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店内はガヤガヤと相変わらず賑やかだ。
楽しそうな男の笑い声とホステスの媚びるような話し声。グラスが当たる音。
夜の世界は今日も華やかで、客を相手ににこにこ笑顔を振りまく。

妙はきゃあきゃあと騒ぐ同僚のテーブルの横を通り抜けて、浅くため息をついた。
今日も仕事が終われば、土方が迎えに来てくれているのだろう。
彼が迎えに来るようになってから、来なかった日はない。

会いたい、会いたくない、会いたい―――。

相反するふたつの気持ちが妙の心をぐるぐるとかき乱した。

そばにいるだけで幸せなんて、そんな綺麗な気持ちはとうの昔にどこかへ忘れてきてしまった。いつからこんな醜い女になったのだろうと妙は自分に沸き起こる嫌悪感に苛立つ。

しっかりしろと妙は自分の顔を手で挟む。今は仕事中。笑わなければ、と考えていたことを頭から振り払い、妙は笑顔を浮かべた。
夜を照らし、潤いを与えるのが自分たちホステスの仕事。こんな気持ちで客の相手をするなんて失礼だ。

妙は作り笑顔を貼り付けたまま、指名を受けたテーブルに向かった。

「こんばんは、ご指名ありがとうございます」

そう言ってテーブルの前に立つと、そこにいたのは妙の迷惑な常連客、近藤だった。

「お妙さん!」
「チッ。何だ、テメェかゴリラ。何しに来たんだよ」

妙は笑顔を崩し、あからさまに嫌な顔で舌打ちをする。
しかしそんなことで挫ける近藤ではない。
ニコニコと嬉しそうに妙にバラの花束を差し出す。

「もちろんお妙さんと酒を飲みにですよ!この近藤勲、あなたのためにと今日も馳せ参じました!」
「テメェはいつでもどこでもストーカーしてるだろうがこのゴリラァァァ!」
「へぶしっ」

妙の拳が近藤の顔面に綺麗にめり込んだ。
花束が赤い花びらを散らし、床にばさりと落ちる。
倒れた近藤は気にせずに、妙は静かに花束を拾い上げた。
鼻血を出してソファーに倒れている近藤をちらりと一瞥して、そっと花束を抱える。

そういえば、この男が店に来るのは久しぶりな気がする。
こうして最後に撃退したのはいつだっただろう。

この男はいつもそうだ。
何度殴ってもはり倒しても起き上がって好きだと告げてくる。
あなたは俺の女神ですと言われたのも記憶に新しい。
女神だなんて笑っちゃうわ、と妙は心の中で自嘲した。
自分はそんな綺麗な存在じゃない。
菩薩だ女神だと近藤は言うが、そんな綺麗で優しい人間ではないのだ。

妙は花束をソファーに置いて、近藤とその花束の間に腰を下ろした。
焼酎のお湯割りを作って近藤の前に置く。

「飲まないんですか?」
「えっ、あの…」

起き上がった近藤が驚いたように妙を見た。でもすぐに嬉しそうに笑って、ありがとうございます!と大きな声で告げて飲み干す。

「いやあ、やっぱりお妙さんが作ってくれた酒は本当にうまい」
「…ありがとうございます」
「え?」
「花束。あなたには会いたくなんかないですけど、お花に罪はないですから。頂いていきます」
「は、はいっ!」

近藤は顔を赤くして、それはそれは嬉しそうに笑った。
妙は一瞬面食らい、目をそらす。

眩しい、と思った。
このひとは、どこまでも真っ直ぐで綺麗だ。

そう思った途端、何故だか泣きそうになった。
どうしてこんなひとが自分を好きでいてくれるのかわからない。
いつもは鬱陶しいはずの気持ちが、どうしようもなく心に響いた。

「お妙さん?」
「…何ですか?」
「何かあったんですか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「いや、どこか元気がないような気がしたもんですから」

心配そうに寄せられた眉と遠慮がちに握られた手の温度に妙は少し動揺した。

近藤の優しさに不意に涙腺がゆるみかける。
いけない、と気を引き締めて何でもありませんと笑ってやんわりと手をふりほどいた。

空になったグラスに新しい酒を作って近藤に差し出す。

「どうぞ。せっかく来てくださったんですもの。バラの花束分くらいは優しくしてあげます」

そう言って妙が笑うと、近藤は顔を真っ赤にしてグラスを受け取った。

***

いつもより穏やかに酒も進み、近藤は随分な量の酒を開けた。
赤ら顔で楽しそうに話す近藤に妙は笑顔で相槌をうつ。

トシが、トシは、トシに、トシの…近藤の話に何回その名前が上がったか知れない。
妙は作り笑顔をまた貼り付けて、近藤に酌をする。

胸の痛みは増すばかりだが、それを悟られるわけにはいかない。
しかし、黙って近藤の話を聞き続けるのにも限界が来ていた。
何か話を、ととっさに開いた口から出た言葉は一番聞きたくない名前だった。

「…ミツバさんという方をご存知ですか?」

思わず口にしてしまった名前にはっとしたが、顔には出さぬようになんとか平静を装う。近藤は妙の言葉に一瞬驚いたような顔をして、グラスに入った酒を仰いだ。

「どこでその名前を?」

その表情からも声音からも心底驚いたのが見て取れた。
妙は何でもありません、と否定しそうになるのを我慢してじっと近藤の目を見る。

「…以前、土方さんからお聞きしたんです」
「トシから?」

近藤は目を丸くして、妙に問い返す。
焦りから早くなる心臓の鼓動を無視して努めて冷静に頷いた。

ミツバ、と呼んだ土方の声がふと脳裏に蘇る。
心の奥が軋んだ。

「そうか…。トシが…」

感慨深げに近藤はそう呟いて、嬉しそうな笑みを浮かべる。
酒を飲み干すと、お妙さん、と静かに呼んだ。

「俺が江戸に来る前、武州にいたという話はしましたよね?」
「ええ、確か以前に」
「総悟とトシと俺は武州にいた頃からの付き合いで同じ道場に通っていたんです」
「ええ」
「毎日道場で竹刀を振っていました。馬鹿みたいに剣術修行ばかりして、やっぱり馬鹿みたいに騒いでいたんです。持つ刀が今は真剣に変わりましたが、やってることは今と大して変わっちゃいない」
「ふふ、チンピラ警察と言われてますものね」
「はは、それは言わんで下さい。まあ、とにかく、そんな感じで賑やかに武州で過ごしていました。俺たち3人ともみんな武州の出身なんですが、ミツバ殿は総悟の姉君でしてね、線の細い綺麗なひとでした」

ミツバという名前を聞いて、妙は心のどこかがズキリと痛んだのを感じた。
近藤の穏やかな口調が余計に心を苦しめる。

「幼いころからミツバ殿が親代わりになって総悟を育てておられたんですよ。総悟は姉上姉上とミツバ殿を追いかけて。ああ、懐かしいなあ。口も達者で生意気ながきんちょでした。でもあの頃から総悟は剣の筋が良かった」

遠い昔を懐かしむように、近藤は続けた。
痛む心に蓋をして、妙も大人しく近藤の話に耳を傾ける。

「総悟にとってミツバ殿は母であり、姉であり、たったひとりの家族だったんです。新八くんにとってのお妙さんがそうだったように」

妙を見つめる近藤の目はどこまでも優しい。しかし、それは妙を通してミツバを見ているのではない。しっかりと妙自身を見ている目だ。
妙はそれを痛いほどわかっていた。

「総悟だけじゃなく、俺たちみんなミツバ殿から優しい気持ちをもらっていました。武州を離れるときは寂しかった…」
「素敵な方だったんですね」
「そりゃあもう。美人で優しくて、昔から体の弱い人だったからどこか儚げでした。道場の連中でも懸想してる奴はたくさんいましたよ。でも、ミツバ殿は」

言葉を切った近藤は空になったグラスを見つめた。
妙は薄めの水割りを作って、近藤に差し出す。
本当に今日はいい日だ、と近藤は照れたように笑った。

「ミツバ殿には想っている奴がいて、誰も敵いやしなかった。総悟は快く思ってなかったみたいで、よく奴に嫌がらせしてましたよ」

今と大して変わらないな、と苦笑して水割りを仰ぐ。
ああ、やはり、と妙は拳を握りしめた。

「…ミツバ殿は強い女性でした。俺たちを見送る時も、行ってらっしゃいと笑ってくれた。それにどれだけ背中を押されたかわかりません」
「……」
「トシの奴、素直じゃないからなあ。困ったもんですよ。ミツバ殿をずっと想っていたくせに、そんなことおくびにも出さないで」

自分は今、うまく笑えているだろうか。
妙はごまかすように前髪を押さえ、酒で喉を湿らせる。
こんな優しいひとに、自分の醜い気持ちは悟られてはいけない。

「俺たちはいつ死ぬかもしれない身。この手で何人もの命を奪ってきました。武州を出る時もそれは覚悟の上だった。そんな手で、人を幸せにすることなんてできないと思ったんでしょうなあ。不器用で優しい奴なんです」
「ええ…」

震えそうになる声。
出来る限りの笑顔で答えて、グラスの酒を一気に飲み干した。

「ミツバ殿はそんなトシの気持ちをわかっていたんでしょう。想い合っていたのに、最期まで伝えることはなかった」

最期という言葉に妙はぴくりと反応する。
先程から感じていた違和感に、心がざわざわと音をたてた。

「ミツバ殿が亡くなって1年あまりが経ちましたが…。ようやく、トシもその名を口に出来るようになったか…。良かった。本当に良かった」

くらり、とめまいがした。
ああ、なんてことだろう。

妙は自分の浅はかさに死んでしまいそうなくらいの恥を感じていた。
ごめんなさい、ごめんなさい、と心の中でミツバに謝罪する。

うっすらと涙さえ浮かべて喜ぶ近藤にも小さくごめんなさい、と謝った。



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