お妙さん死ﾈﾀなので、苦手な方はﾌﾞﾗｳｻﾞﾊﾞｯｸして下さい。
閲覧の際は自己責任でお願い致します。







「お妙さァァァアァアァん!!」

叫びながら例の女に向かって行く近藤に、土方は思いきり眉をひそめた。
その後に響くのは上司の叫び声とドサリという音。

地面に倒れる彼の姿に普段のような威厳は存在しない。
彼は毎日、この光景を幾度も繰り返す。
殴り飛ばされ、どれだけボロボロになろうとも、近藤は志村妙を追いかけることをやめなかった。

男としてのプライドはないのかと苛立ちすら感じる。

「…おい」
「あら、土方さん」

近藤をのした本人は涼しい顔で笑ってみせた。
土方はまた眉を寄せ、心の中で舌打ちをする。

「アンタは何故近藤さんに靡かねェ」
「あなたなら、毎日毎日ストーカーまがいのことをされても好きになれると仰るんですか？」

妙は軽蔑したような瞳を遠くで倒れる男に向け、土方にそう言った。
チッと大きく、今度は聞こえるように舌打ちをして、土方は自分より少し下にある女の顔をきつく睨みつける。

「…いつもそんな顔をなさるのね」
「あ？」
「いいえ。では、失礼します」

丁寧に頭を下げ、妙はくるりと背を向ける。
土方はその後ろ姿を冷ややかに一瞥すると、倒れたままの近藤の元へと足を向けた。

一瞬、妙の顔が悲しそうに歪められたように見えたのはきっと気のせいだろう。

近藤が執心中の志村妙という女が、土方はどうしても気に入らなかった。
妙は確かに美しく、芯の強い女だとは思う。
沖田も山崎も、他の真選組の隊士達も妙を"姐さん"と呼び慕っている。
しかし、近藤がそこまで入れあげる程の女ではないという気がしてならなかった。

そもそも好かないのだ。
ああいうタイプの女は。
気が強く頑なで自分が一番正しいと思っているような。
質が悪い、と土方は腹立たしげにため息をこぼす。

「…近藤さん」

返事がない。
いまだ道端でのびている上司に、土方は思い切り眉を寄せた。

あんな小娘にこの男は何を期待しているのか。
妙の姿を見てから、土方の苛立ちは治まることを知らなかった。

「近藤さん、いい加減にしろ」

肩を揺すりながら、近藤の頭をはたく。
気を失っていてもどこか幸せそうなその顔に言いようのない怒りを覚えた。

どこがいいんだ。あんな女の。
アイツが現れてから、真選組はどこかおかしくなった。
リズムが違う。空気が、生ぬるい。
あの女さえいなければ、俺たちは今まで通りでいられたはずだ。
近藤さんも、こんな風になることはなかった。

仮にもかぶき町の平和を守る警察、真選組なのだ。
取り戻さなくては。威厳を、そして恐れを。
絶たなくては。悪の根元を。
全てを元に戻すのだ。

「トシ！」

呼ばれた名に、土方ははっと我に返る。
振り返ると、起き上がった近藤が不思議そうな顔で立っていた。

「何だ、どうしたんだ。ぼうっとして」
「…いや、何でもねェさ」

そうか、と近藤は痣のついた顔で笑った。

「いやー、お妙さんは相変わらず手厳しいな」

苦笑いしながら、それでも嬉しそうな近藤に、土方は曖昧に頷いて目をそらした。
眉間に刻まれる皺が深くなる。

「でも、やっぱりお妙さんは最高の女性だ」

"妙"という名に、土方はあからさまに表情を変える。
最高という言葉に反吐が出そうだった。

「…悪い夢を醒まさせてやるよ」

土方の小さなつぶやきに近藤は気付かない。
幸せそうに、優しく笑っていた。

真選組のため、近藤のため、そして、自分のために。

ひとつの決意を胸に固め、拳を握った。

＊＊＊

空には月が浮かび、暗い夜道をかすかに照らす。
土方はゆっくりと歩を進めながら、煙を吐き出した。

辺りに人の気配はなく、ただ静かな闇が広がっているだけだ。

この道は夜はもちろん、昼間も人通りが少ない。
そこは、他の誰でもない、妙が仕事帰りに通る道だった。

足を止めて月をちらりと見上げると、土方は塀に寄りかかる。
短くなった煙草を地面に落としてもみ消した。

目を閉じて、耳をすます。
どこまでも広がる静寂の中、遠くの方から砂を踏む音が聞こえた。

土方はじっと闇の中をねめつける。
すると、やがて浮かび上がる桃色の色彩。
獲物を見つけた獣のように、土方は目を細めた。

かすかだが、聞こえる足音。

ゆっくりと、だが確実に近づく桃色に刀を抜いた。


妙はいつもとどこか違う雰囲気に足を止めた。
その瞬間、カチリという音がして、背後に誰かが立った気配がした。

妙の鼻孔をくすぐったのは、昼間もかいだ煙草の匂い。

重苦しい黒い隊服を身に纏い、射抜くような強い瞳で自分を見つめる、あのひと。

「…土方さん、ですか？」

妙は振り向かないまま、後ろにいる人物に呼びかける。

「…わかるのか」

土方の驚いたような声に、妙は静かに微笑んだ。

「ええ。煙草はあなたのトレードマークのようなものでしょう？」

落ち着いた様子で妙は淡々言う。
自嘲ともとれる表情で土方は笑った。
月の淡い光が、刀に反射する。

「…真選組の副長さんが、こんな時間に何の用かしら？」

妙はいつもの調子で土方に問いかける。
その瞳には、脅えも焦りも見受けられなかった。

「…鬼退治だ」
「まあ、鬼の副長が鬼退治ですか」

くすりと妙は笑う。
肩を揺らす妙に、土方は眉間の皺を深くした。

「近藤さん、そして真選組の為に死んでくれ」

妙の首筋に、土方は刀を当てる。
くすくすという笑い声がおさまり、辺りに静寂が戻った。
背を向けているため土方に妙の表情は読み取れないが、恐怖ですくんでいるというわけではないということはわかっていた。

どちらにせよ、妙がなんと言おうと引くつもりなどなかったが。

「私の命は私のものよ。あなたたちの為にひとつしかない命を捧げるなんてお断りだわ」

ゆっくりと振り返り、妙は真っ直ぐに土方を見つめた。
恐れも、悲しみも、その瞳には映ってはいない。

だから嫌いなんだ、この女は。
土方は心の中で毒づいて一層きつく妙を睨みつける。

「…俺はアンタが大嫌いだ」
「ええ、知ってるわ」

当然とでも言うように、妙は答える。
土方は吐き捨てるようにチッと舌打ちを返した。

「真選組だとか、近藤さんだとか、そんなものの為に命をくれてやる気はないけれど、あなたの為なら、いいかもしれないわ」

妙の言葉に、土方は盛大に顔をしかめた。
妙はそれを見て満足そうに微笑む。

「好いている方の手で死ねるなら本望、って言うでしょう？」
「…正気か？」
「ふふ、おかしいんでしょうね。きっと。でも、少しも恐いと思わないの。これから殺されるかもしれないのに」

花が綻ぶように、妙は笑った。

＊＊＊

おかしい、と沖田は思った。
普段なら屯所にいるはずの憎い男がいないのだ。
それから、さっきから感じる、得体の知れない不安。
頭のどこかで警鐘が鳴る。
何だ、何があるというのだろう。

―――姐さん

沖田の不安の要因は、さっきから頭に浮かぶ、優しく笑う美しい少女。
どうしてか、妙のことが思い出されて仕方なかった。
もしかして彼女の身にあったのではないか。
そう考えると居てもたっても居られず、屯所を飛び出した。

彼女に会いに行こう。
この時間ならもう家にいるはず。
会って顔を見たら、このモヤモヤもきっとすっきりするだろう。

そう思い、一心に志村邸を目指した。
不安を振り切るように、ただ懸命に。

＊＊＊

土方は汗ばんだ手で刀を握り直した。
悠然と微笑む目の前の少女に畏れすら抱きそうになる。

「私を斬ったら、あなたは楽になれるのでしょう？」

土方が頷くと妙は穏やかに微笑んで土方の額に触れた。

「ここの皺がひとつでも減るなら、それで十分です」

曇りない笑顔を妙は土方に向ける。
土方は黙って刀を構えた。

「あなたは真選組と近藤さんの為という大義名分で私を斬る。私はそんな仲間思いの優しいあなたの為に死ぬ。そう思ってもいいかしら？」

くるりとした瞳で妙は土方に問いかける。
好きにしろと言うと、妙はありがとうございますと嬉しそうに笑った。

「…死んでくれと言いながらそんな顔をするなんて、ずるい人ね。本当に仕様のない人」

土方は何も答えない。
ただ黙って妙に対峙していた。

「そんなあなたにきっと惹かれてたんだわ。初めから」

土方が刀を構えて踏み込む。
それでも、穏やかに妙は笑っていた。

「大好きでした、土方さん」

妙がそう言い終わるのと、土方が刀を振り切ったのはほぼ同時だった。

土方の目の前で、妙がスローモーションのようにゆっくりと倒れていく。
ほとばしる鮮血に、隊服が濡れた。

トサリと音がして、妙が地面に倒れる。
その周りに、赤い鮮血が広がった。
甘い妙の血の匂いに、頭の芯がくらりと揺れる。

手にはまだ妙を斬った感触が残っていた。

―――大好きでした、土方さん

妙の最期の言葉が土方の耳でこだまする。
悟りきったような穏やかな笑顔に心がかき乱されるようだった。

「…ッ、クソッ！」

真選組のため。近藤さんのため。
間違った理由なんてない。
悪は絶ったんだ。
何を後悔する必要がある？
これで俺たちは元通りになれる。
以前のような、真選組に。

妙の周りに水たまりのように血が広がる。
うつ伏せの妙の体を起こして、抱き上げた。
触れた体はまだ温かく、傷がなければまるで眠っているようにも見える。
しかし、妙の命がそこにないことは紛れもない事実で。
じっと妙の顔を見つめ、頬についた血を隊服の袖で拭ってやる。

「…妙」

ぽろりとこぼれた少女の名前に土方も驚いて目を見開いた。
その名前に以前までの苛立ちは感じない。
むしろ優しく土方の耳に響いた。

―――大好きでした、

振り払うように首を振る。
自分が今どんな顔をしているかなんて見たくもなかった。

「…悪ィ。妙」

口をついて出てきた謝罪の言葉に土方自身も困惑する。
妙という名前がこれほど優しく響くものだとは思ってもみなかった。

―――本当に仕様のない人

妙の言葉がまた脳裏に蘇る。

ドクリと心臓が鳴った。

静かに目を閉じる妙の顔は、ひどく美しい。
もう二度と、この瞳が開かれることはないのだ。

胸に残るのは言いようのない虚しさと、鈍い痛み。
じくじくと胸に迫る痛みと苦しさは、いったい何なのだろう。

頬を伝う雫は、血か、それとも涙か。

「…妙」

暗い闇の中、月だけがかすかな光を放っている。
その月を見上げて、抱き上げた妙の冷たい唇に優しく口付けを落とした。

＊＊＊

たどり着いた志村邸に、妙の姿はなかった。
部屋を覗いてみても、いつもの縁側に行ってみても、妙はいない。

冷や汗が吹き出す。
沖田は額に浮かぶ汗を拭って、不安気に辺りを見回した。

嫌な予感がする。
言いようのない焦りと恐怖が沖田の体を支配していた。

「姐さん…っ！返事して下せェ！」

志村邸を飛び出して、暗い夜道を一心不乱に走り回った。
すまいるに行ってみてももう随分前に上がったと言われ、ぼんやりとした恐怖がくっきりと沖田の胸に迫る。

「どこなんでィ、姐さん…！嫌だ…嫌だ。返事、して下せェよ…」

ドクドクと頭に響く音がうるさかった。

大切なものが、知らない間に腕をすり抜けていく。
失いたくない。
もう、見送るなんてまっぴら御免なんだ。

「姐さんッ!!」

焦りが、恐怖が、底なしの悲しみに変わっていく。
最悪の結末が頭をよぎった。
その考えを振り払うように目をきつくつぶる。

「…姐さん」

掠れた声は、白み始めた空に吸い込まれた。
沖田は頬を伝う雫を乱暴に拭い、また走り出す。
まるで、押し寄せる不安と悲しみから逃げるように。


その日を境に、志村妙は歌舞伎町から姿を消した。





（何ひとつ変わらない毎日の中で、君だけがいない）



title:灰の嘆き






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