかして、やきもち?」
「…心配してるんでィ」
「心配?」
「幼なじみとして、妙を変な奴に渡すわけにはいかねェんでさァ」
幼なじみとしてだなんて嘘だ。
妙を幼なじみとして見たことなど一度もない。
ただ、知られたくなかった。
幼い嫉妬をした自分の気持ちを。
なんとも言えない恥ずかしさがこみ上げて、やるせなくなった。
ポーカーフェイスも妙の前では通用しない。
「カッコ悪ィ…」
「どうして?」
「余裕がない証拠でさァ」
盛大にため息をついて、その場にしゃがみ込む。
妙を見上げると、目が合った。
真剣な瞳に心のどこかが揺らいだ。
「妙」
夕日が地面を照らし、辺りがオレンジ色に染まる。
好きだと言えば、彼女は笑ってくれるだろうか。
「…好きなんでィ」
「…え?」
「昔からずっと、好きだったんでさァ」
「好、き?」
「俺の、恋人になって下せェ」
妙の瞳が大きく見開かれ、戸惑ったように揺れた。
視線だけは外さずに、ゆっくりと立ち上がる。
そっと手を握って、もう一度つぶやいた。
「好きでさァ。どうにかなっちまうくらい。あんな奴らになんか絶対に渡さねェ」
優しく包むように手を握り直して、そのままじっと待った。
「…嘘じゃない?」
「本気でさァ」
「幼なじみとしてじゃなくて?」
「恋人って言っただろィ」
少しむっとしてそう言うと、妙はおかしそうに笑った。
それから、頬を染めて優しく笑う。
「総悟」
「…何でィ」
「私も、総悟が好きよ」
「…は」
「いつからなんてわからないけど、きっとずっと前から好きだったんだわ」
「た、え…?」
「私を総悟の彼女にして下さい」
はにかむように微笑んで、握り返された手。
柔らかい妙の手の平。
そういえば、手をつなぐのは随分と久しぶりな気がした。
「…妙こそ本気かィ?」
「もちろん。嘘なんて言わないわ」
想像もしなかった展開に、頭が追いつかない。
嬉しさよりも驚きの方が勝っていた。
「総悟?」
「…信じられねェ」
「え?」
「どれだけ片思いしてたと思ってるんでさァ」
「なら喜びも一入っでしょう?」
ふてくされたようにそう言って、妙を腕の中に収めた。
くすくすと妙は楽しそうに笑う。
「…もう絶対に離さねェぜィ」
「ふふ、私だって離してあげないんだから」
妙の甘い香りを思いきり吸いこんで、抱きしめる腕に力を込めた。
どうしようもなくなる、この好きな気持ち(今日からよろしく、マイハニー!)
Title: a dim memory
智さまに捧げます!
学パロ幼馴染でモテモテなお妙さんに拗ねる総悟でした^^
幼馴染大好きなのでとても楽しく書かせて頂きました。
ご期待に添えたかどうか不安ですが、喜んで頂けると嬉しく思います。
返品可ですので、何かありましたらご一報下さいませ。
リクエストありがとうございました!