花の似合う人


※注意
真選組の平隊士のモブ男くん視点。
一番隊所属の木下佐吉という名前のモブ男くんです。
苦手な方はご注意ください。













うぅぅぅん、という唸り声が聞こえて、1番隊隊士木下佐吉は足を止めた。

開け放したままの障子から部屋を覗き見ると、近藤が何冊も雑誌を広げながらうんうんと考え込んでいる。
土方と沖田が同席しているが、二人の視界に近藤は入っていないらしい。
興味無さげに刀の手入れをしたり煎餅を齧ったり各々自分の時間を楽しんでいるように見えた。

机に広げられた雑誌は、明らかに女性もので、皆一様に『彼氏にもらうなら?ランキング!』といったプレゼントの特集ページが広げられている。

そのページを熱心に見つめる近藤の真剣さといったら。
近藤がこんなに一生懸命になる出来事と言えば一つしかないな、と木下は小さく嘆息する。
女性向けの雑誌を買い漁り、こんなにも頭を悩ませているとなれば、我らが真選組の未来の姐さん、志村妙嬢関連のことに違いない。

(あぁ、そうか。来週は姐さんの、)

「誕生日だ」

つい声に出してしまい、近藤と沖田が顔を上げる。土方は視線だけを寄越した。

しまった、と心の中で苦笑して、木下は失礼しました、と頭を下げた。

「ん?おぉ!木下か!どうした?」

満面の笑みで近藤に部屋に招き入れられ、木下は失礼します、ともう一度頭を下げる。

「沖田隊長を探していたんです」

例の件の報告書です、と木下は沖田に書類を渡す。
ご苦労さん、と煎餅を齧りつつ、沖田がそれを受け取った。

「で、木下ァ。何が誕生日だって?」

ニヤニヤと笑いながら、沖田が木下に問いかける。
やっぱり聞こえてましたか、と困ったように笑った。

「局長のその悩みっぷりは、姐さんの誕生日プレゼントのせいかな、と思いまして」
「いい勘してるじゃねェか」

ご明察〜、と沖田は木下に煎餅を手渡す。
ありがとうございます、と受け取って、一口齧った。

「何で木下がお妙さんの誕生日知ってるんだ!?ハッ、まさかお前…っ!」
「何馬鹿なこと言ってんだ近藤さん。屯所のカレンダー全部にでかでかと”お妙さんの誕生日”と書いて回ったのはアンタだろうが」
「カウントダウンカレンダーまで作ってやしたもんねェ」

呆れたように土方と沖田がそう言って、木下も苦笑する。
そうだったな、と言いながら近藤は豪快に笑う。

「それで局長、姐さんへのプレゼントは決まったんですか?」
「それがなァ、まだなんだよ!どうしよう木下!お前も一緒に考えてくれよォォォ!」

近藤の勢いにやや気圧されながら、木下は雑誌を覗き込む。

「うーん。そうですねェ…。姐さんはどんなのが好きなんですか?プレゼントするならやっぱり相手の好みに合わせないと」

アクセサリーにしても服飾品にしても、それぞれいろんな系統があって、好みによって随分別れるらしい。女性は大変だなぁと思いながらも、木下は雑誌の見出しをそれぞれ流し読んだ。

(本命から貰うなら、今流行りのジュエリーランキング、今イチオシ簪はこれだ…。うーん…。系統がバラバラだな…。ていうかこれ、彼氏から貰うこと前提なんじゃあ…)

局長これ…、と木下がおずおずと視線を上げると、近藤は目に涙を浮かべてぷるぷると震えている。ぎょっとして木下は身を引いた。

「は、え!?局長!?」
「お前いい奴だなァ木下!トシも総悟も見習ったらどうだ!こいつら冷たいんだ!」

がしりと肩を掴まれて、がくがくと揺さぶられる。落ち着いてくださいと宥めながら、隊長ォ、と沖田を振り返る。

「もう勘弁して下せェよ。毎日毎日何回同んなじ話聞いてると思ってんでさァ。ストーカーしてるなら姐さんの好みなんて一発でしょう。何のためのストーカーでさァ」
「いや、そうじゃねェだろ!」
「ははは…」

聞いたか今の!ひどい!なんて言う近藤を生温かい目で見つめながら、平和だなァ、と木下はしみじみと思う。
なんだかんだと言いながら、そんな局長だから、俺たちみんなあなたが好きなんですよ、と心の中で呟いた。

「まあ、ストーカーはほどほどにしといた方がいいと思いますけど、局長が頑張って選んだプレゼントなら何だって喜んでくれるんじゃないんですか」
「それはねェな」

間髪入れずに土方のツッコミが入り、木下はえ、と面食らう。
沖田がため息をついて続けた。

「木下ァ。近藤さんの姐さんに対する日頃の行動を思い返してみろィ。何渡したって突き返されるのがオチでさァ」

もう諦めなせェ、と沖田が近藤に言う。
やだ!やだもん!絶対お妙さんにプレゼントあげるもん!と駄々をこねる近藤。
土方の眉間の皺が深まる。

「なんだか思ったより前途多難みたいですね…」
「もう放っておくのが一番でさァ」
「気にすんな木下」

お前ら何でそんなに冷たいんだ、と近藤が喚く。
木下は煎餅を齧りながら、姐さんこと志村妙嬢のことを思い出す。

妙に対する木下の印象は、”超美人だが恐い”の一言につきる。
花見の一件もあり、「姐さんには逆らうな」という一種の決まりごとめいた事柄が、真選組隊士たちの間で暗黙の了解として出来上がっている。

(ほんと美人なんだけどなぁ…)

「あ、木下。お前今日姐さんの迎え頼まァ」

ぼんやりと煎餅の最後の一口を放り込んだ木下は、沖田から言われた言葉に目を見開いた。

「えっ、げほっ、は、沖田隊長、今なんて…」
「近藤さんも土方クソ野郎も俺も上の会議に出なきゃなんねェんで、すまいるにゃ行けねェんでさァ」
「誰がクソ野郎だこのドS野郎」
「山崎も今は別件で立て込んでるから、今日はお前が近藤さんの代理で行けよィ。死ね土方」
「俺たちゃ近藤さんのお守りみたいなもんだが、しばらくかかる。こんなしょうもねェこと頼むのもアレだが、頼んだぞ木下。死ね沖田」

死ね死ねと罵声の応酬を始めた沖田と土方を交互に見やって、木下はえ、え?と助けを求めるように近藤をみやる。

「すまんが頼んだぞ木下!代金は俺にツケといてくれ!」

代理で行く意味ってあるんですか、と心の中で問いかけながら、木下は頷く。
ちゃんと家まで送るだぞ、と念を押されて、はい、と返事をした。

「ついでにそれとなくお妙さんの欲しいものをリサーチしてきてくれ!」

あ、それが本音ですねと木下は冷めた目で近藤を見つめる。
そろそろ時間だと土方が言って、引きずられて行く近藤を見送りながら、木下はそっとため息をついた。


***


隊服だと目立つだろうと普段着に着替え、少しそわそわとした気持ちで木下はすまいるの入り口に立つ。
すまいるに来るのはこれが初めてではないはずなのに、妙に緊張していた。

(なんだこれ、なんでこんな緊張してんだ?ひとりで来るの初めてだからか!?)

心の中で木下はひとりごちて、ひとりでここに来るのは初めてか、と改めて思い至る。
近藤や沖田の付き添いとしてなら何度も訪れたことがあったが、自分ひとりだけでここに来るのは初めてだった。

看板を見上げて、深呼吸する。
落ち着けと言い聞かせ、店の扉を開けた。

「いらっしゃいませ。ご指名は?」

ボーイがやってきて、木下に問いかける。

「あっ、姐さ、じゃない。お妙さんを」

お妙ちゃんですね、とボーイはにこりと笑って、8番テーブルお妙ちゃん指名入りまーす、と高らかに言った。

ご案内します、とボーイに促され、木下はそわそわとしながら後に続く。
そこかしこから聞こえる楽しそうな笑い声が自分の心臓の音を隠してくれるようで、木下はほぅと息をついた。

「では、少しお待ちください」
「は、はい」

案内されたテーブルに腰掛けて、木下はパラパラとメニューをめくる。
とりあえず水割りでいいかと妙が来るのを待った。
一対一で話したことなんてほとんどないのに、自分が真選組隊士だと信じてもらえるだろうかと木下は急に不安になる。
近藤がいなくとも沖田や土方が一緒なら信じてもらえるだろうにとそっと肩を落とした。

「申し訳ありません、お待たせいたしました」

綺麗な声がして、木下ははっと顔を上げる。

「ご指名ありがとうございます。お妙でございます」

妙は失礼しますと木下の隣に腰掛ける。
名刺を渡されて、慌てて受け取った。

「こういうお店は初めてですか?」

そう聞く妙の声は優しい。
どのタイミングで名乗ればいいのか、木下は内心オロオロと焦った。

「初めてではないんですが、久しぶりなもので…」
「まあ、そうなんですか。とりあえず、何かお飲みになりますか?」
「そ、そうですね。お妙さんは何がいいですか?」

何気無くそう聞くと、妙は少し驚いたような顔をして、そうね、と嬉しそうに笑った。

「ドンペリ、」
「へっ!?」
「ふふ、冗談です。正直な方。あなたのお好きなお酒を頼んでくださいな」

そう言って笑った妙に見惚れて、木下は頬を染める。

(姐さんがそんな風に笑うところは初めて見たな…)

可愛い。すごく可愛かった。
ドキドキと高鳴る胸を誤魔化すように、とりあえず芋の水割りで、と告げる。
はい、と綺麗に微笑んだ妙はやっぱり可愛かった。

テーブルに届いた酒をちびちび飲みながら、木下はいつどこで近藤の代理だと切り出せばいいのか頭を悩ませていた。

「今日はお仕事帰りですか?」
「え、ええ。まあ…」

歯切れの悪い返事を返しながら、気を利かせて話を続けようとしてくれる妙をちらりと盗み見る。

(…やっぱマジで美人だよなァ)

この細腕でいつも近藤を投げ飛ばしているとは思えない。どこにそんな力があるのかと疑いたくなる。

「あの、」
「はい」
「お妙さんは、その、今欲しいものとかありますか?」
「えっ?」

名乗れないならいっそそれだけでも聞いてしまおうと、木下は酒を呷って妙にそう聞いた。
妙は木下の空いたグラスに新しい水割りを作って、そうねぇと考え込む。

「私に何か、プレゼントでもしてくださるの?」

いたずらっぽく笑って、妙は木下を真っ直ぐに見た。
黒目がちな妙の瞳は大きくて、木下の心臓を揺さぶるには十分だった。

「えっ、あっ、いや、その…、あのですね。うちの、その、妹がもうすぐ誕生日でして、遠方にいるものだから、何か送ってやろうかと思ってるんですが、女性の好みというのにはどうも疎くて…」

我ながらなんて苦し紛れな嘘なんだろうと泣きたくなった。
赤くなる頬を誤魔化したくて、ぐびりと酒を飲む。

「優しいお兄さんなんですね。妹さんはお幾つなんですか?」

そう問われ、咄嗟に十八です、と嘘をつく。妹がいるなんて嘘ですごめんなさい姐さんと心の中で謝り倒した。

「まあ、私と同じ年ですね」

何がいいかしら、と妙は素直に考え込む。罪悪感で胸が少し痛んだが、このまま答えてくれれば近藤にいい土産ができると木下は自分に言い聞かせた。

「お、お妙さんの今欲しいものを教えてください」
「私の?」
「はい、お妙さんの、」

妙が口を開きかけたその時、突然グラスの割れる音がして、キャアァという甲高い悲鳴が上がる。
木下は咄嗟に刀を確認した。

「ごめんなさい、少し待っていてくださいね」

妙はさっと席を立って走り出していく。
姐さん、と木下は焦ったように呼ぶが、妙は止まらない。
そういえば、妙は店の用心棒のような役割も担っていると近藤から聞いたことがある。
確かに妙は強い。そんじょそこらの男であれば、妙が勝つだろう。
でも、でも、万が一ということがあれば?
そこまで瞬時に考えを巡らせて、木下は妙を追いかける。

自分も真選組隊士の端くれだ。そこらの男よりも鍛錬を重ね、死線もくぐり抜けてきた。妙一人守れるくらいの実力はある。
元より、近藤の代理で来ているのだ。その間に大事な姐さんが怪我でもしたらただでは済まされない。
妙に焦る気持ちを木下はそう納得させ、騒然となった店内を駆けた。

「なんでィ俺の酒が飲めねェってェのか!?」

強かに酔った様子の男性客が、ホステスの腕を掴み上げる。
止めようとしたボーイを乱暴に投げ飛ばして、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
今にも崩れ落ちそうなホステスはただただ悲鳴を上げるだけだ。


「お客様、ホステスへの乱暴はおやめください」

お妙ちゃぁん、と涙声で妙を呼ぶ。

「その子を離してください。私があなたのお相手を努めます」

妙と自分の近くのホステスを見比べて、男は乱暴に掴んでいた腕を離した。
尻餅を着きそうになった彼女を妙が受け止める。

「大丈夫?」
「お妙ちゃん、ごめん、ごめん、私…」
「気にしないで。大丈夫よ」

泣き崩れる同僚の背を落ち着かせるようにぽんぽんと叩いて、近くにいたボーイに引き渡す。

近づいてきた男と対峙して、妙はきつく男を睨みつけた。

「ここは楽しくお酒を飲む場所です。それが出来ないならどうぞ他へ」

ぴくりと眉を吊り上げて、男は妙の顎を掴む。妙は顔色も変えずに男を睨みつけた。

「上玉だが口が過ぎるんじゃねェか?俺ァ生意気な女は嫌いなんだよ!」

妙はぐっと拳を握る。
男が帯刀していた刀に手をやったその瞬間、キラリとした刀身が男に向いた。

「そこまでだ」
「あァ!?」
「お前が今その刀を抜いたらどうなるか、酔い潰れた頭で考えてみろ」

紛れもない本物の殺気を向けられ、男の威勢が尻窄みに小さくなっていく。

「それとも、それを分かっての行動か?」

刀の切っ先が男の喉に触れる。
無様にもカタカタと震え出した男を冷えた目で見据えて、木下は男の腕を掴んだ。

「それから、その汚い手をどけろ。この人はお前が如きが気安く触れていい人じゃない」

木下が掴んだ男の腕がみしりと嫌な音を立てる。
ヒィィと情けない声を出して、男は妙から手を離し、一目散に出口へと逃げていった。

カチリと刀を鞘に戻し、木下は妙に大丈夫ですかと問いかける。
妙は目を丸く見開いて、えぇ、と頷いた。

そして、響いたのは拍手喝采。

「やるねェ兄ちゃん!」
「お妙ちゃんもカッコよかったよ!」
「でもお妙ちゃんあんま無茶しないで!肝が冷えたよ…」
「いや〜いいもん見せてもらったわ」

同僚がわっと妙に寄って来て、大丈夫かとしきりに問いかける。
最初に男に腕を掴まれていた娘も、目を真っ赤にして妙と木下に礼を言った。

「ごめんね、ごめんねお妙ちゃん…。私のせいでほんとにごめんね…。怖かったよね…!」
「もう、泣かないの。私なら平気よ。何にも怪我したりしてないわ。助けてくださったし」
「本当に本当にありがとうございました。お妙ちゃんを助けてくれて、本当にありがとうございます…あれ?」
「あら…」

そこに木下の姿はもうなく、手近なテーブルの上に代金と”今日はありがとうございました。あなたと話せて楽しかった”と書かれたメモ。
かっこいいわねェ、とおりょうがひゅうと口笛を吹いた。


***

「カッコつけすぎたかなぁ…。いやでも、なんかあのままあそこにいるのもちょっと気まずかったし…」

皆が騒いでいるどさくさに紛れて店を後にした木下は、ぼんやりと屯所を目指していた。

自分よりもずっと大きな男に臆せずに立ち向かっていった妙。怯える素振りも見せず、真っ直ぐに男を見据えていた。

「カッコよかったなぁ…」

妙の同僚である娘は、男に腕を掴み上げられ、震えて泣いていた。
きっとあれが、普通の反応なんだろう。
普通の娘は、泣いて怯えて、誰かが助けてくれるのを待つ。
それが悪いことだとは言わない。そういう女性の方が庇護欲をそそるという男は多いし、実際そういう女性の方が大多数を占めるに違いない。妙のように立ち向かえる女性というのは、本当にごく稀だろう。女の癖に生意気だというような男もいる。

でも、

(俺たちの姐さんになる人なら、)

どこまでも強く、凛々しく、美しい、

(あの人じゃないと、嫌だ。)

木下は逸る心を抑え切れず、笑みがこぼれた顔を隠すように片手で覆った。

自分が属する一番隊の隊長が、”姐さん”と呼び慕う人物。
あの選り好みの激しい、こと近藤さんの相手となれば実にシビアなあの隊長が、”姐さん”と呼ぶことを認めた女性。

近藤が全てを投げ打つ勢いで愛を捧げ、自身の尊敬する沖田が”姐さん”と慕う妙という人が、それほどの価値のある人物なのか、本当は疑っていた。ろくに話したこともなかったけれど、美人だけどやけに恐くて気の強いじゃじゃ馬娘、という印象を拭えずにいた。
でも、今日、初めて二人で話をして、ああやって誰かを守るために飛び出していった妙を見て、木下の中での妙のイメージは一変した。

(最高ですよ、隊長。やっぱりなんだかんだ言ったって、局長と隊長の目は正しかったんですね)

俺たちの姐さんスゲェ!と木下はぽつりと呟く。

走り出したくなる気持ちを抑え、木下は小走りで屯所を目指した。
そうして屯所まで目と鼻と先となった時、はっと思い出す。

「しまった!俺、ちゃんと家まで送れって…っ!」

木下は慌てて踵を返す。
かっこ悪すぎだろ、と顔を赤くしながら、もう一度すまいるを目指した。


***


店の裏口の前で木下は上がった息を整えながら妙が上がるのを待った。
妙が来るまで手持ち無沙汰ではあるが、カッコつけて出て行った手前、今更のこのこ店内に戻るのも恥ずかしい。
近藤も今日は妙は早番の日だと言っていたし、今からならそんなに待たなくても大丈夫だろう。
冬じゃなくて良かったと木下は空を仰ぎ見る。
江戸に来たばかりの頃はこの街の喧騒が耳について仕方なくて、怖かった。
随分慣れたものだなとしみじみと木下は思う。

そうこうしているうちに店の裏口が空いた。
妙かどうかこっそり確認するつもりで顔を上げると、そこにいたのはショートカットの女性で、ぱちりと目が合う。

「あれ?さっきの…」

やばいバレたと木下は咄嗟に俯く。
しかしこのまま黙っていたら明らかに不審者だ。変なストーカーと間違えられたら大変だと自分に言い聞かせ、木下は思い切って顔を上げる。

「あの、」
「お妙の迎え?」

その言葉に、木下は面食らう。はい、と思わず頷いた。

「お妙〜、早くおいでよ」

店内へと呼びかけると、おりょう待って、と妙の声がした。
おりょうさんというのか、と木下は目の前の女性を見つめる。

「お兄さんカッコ良かったよ〜。お妙のこと助けてくれてありがとう」
「…いえ、自分は当然のことをしただけですから」

おりょうは木下の答えに満足そうににこりと笑みを浮かべると、後はよろしくお願いします、とスタスタと歩いていってしまった。

「えっ、あの…っ」
「ごめんね!お待たせ、おりょう…」

ぱちぱち、と妙は二回瞬きをする。
気まずいウワァァァァと木下は心の中で絶叫しながら、どうも、とぎこちなく頭を下げた。

「あ、おっ、おりょうさんは先に帰られました。お、お急ぎだったみたいで、」
「…さっき私を助けて下さった方ですよね?」
「えぇと、あの、はい…」

耐え切れなくなって、送りますから、と木下は背を向けた。
ついて来てくれるのか不安で、ちらりと後ろを振り返ると、妙は黙って木下の後ろをついて来る。
そのことにひとまず安堵して、木下は黙って歩き続けた。

ネオン街を過ぎ、街の喧騒から少し遠ざかった頃。
半歩後ろを歩く妙を気にしながら、木下はゆっくりと歩く。
話しかけるタイミングを失ったまま歩き続けて、帰路の半分を過ぎた。

大橋の前に差し掛かり、二人分の体重が橋を揺らす。

「…あんな男ボコボコにするくらい、楽勝だったんですよ」

丁度、橋の真ん中を過ぎたあたり。

ぽつりと妙が言う。
木下は振り返って立ち止まった。困ったように笑って、そうですよね、と頭をかく。

「…守ってもらわなきゃいけないほど弱くないわ」

妙の声が思いの外悔しそうで、木下は思わず口を噤む。
志村妙という目の前の娘は可愛げのない女だと、確かにそう思う。
お転婆という一言で済ませてしまうにはいささか凶暴すぎるほど、妙は強かった。

でも、と木下は妙を見る。
拗ねたように下を向く妙をじっと見つめて、次の言葉を待った。

「…可愛げのない女でしょう。あなたたちもうんざりでしょうに。近藤さんにも困ったものね」

独り言をつぶやくように言って 、妙は嘆息する。

「迷惑ですって何回言っても聞かないの。どれだけ殴っても向かってくるし」
「え…」

また妙が小さく呟く。肩をすくめて、妙はゆっくりと顔を上げる。
ぱちりと目が合って、木下はドキリともギクリとも言えない音で身を固くした。

「…先程は、本当にありがとうございました」

妙が深々と頭を下げた。

「えっ!?ちょ、顔上げて下さいっ」

妙はふるふると首を振る。

「あのまま私が相手をしていたら、きっともっと大事になっていたと思います」

あなたが止めに入ってくれて良かった。

そう言って、妙は顔を上げる。
柔らかく笑みを浮かべて、木下さん、と呼んだ。

「えっ、姐さん、俺の名前…っ」
「沖田さんと一緒に、よく家にいらしていたでしょう。ごめんなさい、お名前、違ったかしら?」
「いいえ!そうです、俺、木下です。まさか覚えてもらってるなんて思ってなくて…」

照れたように頭をかく木下を妙は良かった、と言って見つめる。

「綺麗な花ですねって」
「え?」
「この間、家に来た時、綺麗な花ですねって言ってくださったでしょう。それが嬉しくて」

妙の瞳は優しい。
木下はふっとその日の出来事を思い出した。
近藤を回収がてらの見回り中に姿を眩ました沖田を探して、志村邸へ赴いた。
案の定そこには既にのされて気絶している近藤と、呑気に茶を啜る沖田の姿があって、思わず嘆息した。
沖田に遅かったな、なんて言われながら近藤を揺すり起こした。
その時視界に鮮やかな色彩が写って、思わず呟いたのだ。
『綺麗な花ですね』と。

そんな些細な一言を覚えていてくれたことが素直に嬉しくて、木下は自然に笑顔になる。
そうでしたね、と返した。

「確か、桔梗でしたよね」
「ええ。覚えていてくださるなんて」

嬉しい、と笑う妙は普段よりも幼く見えて、木下はどきりとする。

「実家で花をよく育ててたもんで、花が好きで…。昔は男のくせにってよくからかわれてました」
「まあ、そうだったんですか」

素敵ですね、と妙が優しく微笑む。

「綺麗な品種だからっていただいて、種から育てたものだから、嬉しかったんです」

だから、木下さんは特別。

そう言って、妙はいたずらっぽく笑った。

(ウワァァァァ可愛いィィ!!!なんだこのギャップ!!これは落ちる…!局長が落ちるのも、副長がなんだかんだ甘いのも、隊長が懐くのもわかる気がする…!)

「そういえば、お店で聞かれた質問、まだ答えていませんでしたね」

質問?と問い返しそうになって、『お妙さんの今欲しいものを教えてください』と聞いたことを思い出す。
教えてくれるのか、と木下は正面の妙を見た。

「なるべく、お金のかからないものをお願いしますとお伝えいただけますか」
「え?」
「近藤さんに頼まれたんでしょう。何が欲しいか聞いてきてくれとか」
「はははは…」

姐さんまじスゲェと木下は心の中で叫ぶ。

「お金がかからないって言ったって、記入済みの婚姻届とかそういうのは困りますから」
「局長がいつもすみません…」
「困ったものだわ。いりませんって言ったって聞いてくれないんですもの」

いい加減迷惑してるんですよ、と妙は怒ったように言ってみせる。
あなたたちも大変ね、と笑った。

「木下さん」
「はい」
「ひとつ、お願いをしてもいいかしら」
「はい、何でもどうぞ!」
「じゃあ、ひとつだけ…」

橋の真ん中で、二つの影が近くなる。
細い月と星が、二人を見下ろしていた。


***


「お妙さァァァァァん!!お誕生日おめでとうございますぅぅぅ!!!」

そう言って花束と共にダイブした近藤の鳩尾に、妙は綺麗なストレートをお見舞いする。
投げ出された花束だけを受け止めて、妙は少し乱れた着物を正す。
力無く、しかしどこか満足そうに地に伏した近藤に土方は深いため息をついて、沖田はひゅうと口笛を吹いた。

「相変わらず容赦ないですねェ。見事なストレートでさァ」
「うふふ、お褒めに預かり光栄です、とお返ししておきます」
「はぁ…。ほんとにこの人は…」

綺麗な笑みを浮かべる妙に、土方は眉間の皺をさらに深くする。
増えるため息に煙草が進む。

「誕生日おめでとうでさァ、姐さん。これは近藤さんから、こっちは真選組一同からでさァ」

近藤からの小さな包みと、真選組一同とかかれた大きな段ボール。

「まあ、いいんですか?こんなにたくさん」
「中身はダッツでさァ。芸がなくて面目ねェ。でも姐さん好きでしょう?」
「ええ、とっても!ありがとうございます」

ご機嫌になった妙に、土方と沖田は顔を見合わせる。ひとまずはこれでOKだと言わんばかりに土方が小さく頷く。

近藤からという小さな包みを、妙はじっと見つめる。
開けてもいいかしら、と土方に問いかけて、包みを開いた。

「まぁ…」

包みの中で咲く、白と紅色の美しい菊の花。見る角度によって淡く色合いを変える。その美しく精巧な造りに、妙も思わずため息を漏らした。

「こんな高価なもの、いただけないわ…」

妙は困ったように眉を下げる。

「そう言うと思いやしたぜ」
「…受け取ってやってくれ」
「その簪、近藤さんと土方と俺とで一緒に買ったんでさァ。ちょっと貧乏くせェ買い方でカッコつかねェんですが、受け取ってもらえやせんかねェ」

返されても困りやすから、と沖田が言って、妙はますます眉を下げた。

「”なるべくお金のかからないもので”って言ったんでしょう」
「え?」
「木下から聞きやした。姐さんにとってあんまり重たくなくて、でも実用的に使えて、ぱっとしたもんってェと簪くらいしか思いつかなかったんでさァ」
「日頃の迷惑料も兼ねて、受け取ってくれないか」

土方がそっと簪を手にとって妙の髪に掲げる。

「アンタの黒髪に、この色はよく似合う」

珍しく穏やかに細められた土方の瞳に、妙の頬が赤く染まる。
ありがとうございます、と小さな声で呟いて、妙が微笑んだ。

「あァ。おめでとグァっ」
「何かっこつけてんでさァ。腹立つ死ね土方!」
「ッテェな!何しやがんだ総悟!」
「あ、姐さん!今度これで一緒にケーキバイキング行きやしょうぜ!」

土方を挑発しつつ、沖田は妙の手にチケットを握らせる。ありがとう、と言う暇もなく、沖田と土方の危険な追いかけっこが始まった。

「あーあ。やっぱり始まっちゃってましたか…」

突然聞こえた声に、妙は驚いて顔を上げる。
こんにちは、と穏やかに微笑む見知った青年に、妙も頬を緩めた。

「木下さん。こんにちは」
「勝手にすみません。賑やかだったから、こっちかと思って」
「構いませんよ。丁度どなたに連絡しようか考えていたところでしたから」

じゃあ丁度良かった、と木下は笑って、はい、と妙に包みを手渡した。

「誕生日おめでとうございます。これは俺から姐さんに」

局長たちには内緒ですよ、といたずらっこのように笑って、木下は頬をかく。
開けてもいいですか、と聞くと、はい、と嬉しそうに言った。

包みを開けると、そこにあったのは”菊”と書かれた小さな袋と金平糖の入った小瓶だった。

「俺からは本物と、それだけじゃあんまりかと思ったので金平糖を。すみません、子供っぽかったですね」

どこかしゅんとしてそう言う木下に、妙は大きく首を振る。

「嬉しいです。とっても。ありがとう木下さん。大事に育てますね」

大事そうに包みを抱きしめて、妙は続けた。

「金平糖大好きなんです。昔父上に買ってもらったとき、勿体無くてなかなか食べられなかったんですよ」

ありがとうございます。無理なお願いをしてごめんなさいね。そう言って妙は申し訳なさそうに眉を下げる。

あの夜、帰り道に妙が言った言葉。

『木下さんが育てた花の種を分けていただけませんか』

そう耳打ちされ、木下は江戸に来るまで丹精込めて育てていた菊の種をあげることに決めたのだ。

ささやかなプレゼントだが、喜んでもらえたなら嬉しいと木下は言う。
嬉しいわ、と微笑む妙を眩しそうに見つめた。

「…俺たちの姐さんは、あなたであってほしいと、俺は思います」

え?と聞き返した妙に、木下は何でもありませんと笑う。

「副長!隊長!そろそろ時間ですよ!」

鬼ごっこを続ける二人に向けて、木下は叫ぶ。
未来の俺たちの姐さんがこの人でありますように、と心の中で強く願った。




(高潔、誠実、清浄)
(貴女でないと、嫌なんです)





title:Discolo






2014年お妙さん誕生日記念!
まさかのモブ語りで失礼いたしました。需要?ないってわかってた!←
真選組隊士の「姐さん」呼びが好きで、今回は真選組贔屓で平隊士くんに頑張っていただきました!真選組の平隊士の間でのお妙さんのポジションが気になって、妄想をぶっこんでみました。書けて大満足です!^^←



 

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