「泣きたいときは無理に笑わないで」


いってきますと出掛けていった新八を姿が見えなくなるまで見送って、妙は漸く振っていた手を下ろす。
ふぅ、と自然に口からため息が漏れた。

ここのところ休みを先延ばしにして働き続けていたせいか、身体が妙に疲れていた。
熱っぽいわけではないし、頭痛がするわけでもないので風邪ではなさそうだが、身体がだるい。

「…疲れてるのかしら」

体調を崩した同僚の代わりを務めると言い出したのは自分だ。
このくらいで音を上げるほどやわではない。
少し疲れが出ているだけよ、と自分に言い聞かせ、妙は唇を引き結ぶ。

いってきますと出掛けて行った新八の笑顔を思い浮かべ、新ちゃん、と心の中で呼びかけた。
新八に余計な心配はかけたくない。新八が帰るまでにはいつも通りの自分でいなければ、と妙は決心したように前を向く。

「家事、片付けなくちゃ…」

確かめるようにそう呟いて、妙はすっと背筋を伸ばす。
やるべきことはまだたくさん残っているのだ。

***

あらかたの家事を済ませ、妙はほっと一息つく。
お茶を淹れて、一口啜った。

「どうしてかしら…」

身体の倦怠感が抜けない。疲れた、と口をついて言葉が出そうになる。

『お妙さん』

ふと頭にちらついた黒髪を追い払うように首を振って、またため息をついた。
互いに忙しい時期が重なり、最近はめっきりと会える時間が減っていた。
会いたい、なんて呟きそうになって、妙は慌てて首を振る。

寂しい、会いたい、なんて、そんなこと。
まるで自分がか弱い女の子になったようで嫌だった。
会いたくない、と小さく言い直して、妙は唇を噛む。
今会ってしまったら、いろんなものが溢れ出てしまいそうで、妙はもう一度ゆっくりと首を振る。

「しっかりしなくちゃ…」

ぽつりと呟いて、ぎゅっと湯のみを握りしめた。


***


ピンポンと玄関のチャイムが鳴って、妙ははっと我に返る。

どれくらいぼうっとしていたのか、さっき入れたばかりのはずのお茶はすっかり冷めていた。
いけない、と妙は軽く頬を叩く。

玄関に向かう道すがら、いつも通りの笑顔を顔にのせる。
身体を支配する倦怠感に気付かないフリをして、妙はにっこりと笑みを深めた。

「すみません、お待たせいたしました」

笑顔を向けた先にいた男に、妙は内心で顔をしかめる。
男は見知った黒服で、でも出来れば今一番会いたくない相手だった。

「こんにちは、お妙さん。手土産持ってきたよ」

久しぶり、と男は笑う。
山崎さん、と妙は戸惑ったような声で男を呼んだ。
うん、と頷く男はにこにこ笑っている。
”会えて嬉しい”と言われているようで、妙は男のこの笑顔が苦手だった。

「上がらせてもらってもいい?」
「ええ、もちろん。でもごめんなさい、今何もないんです…。お持たせになってしまいますけど…」
「そんなこと気にしないよ。こっちはただの口実だからね」

こっち、と言いながら、山崎は手土産の袋を掲げて見せる。
会いたかったんだ、と今度こそ山崎は口に出す。私もです、と口に出すとなんだか泣いてしまいそうで、妙は曖昧に微笑んで見せた。


***


山崎が手土産にと持ってきた和菓子は最近出来たばかりの甘味屋のみたらし団子で、なかなかにおいしかった。

お店にはパフェなんかもあるらしいよ、と山崎が言う。
そうですか、と妙が相槌を打つと、今度一緒に行こうね、と笑った。
妙はやや頬を赤く染めて、ええ、と微笑む。

今日の山崎はなんだかおかしい、と妙はお茶の準備をしながらこっそりと首を傾げた。

寡黙な人ではないが、こんなにストレートに好意を口にする人ではなかったはずだ。
調子が狂う、と妙はきゅっと唇を噛む。
自分が普段通りなら良かった。
そうすれば、まだ可愛げのある反応が出来たかもしれないのに。
はぁ、と口をついてため息が漏れて、妙は慌てて笑顔を作る。

どうぞ、とお茶を出してやると、山崎はありがとうと湯のみを受け取った。
いつもより少し気まずい沈黙。
妙はそっと視線を落とす。

すると、コトリ、と音がして、影がさした。
妙が何気無く視線を上げると、真剣味を帯びた山崎の瞳とぶつかる。

「…っ、」

驚いて身を引こうとして、やんわりと腕を掴まれた。

「時間切れ」
「え?」
「本当は、お妙さんから来てくれるの待ってたんだけど、これ以上は俺が我慢できない」

そっと、両手で頬を包まれる。
少しかさついた山崎の手は温かい。じんわりと伝わってくる温もりに妙は思わず俯いた。

「お妙さん」

視界がぐらぐらと揺れる。
張り詰めていた心のどこかがぱちんと弾け飛びそうで、妙はぐっと唇を噛みしめる。

こっち向いて、と上を向かされて、妙はいよいよ我慢の限界だった。

堪えきれなくなった涙がぽろりぽろりと妙の頬を滑り落ちて、山崎の手の平を濡らす。

「…はい、俺の勝ち」

愛しげに目を細め、山崎は親指で妙の涙を拭う。

「お疲れさま。よく頑張りました」

手を引かれるまま山崎の腕の中に収められ、妙はほうと長い息をつく。

同僚の阿音と言い争いになって店長にお小言を食らった。
店の子に過ぎたいたずらをした客と大立ち回りをして、客から暴言を吐かれた。
最近入ってきた新人の子に陰口を言われているのを聞いてしまった。
新八と小さな口喧嘩をした。

「疲れたね。お妙さんは毎日良く頑張ってるから」

ぽんぽん、と背を叩かれて、妙はいよいよ涙が止まらなくなる。

阿音との言い争いはいつものことだし、いたずらをした客にはさらに制裁を加えた。新人の件に関しては、おりょうと阿音が反撃してくれたし、新八とは仲直りした。

全部全部、うまくいっているのだ。
なのに、なのに、どうして。

「…っ、ふ」
「最近全然会いに来られなくてごめんね」

申し訳なさそうに告げられた言葉に、妙は首を振る。
そんな妙を困ったように見つめて、山崎はお妙さん、と優しく呼んだ。

「可愛げがあるとかないとか、そういうことじゃないんだ。俺は”お妙さん”だから、俺に寄っかかって甘えて欲しいと思うんだよ」

山崎の言葉に、妙は喉を詰まらせる。
我慢しきれずに嗚咽が漏れた。
どうしてこの人は欲しい言葉をくれるんだろう、と妙は悔しくて山崎の隊服を強く握る。小さく、ずるいわ、と呟いた。

この人のこういうところが苦手だ、と思いながら、妙は優しい腕に身を任せて目を閉じた。










(そう言って彼は優しく髪を撫ぜた)


Title: a dim memory




お妙さんだってこういう時はあるだろうなと、男代表で山崎に頑張ってもらいました。
銀さんはあんまりこういうことしそうなイメージがなくてボツ。沖田さんはどっちかというとお妙さんにされる側かなと思ってボツ。土方さんでも良かったんですが、お妙さんをよしよしさせようとするとちょっと違う気がしたので山崎にしました。相変わらず山崎に夢見てますが、書けて満足です(`・ω・´)



2014,November



 

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