※ミツバさんが絡んでくる話なので、閲覧の際はご注意ください。
最終的に土妙になります。土ミツを経ての土妙、という若干複雑なものになっているので、原作とご自身のイメージを崩されたくない方はブラウザバック推奨です。
「土方さん」
背中を塀にもたせかけ、煙草をふかす土方のもとに駆け寄る。
妙の声に、いつもの黒服を着た男がこちらを向いた。
男はくわえていた煙草を下に落として火をもみ消す。
「お待たせしました」
「いや。大丈夫だ」
無愛想にそう言うと、ちらりと妙を見やって自分が落とした吸殻を拾った。
それを見て少女はそっと笑う。
「よくできました」
「…チッ」
あやすような甘い声で男をほめると、ややバツが悪そうについと目をそらした。
吸殻を放置したまま行こうとした彼に、きちんと拾うように言ったのは妙だった。
何度も鉄拳制裁を加えていたら、最近になって妙が何も言わなくても拾うようになったのだ。
夜の街のネオンがちかちかと光る。
彼、土方が妙の職場に迎えにくるようになったのはつい1ヶ月前のこと。
あの日以来、土方はまるで償いのように自分を迎えにやって来る。
迎えに来てくれと頼んだわけじゃない。
けれどあの日から、彼はこうして毎日ここに来ているのだ。
そう思うと、ずきんと胸が痛んだ。
その痛みに気付かないフリをして、妙はただ笑う。
「帰るか」
「ええ」
会話とすら呼べない単調な言葉の投げ合い。
土方は優しく自分を見つめる。
その優しい瞳が今の自分には余計に辛かった。
それは、自分に向けられたものではないと知っているから。
土方の瞳はやわらかく、そして少しの切なさと翳りを帯びていた。
だから、気付いた。
彼が見ているのは自分ではなくて、彼女なのだと。
そう、妙は知ってしまった。
土方が抱える想いに。そして、その想いが向けられる相手に。
***
―1ヶ月前
妙が買い物から帰ると、土方は縁側の柱にもたれて眠っていた。
ぽかぽかと暖かい日差しが当たり、眠るには最適の場所だ。
買い物袋を台所に置いて、妙は土方の寝顔をそっと覗きこんだ。
眉間には相変わらず皺が刻まれていて、妙は思わず苦笑する。
土方がこうして家に来るのが当たり前になったのは、いつからだっただろう。
気づけば縁側は彼の指定席になっていた。
最初は土方もゴリラを探しに来たとか煙草を吸いに来たとか、様々な理由を掲げてここに来ていたのだが、いつの間にかそれもなくなり、毎日彼がここに来ることが日常になっていたのだ。
眠っている土方の隣に腰を下ろす。
隣からは規則正しい寝息。
珍しく寝入っているようで、妙は顔を緩めた。
「…と、とーしろう、さん」
土方の名前をぽつりとつぶやいてみて、恥ずかしさにひとりで赤くなった。
彼が眠っていることを確認する。
「…十四郎さん」
妙はもう一度、その名をそっとつぶやいた。
「十四郎さん、十四郎さん。…十四郎さん」
たっぷり3回繰り返して、少女ははにかむように微笑む。
妙が土方を"十四郎"と呼んだことは未だかつてなかった。
話すようになって随分たつし、仲は悪くない。
しかし、ふたりの関係はどこか曖昧だった。
言葉にするならば友人なのだろうが、何かが違う気がした。
恋人でもないのに、名前で呼ぶことなど出来るわけがない。
土方は妙のことを呼び捨てにするが、妙にはそれが出来ないでいた。
だから、本人が眠っている間だけでも、と妙はその名をそっと呼ぶ。
「十四郎さ」
もう1度繰り返し彼の名を呼ぼうとした時、急に強い力で引き寄せられた。
驚いて、とっさに声が出ない。
ぎゅうっと強く抱きしめられて、土方の顔すら見上げられなかった。
妙はだんだんと自分の顔が熱くなるのを感じた。
初めて感じた彼の体温は温かく、嬉しさと安心感が湧き上がってくる。
幸せだと、妙はそう思った。
土方に体を預け、目を閉じる。
煙草の匂いが妙の鼻孔をくすぐった。
「…ミツ、バ」
ぽそり、と呟かれた言葉に、妙ははっと目を見開く。
土方の口にしたのは、聞いたことのない名前。
熱かった自分の体からさあっと熱が引いていくのがわかった。
「ミツバ」
土方の抱きしめる力が強まった。
妙はそこから逃れようと身を捩じらす。
「…っ!」
土方がはっと我に返り、妙の体を引き離した。
「悪い…。俺今、何を」
「大丈夫ですか?」
めずらしくうろたえる土方に妙はにっこりと笑いかけ、自分の肩を掴む手をやんわりとほどいた。
「うなされていたから声をかけたんですけど、急に抱きしめられてびっくりしちゃったわ」
「…悪い。本当にすまな」
「謝らないで下さいな。寝ぼけてらしたんでしょう?」
謝る土方の言葉を無理やり遮って、妙は言葉を続ける。
土方は眉間に更に深い皺を刻んだ。
「そういえば、さっき外で沖田さんの声がしてましたよ。探されてるんじゃありません?」
「おい、妙」
「早く行かないと上司の面目丸つぶれですよ。あ、今度来るときはハーゲンダッツ忘れないで下さいね」
「おい」
「お気をつけて。お仕事頑張って下さい」
「妙」
何か言おうとしている土方の背中を押して、半ば追い出すようにして外へ出した。
土方は扉の前でしばらく妙の名を呼んでいたが、諦めたのかやがて黒い影は遠のいていった。
ぼんやりとそれを見送って、妙は大きくため息をつく。
「…馬鹿みたいだわ」
いつの間にか瞳いっぱいにたまった涙が、ぱたりと零れ落ちた。
***
あんなに泣いたのは久しぶりだったなあ、と妙は心の中で自嘲した。
半歩前を行く土方と妙と距離は変わらない。
その背中を見つめ、。妙は土方の言葉を思い出す。
“ミツバ”と彼は言っていた。
妙はその時悟った。
“十四郎さん”は“ミツバさん”のものなのだと。
自分は、入ってはいけない領域にふみこんでしまったのだ。
きっと、彼の大切なひとなのだろう。
そして恐らく、彼女にはもう二度と会えない事情がある。
あんなに切ない声を妙は知らない。
あんなに熱のこもった土方の声を聞いたことなどない。
錯覚してしまっていた。
土方の優しい瞳が自分に向けられているものだと、そう信じていた。
なんてことはない。
土方は自分を通して、彼女を見ていたのだ。
自分が"ミツバさん"にどこか重なる部分があったのだろう。
土方の瞳は、いつだって彼女に向けられていたのだ。
土方の想いに気付いてしまった今、そうとしか思えなかった。
勘違いしていた自分がたまらなく恥ずかしい。
悲しさと共に、言いようのない悔しさが妙の心の内にこみ上げる。
見たこともない"ミツバ"をうらやましいと感じずには居られなかった。
彼女を失った土方の苦しみや悲しさを思うよりも先に、彼女を恨む気持ちが妙の心の中に顔を出す。
なんて女だと妙は自分に悪態をついて、ごめんなさいとミツバに謝った。
どんなひとだったのだろう。
きっと、美しく優しいひとだったに違いない。
そんな素敵なひとと自分。
どこに重なる部分があるというのだろう。
声?顔?仕草?
考えれば考えるほど、妙の心は暗く沈んでいった。
悔しさからか悲しさからか、胸が苦しい。
「馬鹿みたい」
妙の小さな呟きは、土方には届かない。
半歩先から煙草の匂いがした。
その距離が縮まることはないのだ。
私の気も知らないで(あなたの目から見た私は、どう映っていたのかしら)
(さぞかし滑稽で、哀れだったに違いないわ)
title:灰の嘆き