Free Request | ナノ


通い慣れた縁側に腰掛けて、黒服の男は懐から煙草を取り出す。
火をつけようとして、何かに思い当たったのかポケットを探る手を止めた。

この家の少女はゴミの処理になかなか厳しいのだ。
生憎今日は携帯灰皿なんてものは持ち合わせていなかった。

少女がいれば灰皿を出してくれるが、今は留守だ。
いくら通い慣れているとは言っても、勝手に家の中に上がり込むのは気が引けた。

土方は握った煙草をしまい直して、縁側の柱に体を預ける。
日当たりのいい縁側は、どうにも眠気を誘った。

この家にこうして来るようになったのはいつからだったろう。
最初はなんとなくしていた言い訳も、今はもう必要なくなった。

近藤がご執心の少女の家に何の用もなく通いつめているなんて、どうかしていると自分でも思う。しかし、どうしてか足を向けてしまう自分がいた。

近藤を始め、自分たち真選組の連中や万事屋たちにまで慕われている少女がどんな人物なのか少し興味はあった。
でも、ただそれだけだ。
正直、少女に出会ってから遅々として進まない近藤の仕事の尻拭いにもいい加減うんざりしていたし、毎回ボコボコに殴られて返り討ちにされているのも気に入らなかった。

そう、大嫌いだったのだ。あの少女が。
少女の存在自体に苛立っていた。

『人を斬ってきたんでしょう?』

いつかの少女の声が頭に響く。
眠気でぼんやりとし始めた頭にこだまするように反響した。

『後悔しているんですか?』

いつ、どこでの会話だったのか思い出せない。
自分は少女になんと言ったのだろう。

『慣れているから、なんですか?そんな目をして、何を苛立っているんです』

『大事なものを守るために剣を振るうと決めたのでしょう?それがどんな方法だろうと、何を犠牲にしようと、鬼の副長なんて呼ばれても、それを貫くと』

心を見透かすように、真っ直ぐとこちらを見つめてくる黒い瞳。
これはいつのことだっただろう。
自分はなんと答えただだろう。

心の中の苛立ちと焦燥を言い当てられたようでひどく面食らって、知ったような口を利く少女に苛立った。
でも、この時確かに自分の中で何かが動いたのだ。
大嫌いだった生意気な少女のことを、もっと知ってみたいと。

心地よい日差しに、おぼろげな思考が閉じかける。

庭で遊んでいた雀が飛び立ったのが視界の隅に映った。

***

夕暮れの日の光が辺りを橙に染める。
指先に止まったトンボに、彼女は優しい笑みをこぼした。
不意にこちらを向いた彼女の視線にぎょっとして、思い切り顔を背ける。
見惚れていたなんて知られたくなくて、照れ隠しにそっぽを向いた。
それでも彼女は、柔らかく笑っていたんだ。

名を呼ぼうとして、彼女がもういないことに気付く。伸ばしかけて空を切った手を握りしめた。

これは夢だ。
彼女がいた頃の、むずがゆくなるほど穏やかな優しい記憶。

ガキくさい恋だったと思う。
それでも、あの時の自分は精一杯で、初めて持った淡い感情を持て余していた。
今思えば滑稽に思えるそのままごとのような恋愛ごっこも、悪くなかったと思えるのだから不思議だ。

彼女は優しい、温かい人だった。
大切だった。だから、誰よりも幸せになって欲しいと願っていた。
連れていってくれと言った彼女を、お前のことなど知らないと冷たく拒んだのも、それが彼女のためなのだと信じて疑わなかったからだ。

彼女が死んで一年と少し。
皮肉なもので、彼女を思い出す回数は彼女が生きていた時よりも多くなった。

"十四郎さん"と彼女は笑う。
あの頃と変わらない笑顔が頭の中に蘇る。

その笑顔を思い出す度、罪悪感と鈍い痛みが胸を締め付けた。

もしもあの時、彼女の手をとっていたなら何か変わっただろうか。
もしもあの時、自分の気持ちを告げていれば、彼女は今も隣で笑っていてくれただろうか。

そんな馬鹿げた"もしも"を繰り返してたどり着く先は結局、"彼女は本当に幸せだったのだろうか"というそのひとつの疑問だった。

あの時、あのままあの男を見逃していれば彼女は少しでも幸せな時間を過ごせたのかもしれない、とも思う。
けれど、自分のしたことに後悔はしていない。あんな男と一緒になるなんて、許せなかった。彼女のためなんて言いながら、動いた理由は結局自分のエゴ。
彼女を突き放した自分が口を出す資格なんてないことはわかっていた。それでも、真選組副長としての自分にも、彼女を愛した一人の男としての自分にも、あの男を見逃すなんて選択肢はなかった。

でも、自分のしたことが彼女にとって良かったのかどうか、それはいまだにわからないままだ。

婚約者をしょっぴき、あまつさえ死に目にすらあってやれなかった彼女が、自分を恨んでいたとしても不思議じゃない。

好きだと告げたこともなければ、抱き締めてやったこともないのだ。
恋人と呼べるような甘い関係でもなかった。

確かに自分も、そしておそらく彼女も、お互いのことを好いてはいたが、その関係を口にするようなことは互いにしなかった。

一緒にいたいのだと言われたそれが、きっと彼女の精一杯の想いだったのだろう。
それをわかっていながら、拒んだのは自分だ。

命の保証などない自分に彼女の隣に立つ権利などない。危険に巻き込む可能性だってたくさんある。この手で他人の命を奪って、そんな手ではどうしたって触れられない。まして、幸せにすることなんて出来るはずもなかった。
どこか自分の知らないところで、普通の男と家庭を持って、普通に生きていて欲しい。たまらなく平凡な日々でも、優しい陽の光の下で、笑って暮らしていて欲しい。こんなろくでもない自分と一緒になって苦労するより、帰って来なかった自分に涙を流すより、もっと普通の女としての幸せを感じて欲しかった。

それが、それだけが自分の願いだった。

自分にとって彼女は唯一。これはきっと、これからも一生変わらないこと。

彼女以上の存在など必要もないし、出来るわけもないと思っていた。

自分は誓ったのだ。
彼女を、ミツバを失ったあの時、ミツバだけを愛し続けると。

しかし、ふと頭の中をちらついた違う女の顔。
"十四郎さん"と笑うミツバに、少女の顔が重なって見えた。

"土方さん"と少女は笑う。
普段は大人びて見えるその少女は、不思議と年相応に見えた。
綺麗な顔をしているくせにとんでもなく凶暴。曲がったことが大嫌いで、世界は自分中心に回っていると本気で思っていそうな、ただただ真っ直ぐで清廉な美しい少女。

自分とミツバしかいなかった領域の中に、少女はいつの間にか入り込んできた。
その存在は次第に大きくなって、己の心にじわりじわりと沁み込み始めた。

でもそれを認めたくなくて、何よりミツバ以上の存在など認めてはいけないと自分の中に湧いた気持ちを無視し続けていた。

ミツバが自分にとっての唯一で、あの時もこれからもそれ以上の存在など必要ないと思っていた。それは本当だ。

他ならぬ自分自身が、己の内に湧いた気持ちに困惑した。
何よりも、そんな想いを抱いた自分に驚いたのだ。

今だって、ミツバを大切に想う気持ちに変わりはない。
ただ、惹かれてしまった。共に生きて欲しいなんて、そんな浅はかは思いを抱くほどに。
幸せになって欲しいと思う。だけどそれは、自分の隣であって欲しいと思うのだ。

なんて傲慢。矛盾している。
幸せになって欲しいとミツバを突き放したはずなのに、あの少女は、妙はそばに置いておきたいなどと許されるはずもない。

惚れた女には幸せになってほしい。
その『幸せ』のためには、自分がそばにいてはいけない。
そんなことはわかっていたはずなのに。

"土方さん"と言って、妙は優しく微笑む。
"十四郎さん"と呼ぶミツバは変わらない笑顔で自分を見つめる。

ふたりの笑顔が重なった。

遠くで『十四郎さん』と声が聞こえた気がした。

無意識に手を伸ばして、そのまま引いた。
短い悲鳴。確かに感じた感触に、腕の力を強める。

許して欲しいとは言わない。
何もしてやれなかった自分を恨んでくれても構わない。

「…ミツ、バ」

ただ、ひとつ聞きたいことがあるんだ。
ずっとずっと、胸の奥でくすぶっていた疑問が。

「ミツバ」

(…お前は、幸せだったのか?)

思わず腕に力を込めた時、突然腕の中の熱が動いた。
強く押されて、はっと我に返る。

視界には、先程と同じ妙の家の縁側。
さっきと違ったのは、目の前に困惑しきった顔の妙がいたことだった。

妙の泣きそうな顔を見て、一瞬で自分が何をしたのかを悟った。

しまった、と気付いた時にはもう遅い。
取り繕うように口から謝罪の言葉が出た。
悪かったと謝る自分に、妙は何でもないように笑って大丈夫だと告げる。

総悟が探していたと妙はまくしたてて、追い出すように家の外に出された。ぴしゃりと扉が閉められる。慌てて扉越しに呼びかけるが、出てくる気はないらしかった。

自分の愚かさに目眩がした。

自分がミツバと呼んだ人物。
それは他でもない妙だ。

一瞬だったが、泣きそうに歪めた妙の表情が頭から離れない。
ミツバと妙の顔が重なって、頭の中をぐるぐるとかき乱す。

「…クソっ!」

間違いなく傷つけた。
妙は聡い女だ。きっと自分にとってのミツバという存在に気付いただろう。

妙が自分に好意を抱いていることは気付いていたのに。
一番残酷な方法で傷つけた。

ミツバと妙を重ねて見ていたわけではない。妙にミツバを探していたわけではない。
違うんだ、という弁解の言葉が口から漏れた。
言い訳がましく聞こえるかもしれないが、ミツバに似通う部分があったから妙に惹かれたわけではないのだ。

妙にそれを伝えなければ。
でも、今更、どうやって?

忘れられない女がいるが、お前のことも好きだとでも?

そんなこと、言えるわけがない。
そもそも、妙の想いを受け止める覚悟も出来ていないのに。

土方は自嘲気味に笑う。
自分はやはり疫病神だ。
惚れた女ひとり、満足に幸せにしてやれないなんて。

「…チッ!」

土方は盛大に舌打ちをして、目の前の壁を殴りつける。
拳に滲む血が、白い壁を汚した。





自分は何処に居るのか
(ああ、こんな自分が大嫌いだ)



title:灰の嘆き


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