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ブン、っと竹刀が空気を切る音が、道場内に響く。
夕日が道場の窓から差し込んで、磨き上げられた床を照らしていた。
誰もいない道場。流れ落ちる汗も拭わずに、沖田は竹刀を振り下ろす。

カタン、と微かにした物音に、沖田は竹刀を振る手を止めた。
無言で入り口を見やると、道着を着た土方が竹刀を肩に立っていた。

土方は沖田を目に止めると眉間に軽く皺を寄せ、邪魔したな、と短く告げて踵を返す。
背を向けた土方に、沖田は声を投げかけた。

「土方さんじゃねェですかィ。なんで逃げるんで?」
「…別にそういうわけじゃねェ」
「ならいいじゃねェですか。丁度いいや。ついでに一手仕合って下せェよ」

沖田の声に、土方が歩を止める。
振り返ったその瞳は訝しげだが、了承はしたようで道場内に足を踏み入れた。

竹刀を構えると、沖田と向かい合う。
呼吸を整え、互いの隙を窺うように睨み合った。

先に足を踏み出したのは沖田で、土方はそれを受けた。
バシィッと竹刀がぶつかり合う。

「姐さんの見舞いにも行かねェで、一体どこ行ってたんですかィ?」

竹刀を合わせたまま、沖田は鋭い瞳で土方に問いかけた。
きつい光を宿した赤い瞳を、土方は黙って睨み返す。

「…お前には関係ない」

沖田の竹刀を押し返し、互いに間合いを取った。
土方の返答に沖田はあからさまに顔をしかめて、力をこめて打ち込みをかける。

「アンタはまたそうやって逃げるつもりですかィ?」
「…どういう意味だ」

低く問い返した土方の瞳をきつく睨んだ。

「しらばっくれるつもりなら、好きにすりゃァいい。でも、アンタは姐さんを見くびってる。姐さんは、アンタが思ってるよりずっと強い女ですぜ」

打ち合う手は止めずに、沖田は言葉を続ける。

「それに、優しい人だ」

静かにそう言った沖田の瞳は優しい色をたたえていた。
土方は答えることなく、ただ黙って竹刀を振るう。
何も答えない土方に、沖田は短く舌を打った。

「はっ、だんまり決め込むつもりですかィ?」
「…答える義理がどこにある?テメェには関係ねェと言ったはずだ」

苛立ったようにそう答えた土方に、沖田は眉を吊り上げる。
その苛立ちをぶつけるように一層強く打ち込んだ。

「関係大アリでィ!アンタはいつまでそうやってウジウジしてるつもりなんでィ!」

竹刀のぶつかり合う音が大きくなり、道場内に響き渡る。
夕焼け色に染まっていた道場は、濃い黒へと変わり始めていた。

「突き放すばっかりが優しさじゃねェでしょう!」

叫ぶように、沖田は声を荒げる。
土方の竹刀に打ち込む手を休めることなく、更に力を込めた。

「また同じこと繰り返すのかよ!姐さんは弱音なんか絶対吐かねェ。アンタ相手なら尚更だ!いつまで、どこまで姐さんに甘えてるつもりなんでィ!アンタは結局怖がってるだけでさァ!自分の知らないところで普通に幸せになって欲しいなんて言って、本当はそんな自信がねェだけじゃねェか!」
「黙れ!」

土方の大きな声が沖田の声を遮るように響く。
沖田の竹刀をはじき返し、なんのつもりだ、と低く問い返す。
明らかな怒気をはらんだその声。
沖田はそれを気にするでも臆するでもなく、言葉を続ける。
苛立ちと怒りは沖田も同じだった。

「アンタの言い訳に、姉上を使ってもらっちゃ困るって言ってるんでさァ。姉上のためなんて言わせねェ。姐さんのためとも言わせねェ。アンタ自身はどうなんでィ!」
「……っ!」
「確かに姐さんは強い。なんでもかんでも1人で背負いこんで、笑ってるようなお人でさァ。じゃあ、姐さんが泣きたい時は?誰が『姐さんは強い、姐さんなら大丈夫』だなんて決めたんでィ!そんなの、俺たちの、アンタの勝手な思い込みじゃねェかっ!」

我慢の限界だとも言うように、土方は沖田に向かって攻撃をしかける。
沖田はそれをよけて、土方の空いた左側に入り込んだ。
気付いた土方が体をひねるが、間に合わない。
沖田の鋭い一撃が土方の竹刀を弾き飛ばして、胴に一本を決める。

たまらず倒れ込んだ土方は脇腹を押さえてむせ込んだ。
身を起こした土方の首元に沖田はピタリと竹刀をかざす。

「あの時のあのセリフ、そっくりそのまま返してやりまさァ。今のアンタにだけは負ける気がしねェ」

低い声でそう告げる沖田を、土方は黙って睨み返した。
その瞳に浮かぶのは、苛立ちとわずかな迷い。

「…わかってんだよ、んなことは…」
「…っ土方さん、アンタ」
「副長っ!隊長っ!報告です!以前から目をつけていた攘夷浪士のグループがついに動きました。今夜旅籠の高田屋で集会を行う模様です。局長は今夜一気に片を付ける、と…」

慌てて道場に飛び込んできた山崎の声に、沖田と土方の声が遮られる。
何かを言いかけた土方はぐっと口をつぐんだ。

沖田が黙って睨みつけると山崎は怯えたように肩をびくつかせたが、事が事だ。
山崎も負けじと沖田の瞳を見つめ返して、準備と指示をお願いします、とはっきりと言った。

「…あァ、わかった」

土方は浅くため息をついて、立ち上がる。

「一時間後に召集をかける。その旨を伝えておけ」

そう言い捨てると、去り際に沖田をちらりと見やって土方は道場を出た。

道場に残された沖田と山崎。
沖田はぎり、と竹刀を握りしめる。

「…あの、すみません」

山崎が申し訳なさそうにそう言ったのを聞いて、沖田はいい、とだけ返した。
戸惑う山崎に構うことなく、沖田は黙りこむ。
沖田の心中を察したのか、失礼します、と遠慮がちに断って、山崎は退室した。

再び道場に静寂が戻る。
道場に差し込んでいた光もいつの間にかなくなり、外もすっかり暗くなっていた。

クソ、と沖田は唇を噛み締めてうつむく。
先ほどの土方の表情が気にかかった。
『笑って下さい、沖田さん』と言って微笑んだ妙の笑顔が頭に蘇る。
『そーちゃん』と優しく呼んでくれた姉の笑顔が妙の笑顔と重なった。

彼女は優しい、とても優しい人。
自分のことは二の次で、他人の世話ばかり焼いて。
辛くても笑うことのできる、強い人。

(姉上…。姐さん…。)

こんなにも似ている。
それでも、彼女は“志村妙”というひとりのひとだ。
彼女にミツバの面影を探しているわけじゃない。
“似ている”からじゃない。“彼女”だからだ。
そんなこと、自分も、きっとあの男もとうにわかっている。
なのに、うまく伝わらない。伝えられない。

ジレンマだ、と沖田は固く目をつぶる。

(でも、姐さんは…)

伝えなくても、彼女はわかってくれていた。
きっと辛かっただろう。たくさん泣いただろう。
泣き腫らした目に胸が痛んだ。でも、自分が目にした彼女は、笑っていたのだ。
優しく笑って、答えは出たのだと言った。

ああ、なんて強い、美しい人。
でも、それに甘えていてはいけない。

彼女は強い。
しかし、強さと弱さは紙一枚の裏と表。
強さを裏返せば、それは弱さだ。

支えたい、寄りかかって欲しい。
自分にその役が務まらないのなら、彼女が望む、誰かのそばで笑っていて欲しい。

そう願うのは、ミツバを裏切ることにつながるのだろうか。
彼女の幸せを願うのは、あの男と想い合っていながら添い遂げることの叶わなかったミツバの想いを踏みにじるのと同じこと?

(…姉上なら、笑ってくれますよねィ?)

きっと、大丈夫だと、気にしなくていいのだと笑ってくれる気がした。

あの男を責め続け、憎んで生きることは簡単だ。

でも、それじゃあなにも変わらない。
彼女がそう教えてくれた。

ミツバと自分。
自分と土方。
土方とミツバ。
妙と自分。
ミツバと妙。
妙と土方。

こうして出会ったのは、こうしてつながっているのは、きっと偶然なんかじゃないと思うのだ。
馬鹿げた話かもしれない。
それでも、きっと自分たちが彼女に出会ったのは、紛れもない“幸福”。

でも、それを享受することは、土方にとってどれほどの覚悟と時間が必要なのだろう。
自分にとってミツバがただひとりの家族であったように、土方にとってミツバはただひとりの女性(ひと)なのだ。きっとそれはこれからも変わらない。

(でも、土方さん…。アンタいつまでそうしてるつもりなんですかィ?)

恋しいと思っているのなら、黙って抱きしめてやればいいのに。
土方の中の何かが、それを邪魔するのだろう。

「…アンタがいつまでもそんなだから、俺も許すに許せなくなっちまうんでィ…」

土方のばかやろう、と沖田の口から漏れた小さな声が静かな道場に落ちた。


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