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自室の机に向かい、土方は一枚の書類と向き合っていた。 眉間の皺を一層深くして、短くなった煙草を乱暴に灰皿に押し付ける。
時刻はまだ昼過ぎ。それにもかかわらず、机上の灰皿には吸殻がこんもりと山のように積み上げられていた。

「…チッ」

土方は短く舌打ちをして、近藤から渡された書類を見つめた。
書類のタイトルはこうだ。

『過激派攘夷浪士の活動活発化に伴う護衛任務について』

目を付けていた攘夷派のうち、一番過激だとされていたグループが最近動き出したという情報が山崎から入って来たのだ。これから一月(ひとつき)、もしくは二月以内に大きなテロか襲撃がある、というのが真選組の出した結論。

それにあたり、早めの攘夷浪士捕縛と将軍や幕臣、それらの人物と近しい関係にある者を安全のために護衛することになった。

―――のだが、土方が眉間の皺を更に深める原因はその護衛任務のリストに挙がっている名前にあった。

将軍の徳川茂茂から始まり、その妹君のそよ姫、その他の将軍家の者たち、幕府に仕える上層部の人間、――――それから、最後に記されているのは、志村妙という少女の名前だった。

(…クソ)

将軍家の人間や幕臣の名前が続く中、『志村妙』という名だけが不自然だった。

妙はただの一般人だ。将軍家と関わりがあるわけでもなければ、名の知れた幕臣の妻というわけでもない。
そんな妙をどうして真選組がわざわざ人員を割いて護衛に当たるのかと言えば、妙には攘夷浪士に狙われるだけの理由があるからに他ならない。

この決定には妙に惚れ込んでいる近藤の私情も入っているのだろうが、過激派攘夷浪士に目をつけられやすい人物、と言われてみれば確かに頷ける点がいくつかあった。
そもそも、真選組の局長である近藤にあんなにおおっぴらに求愛されて、目立たないはずがないのだ。その他の隊士たちとの交流も浅いとは言い難く、妙は確実に真選組と深い関係のある人物と言える。
攘夷浪士の連中がどんな手を使ってくるかはわからないが、護りの固い将軍を直接襲うより、一般人の少女を人質にとって行動した方がやりやすいというのが道理だろう。しかも、妙は真選組局長である近藤が思いを寄せている相手。人質には持ってこいの人材だ。攘夷浪士にとって真選組は正に邪魔者で、そのトップである局長の想い人を浚うなり殺害するなりすれば、多かれ少なかれこちらを動揺させられる。そう考えてもおかしくはない。

それに、 今回の攘夷派グループは腕利きばかりと聞く。
近藤の激しすぎる求愛を阿修羅のごとく返り討ちにする妙といえど、所詮はただの少女。真剣を手にした男の手にかかれば力の差は歴然だ。

局長をボコボコにする凶暴極まりない辛辣な少女だが、妙を慕う者は多い。
この決定に異を唱える者は少ないに違いないだろう。妙に何かあれば、近藤のみならず真選組全体が殺気立つ。
妻帯者が少ない真選組の隊士にとって、妙の存在は唯一の弱点とも言えた。

そこまで考えて、自然に口からため息が漏れた。
それぞれの隊の配置は昨日近藤と話し合った。あとはそれを各隊の隊長に告げて、任務を割り振るだけだ。

(護衛任務、か…)

今更異を唱えるつもりもない。
これでいく、と決定を下したのは近藤なのだ。

しかし、ふと、土方の脳裏に昨日の妙の表情が甦る。
驚いた、泣きそうな妙の顔。

(妙…)

拳で畳を殴りつけて、頭の中の映像を追い払う。
時計を見やると、会議が始まる時間に程近かった。
机の上に広げた資料を一束にしてまとめる。

「副長。そろそろ幹部会議が始まります」

障子越しに聞こえた山崎の声にああわかった、と返事をして書類を手に自室を出た。

常から会議に使っている大広間へ向かう。土方がふすまを開けると、もう全員がそろっていた。

「おう、トシ!あとはお前だけだぞ」
「何してんでィニコチンマヨラー」
「まあそう言ってやるな。さあ、始めるぞ」

茶々を入れた沖田を軽く諌めて、近藤が会議の旨を説明し始める。
任務に関する資料を手に、各々真剣に近藤の話に耳を傾けていた。

「…と、まあ俺からはこれくらいにして、残りはトシに説明してもらおう。じゃあトシ、頼む」
「あァ」

近藤に次いで、土方が今回の任務の概要を述べる。
攘夷浪士の情報、怪しいと踏んでいる潜伏場所、今後起こるであろうテロとその対策…と一通り説明し、それから、しばらく行う護衛任務についてリストの名前を読み上げた。

「近藤さん、一番隊、二番隊、三番隊は将軍家の護衛に、上層部の連中は四番隊と五番隊で頼む。それぞれ交代して任務に当たれ。六番隊以下十番隊は普段通りの任務だ。俺も屯所に留まる。屯所を空にするにはいかねェからな。 山崎はじめ監察は今後も動向を探れ。 各隊の人員の配置はお前らに任せる。あくまで奴らに気付かれない程度に護衛することだ。しばらくは奴らを泳がせる。奴らにこっちが何かに勘づいていると悟らせるな」

返事をする各隊長の声を聞き流しながら、土方は一気にそう告げて部屋を見回した。

近藤がそれに補足して、何か質問はあるか、と問う。

しんとなった部屋に、沖田がすっと手を挙げる。

「お、なんだ総悟」
「土方さん、ひとり忘れてやせんかィ?姐さんはどうするつもりで?」

沖田の言葉に土方の眉がピクリと動く。
沖田は構わずに続けた。

「姐さんもリストに挙がってるってこたァ、誰かが護衛につくって事でしょう?」
「もちろんだ!」
「じゃあ誰が出るんですかィ?」

訝しげに眉を寄せた沖田に土方は大きくため息をついて、軽く手を上げた。

「…俺が出る」

土方の言葉に部屋がざわめく。
沖田はあからさまに顔をしかめた。
何で、と言いかけた沖田を手で制し、近藤は俺が頼んだんだ、と笑う。

「…近藤さんが?」
「俺はしばらく将軍家や上層部の護衛で城に詰める。たまには戻ってくるが、そう長く留まっていられない。なァに、大丈夫さ。松平のとっつぁんも出てくると聞いてるし、お前らもついてるからな」

でも本当は俺が行きたかったんだぞ、と近藤は苦笑した。しかしそんなことはさすがに言ってられんだろう、と続ける。

「トシには屯所を守ってもらうことにしたんだ。いくら将軍や上層部の護衛と言ってもこんな時期に局長と副長が同時に屯所を開けるわけにはいかんだろう?護衛と言ってもお妙さんの仕事帰りに家まで送っていくだけだ。そんなに時間をとるようなもんじゃない。それに、お妙さんも顔見知りの方が気安いだろうし、トシなら腕も申し分ない」

近藤さんがそう言うなら、と沖田も渋々引き下がる。
俺だって悔しいんだ!トシだから頼むんだからな!と叫んで近藤は土方の肩を掴んだ。

「お妙さんを頼むぞ、トシ。俺たちのせいでお妙さんを危険に晒したくはない」

近藤の真剣な声音に土方も黙って頷いた。

「じゃあ解散だ!みんな頼むぞ!」

うす、と野太い声で返事を返して、皆部屋を後にする。
沖田は最後に土方を一瞥して部屋を出ていった。

近藤と土方だけが部屋に残され、妙な沈黙が流れる。
土方は新しい煙草に火をつけて、ゆっくりとふかした。
腕を組んだまま動こうとしない近藤を見つめて、遠慮がちに声をかける。

「なんだ、トシ」

近藤さん、と呼んだ自分にいつも通りの眩しい笑顔を向けて、近藤は返事をした。
その笑顔に何も返せずただ口をつぐむ。

「…いや、」

ごまかすように立ちあがって、近藤に背を向ける。
つい告げそうになった謝罪の言葉を、呑み込んだ。

「あんまり無理はしないでくれよ。近藤さんの尻拭いは骨が折れる」
「はは、すまんな。頼りにしてるぞ!」
「…あァ。こっちは俺たちに任せろ」
「トシがいれば安心だな」
「報告は逐一寄越す」
「おう、頼む」

じゃあな、と部屋を出ようとした時、近藤に呼びとめられる。
振り返らずに、なんだ、と返事をした。

「お前もあんまり、無理すんじゃねェぞ」
「…わァってるよ」
「体もそうだが、自分の内っかわも大事にしろ」

コレ(煙草)はやめられねェんだよ、と苦い顔をすると、そうじゃねェ、と近藤の固い声が返って来た。

「心ってことだ。武士たるもの、体調管理ももちろんだが精神が乱れるようなことがあってはいかんからな」
「…ストーカーするほど乱れまくってる奴に言われたかねェよ」
「俺はお妙さん一筋だ!乱れてなどいない!」
「いや、そうじゃねェだろ」

胸を張ってそう言う近藤に、土方は思わず振り返る。
近藤の真剣な瞳とぶつかった。

「トシ」
「…なんだ」
「お前はいつも自分を犠牲にしようとする。俺はそれが心配でなんねェんだ。お前が何よりも真選組を思ってくれてるのは知ってる。でもなァ、トシ。たまには自分のことも大事にしてくれよ」

一息にそう言って、近藤は土方を見つめる。
心配そうに揺らぐ瞳に、土方は僅かにたじろいだ。
近藤の言葉の真意を測りかねて、眉を寄せる。

「皆お前が大事だってことだ」

そう言って、近藤は屈託なく笑った。
立ちすくむ土方の肩にぽんと手を置いて、部屋を後にする。

「……」

大事にしろと、近藤は言った。

頭によぎるのは、二人の女の顔。
笑う彼女。泣きそうな顔でこちらを見つめる少女。

(大事に、か…)

土方は苦笑して、長くなった煙草の灰を庭に落とした。

(俺には、出来そうもねェよ)


***


真選組の護衛任務が始まって早1ヵ月。
攘夷浪士は未だ目立った動きを見せず、じりじりとした膠着状態が続いていた。

妙との関係も、あの日から何も変わらないままだ。弁解もしないまま、ただぎこちなさだけが残っている。毎日顔を合わしているのに、以前のような柔らかい空気はそこには存在しなかった。
妙の仕事場から家まで、その道をただ黙って歩くだけ。話すことは滅多となかった。ミツバのことにも、一切触れてこない。
家の前に着くと、妙は「いつもありがとうございます。おやすみなさい」と律儀に言って、扉の向こうに消える。
毎日その繰り返しだ。

妙は変わらずに笑う。
悟らせまいとしているのだろう。気にしていることは明らかだったが、妙の変わらぬ笑顔が痛かった。

無理をさせている。そんなことはわかっていた。
大事にしたいと思えば思う程、その気持ちは妙を傷つけるものにしかならない。

現に妙は攘夷浪士との抗争に巻き込まれようとしている。
近藤ならいい。近藤なら、妙の思いを受け入れる覚悟も、大将として真選組を背負う覚悟も出来ている。
しかし、自分にはそれがない。

ミツバへの想いも、妙への気持ちも、何一つ整理しきれていないのだ。

あれから毎日のように迎えに行っている自分のことを妙はどう思っているのだろう。
護衛任務だということは妙には告げていない。
義務的なものだとは思われたくなかった。

妙のことはもう忘れると、妙への思いは捨ててしまおうと決めた。
しかし、心の中に残るのはどこかもやもやとした感情ばかり。

眉間に皺が寄る。
苛立って仕方なかった。

土方は大きなため息をひとつ吐いて、足元を冷たい目で見下ろす。
場所は薄暗い路地裏。
足元には3人の男の亡きがらが転がっていた。
刀に着いた血を一振りして払う。懐紙で刀を丁寧に拭い、鞘にしまう。

返り血は浴びないように斬ったつもりだったが、少し手元が狂ったらしい。
顔にかかった相手の血を着物の袖で拭って、苛立たしげに舌打ちをひとつした。

「あーあ。派手にやっちまいましたね」

後ろから聞こえた声に、刀に手をやりつつ振り返る。予想した通りの部下の姿を確認して、刀の柄から手を離した。
なんでここにいる、と短く問うと、山崎は一枚の紙切れを土方に手渡す。

「報告に来いって言ったのは副長でしょう。今は吉村が張ってます」
「…あとどのくらいだ」
「長くてもあと10日、ってところですね。場所はそこに書いてある通り3か所まで絞りました。奴らは一度集まった後、お上のいる城へ総攻撃をしかけるつもりのようです」
「…随分と大胆だな」
「捨て身と言っても過言じゃないですね。俺たちを警戒してのデマっていう可能性もあります。あと、ひとつ気になることが」

そこで言葉を切った山崎を土方は黙って見ていた。

「姐さんのことなんですが…」
「…あァ」
「まだ一部ですが…、姐さんを浚う、という案が出ているようです」

思い切り眉根を寄せ、土方は足元に転がっている死体を忌々しそうに見やった。
山崎はその男たちの顔を確認して、頷く。

「…4日前にあと2人斬った」
「そうですか」
「名前まで覚えちゃいねェが、屯所に戻りゃわかるはずだ。粗方の情報は吐かせたが、1人は生かしてある」
「わかりました。ここにいる3人と合わせて、姐さんのことを嗅ぎ回ってた奴らは全部です」
「…全員殺すつもりはなかったんだがな。手元が狂った」
「姐さん絡みのことですからね。手元も狂いますよ。こいつらはあのグループの中でもだいぶ下っ端みたいですから、いなくなっても支障はないと思います」

土方と山崎の間に沈黙が落ちた。
黙ったまま、物言わぬ3人の男たちを無表情に見つめる。

狭い路地裏にたちこめる血の匂い。
慣れているとはいえ、気分のいいものではなかった。

『…おい、それでわかったのか?』
『ああ。近藤が相当入れ込んでるってのは本当らしいぜ。噂じゃあの土方と沖田も随分と大事にしてるらしい』
『ほォ。そりゃあいい。真選組がこぞってお熱な女たァ一体どんな女なんだ?』
『上玉には違いねェが、まだガキらしい。確かキャバ嬢だったか』
『お水の女か。まァ殺る前に多少は楽しませてもらわねェとな』
『その女を殺した時の奴らの反応が見物だぜ』

今はもう事切れた男たちが先ほど交わしていた会話が土方の頭の中で繰り返される。
胸中に広がる焦りと強烈な苛立ち。ふつふつと湧きあがってくるやり場のない怒りを治めるように、きつく拳を握りしめた。

「……」

副長、と山崎が遠慮がちに土方を呼んだ。
苛立ちを隠すこともせずに視線だけを動かして、それに応える。

「大丈夫ですか?」
「…何がだ」
「…いや、何でもないです」

土方の怪訝そうな視線を受け、山崎は口ごもってうつむいた。

土方は黙り込んだ山崎を一瞥すると、後は任せた、と告げて歩きだした。
自分には行かなければならないところがあるのだ。

腕時計をちらりと見やって、わずかに眉を寄せる。
妙の上がりの時間まで、あと1時間。



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