なにもいらないから、かえして


※流血、死ネタ注意
吉岡太一という名前の付いたモブ男さんが出てきますので、苦手な方はご注意ください。
彼は敵側の人間という設定です。














確かに感じた、肉を断つ感触。
飛び散った鮮血が頬を濡らす。
血の匂いに混じって香った、花のような甘い香り。
儚げな微笑みを浮かべた彼女が倒れるのを、ただただ呆然と見ていることしか出来なかった。

吉岡が悲痛な声で妙を呼ぶ。

自分の腕の中に倒れ込んだ妙を力なく受け止めて、そのまま座り込んだ。

どうしてそんなに優しい顔が出来るのかわからなくて、何も言葉が出なかった。

妙の顔を、着物を汚す赤い血。

呼吸が止まりそうになる。

吉岡の泣きそうな叫び声が鼓膜を揺らす。
その声に割って入るように、山崎の声が聞こえた。

「姐さんっ!!!」

そういえば、山崎のこんなに悲しい叫び声を聞くは初めてだな、と妙に醒めた頭のどこかで、考えていた。


***


「女が逃げた」

動揺しそうになる自分をなんとか抑えて、吉岡はうつむいたまま指示を待つ。

「追え。抵抗するなら消しても構わん」
「ですが、」

つい口をついて出た言葉に、リーダー格の侍がきつい視線を寄越す。

「何だ。貴様、女は斬れぬとほざく口か?」
「…いいえ。承知しました」

絶対に逃がすな、という鋭い声が吉岡の背を叩く。
はい、と短く返事をして、その場を後にした。

まだ悟られてはいけない。
まだ、彼女をここから出すまでは。

(お妙さん、どうか無事でいてください…!)


***


随分と走った。
でも、立ち止まるわけにはいかない。
逃がしてくれた彼の為にも、誰にも見つからずにここを出るのだ。

薄暗い廊下を突き進み、広間を通り、縁側から庭に降りる。
月明かりが眩しい。空に浮かぶ月は満月に近い形をしていた。

「今夜はいい月だなァ」

突然聞こえた声に、妙ははっと身を固くする。

「月にでも帰るつもりかァ?」

くつくつという特徴的な笑い声。
逃げなくてはと思うのに、焦る気持ちに反して足は動いてくれない。

雲から顔を出した月が庭を照らす。
艶やかな着物を身に纏い、隻眼の男が縁側でゆるりと煙管をふかしていた。

頭の中で警鐘が鳴り響く。
心臓の早鐘が脳内を揺らした。

静寂が落ちて、月が陰る。

そして、ざり、と砂を踏む音が静寂を破った。

「っ、」

吉岡さん、と妙は目を瞠る。
高杉の姿を認め、吉岡は苦渋の表情で刀を妙に向けた。

「そこまでだ。志村妙」

吉岡の刀身が光る。
対峙する妙と吉岡を、高杉は静観していた。

「抵抗するか?ならば容赦はしない」
「…っ、」

『騙していてすみません』
『これで全てが許されるだなんて思ってません』
『でも俺には、もう貴女を斬ることは出来ない』
『貴女をここから逃がします』

悲しい笑みを浮かべて、吉岡はそう言った。ごめんなさい、許してなんて言えません。そう繰り返しながら、吉岡は妙の背を押したのだ。

鬼兵隊から真選組に潜入捜査に来ていたという青年、吉岡太一。
目的は志村妙の真選組での立ち位置を探ること。妙に近づき、頃合いを見て、役に立ちそうなら妙を攫う。真選組に動揺を誘えるような人物であれば、殺害しても構わない。
そういう計画だったんですよ、と彼は言った。

『俺の身に今後何が起きたとしても、貴女と出会えたことは忘れません』

新人隊士なのだと、近藤と共にすまいるにやってきたのが始まりだった。弟の新八とどこか雰囲気が似ていて、放っておけなかった。
逃げるならあなたも、と言ったけれど、それは無理だと背を押されて。

「とんだ茶番だなァ」

くつくつと肩を震わせて、高杉は煙管の灰を指で落とす。

吉岡は視線を逸らさない。真っ直ぐに妙を見つめて、刀を向けていた。

屋敷内が騒がしい。
遠くで怒号が聞こえた。

「ほぅら、王子の迎えだぜ?」
「姐さんっ!!!」

聞き慣れた声に、妙は不意に涙腺が緩みそうになる。
どうして来たの、と泣きたい気持ちで嫌々をするように黙って首を振った。

「吉岡テメェ…っ!覚悟は出来てんだろうなァ!!」

凄まじい殺気に気圧されて手が震えそうになるのをなんとかこらえ、吉岡は刀を握り直す。

妙に向けていた刀の刀身をゆっくりと沖田に向けた。

「まさか沖田隊長がここまで来られるとは。やはりあの噂は本当だったんですね」
「…テメェの惚れた女くらいテメェで取り返さなくてどうするんでィ」
「随分はっきりと言うんですね」

意外だな、と言って吉岡が構えをとる。
沖田はそれを黙って目で追った。

互いに呼吸を探り合う。
雲の隙間から月が顔を出した。

そして、沖田が地面を蹴ったその瞬間、吉岡は一瞬、小さな微笑みを妙に向ける。

『ありがとう』

伝わった言葉。

「、っ!」

気付いたら身体が動いていた。
沖田の刀が吉岡に迫る。

転びそうになりながら、妙は夢中で駆け出した。

沖田さん、という声は音にならなかった。

そして感じた、焼け付くような感覚。
痛みよりも熱さが勝った。

沖田の驚愕に満ちた表情が目に入って、お願い、そんな顔しないで、と手を伸ばす。
力が入らなくて、そのまま沖田の胸の中に倒れこんだ。

目が霞む。
吉岡の叫び声が聞こえた。
呆然とする沖田の頬になんとか手を伸ばして、精一杯の笑顔で微笑んだ。

「お、きたさ…」

お願い、そんな顔しないで。
吉岡さんを庇ったんじゃないの。
悔しそうな顔で刀を握るあなたに、彼を斬らせたくなかっただけよ。
ねえお願い。泣かないで、沖田さん。

姐さん、とまた聞き慣れた声がする。
きっとこれは、山崎の声だ。
なんて悲しい声なんだろう、と妙は霞む意識の中で思った。

返事をしたいのに力が抜ける。ああ、なんて眠いんだろう。
沖田の腕の中は、いつだって安心するのだ。

妙の意思には反して、妙の意識は引き摺り込まれるように暗闇の中に沈み込んだ。


***


呆然としていた沖田の口から発せられたのは、獣のような咆哮。
悲しみに溢れた、心に突き刺さるような叫びだった。

心の澱を全て薙ぎ払うように叫びながら、沖田は刀を振り下ろす。

応戦する間もなく、吉岡がその凶刃に倒れた。

「あぁぁぁぁあぁぁァぁァァあ!!!」

―――止められない、止めてはいけない。

沖田の咆哮はやまない。
屋敷内から次々と現れる敵を次々と斬り殺しては、取り憑かれたように刀を振るっていた。

鳥肌さえ立つほどの、哀しい叫び声。

近づくことさえ許されず、自身も敵と切り結びながら、山崎は為す術もなく沖田の暴走を見ている他なかった。




どれくらいの時間が経ったのか、辺りは目も当てられない程の惨状と成り果てていた。
立っている者は沖田一人だけ。
荒い呼吸で、沖田はようやく刀を下ろした。

沖田の荒い呼吸音だけが痛いほどの静寂の中に響く。地面に刀を突き刺して、刀にもたれるように片膝をついた。

―――突如、パチパチパチ、という拍手が辺りに響き渡った。

焦点の合わない瞳で、沖田は音のした方に視線をやる。

屋根から降りてきたのか、そこにいたのは不自然な程ににこやかな桃色の髪の少年だった。

「すごい戦いぶりだったね」

純粋に感動した風に辺りを見回して、少年は言う。

「みーんな殺しちゃった」

ちらり、と地に伏して絶命している吉岡の方を見やって、少年はにこりと笑いかけた。

かちりと視線が合う。
剣呑な光を灯した沖田の瞳を見て、満足そうに少年は笑みを深める。

「いいね、その瞳。人殺しの目だ」

沖田は何の反応も示さずに、ふいと視線を逸らした。

雲から完全に姿を現した月が、沖田と少年を見下ろす。

ぽたりぽたりと地面に零れる雫を見つめながら、少年は沖田に問いかけた。

「大事に大事にしていたものを自分の手で壊す瞬間ほど、最高なものはないよね」

ねえ、そう思わない?

楽しそうな声音で、少年が続ける。

月明かりが沖田の愛刀を照らす。
赤黒い血がてらてらと光った。

止んだ咆哮。
今は痛いほど静かな涙の音だけが、響いていた。









(――――、もうしんでしまいたい)



title:灰の嘆き


2013,November





沖田さんを泣かせたくて書き始めたシリアス死ネタ。沖田さんごめんなさい!
傍観者の神威さんの台詞を言わせたくて、むりやりねじこみました。


 

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