気持ちの在処




放課後の静かな教室にふたりきり。

妙の手は淀みなく動き、日誌の空欄を埋めていく。
彼女が記した山崎という文字に心の中でそっと舌打ちした。

馬鹿は風邪を引かないという言葉があるが、それはどうやら嘘だったらしい。
何の間違いか、山崎が風邪を引いた。
特に気にもとめていなかったのだが、そのせいで銀八に日直を押し付けられたのだ。
普通なら名簿の次の奴になるはずだが、残念ながら自分の担任は普通ではない。
たまたま席が山崎の前だったからという理由で、本日の日直に命名されてしまった。
もちろん抗議したが、そんなことを聞き入れてくれるわけもなく。
本当に面倒なことこの上ない。

あまりに理不尽なその様子を見かねて、手伝うと言ってくれたのは妙だ。
こうしてふたりきりになれることなど滅多にない。
そういう面では山崎に少しくらい感謝するべきなのかもしれないが、とりあえず山崎シメると心に決めて日誌に視線を戻す。
綺麗な字だな、とぼんやりと眺めていると、妙の手がぴたりと止まった。

「どうした?」

授業内容の欄で止まった手に、わからないところでもあったのかと声をかける。
ゆっくりと視線を前に戻すと、妙はきょとりとした表情で自分を見つめていた。

「土方くん」
「…なんだ」
「どうしたの、そんな怖い顔して」

心配そうにそう言われ、努めて普段どおりに何でもない、と首を横に振る。
それに納得したのか、にっこりと微笑むと妙はまた日誌を書き始めた。

机に頬杖をつきながら、外を見るフリをして正面に座る妙を見やる。

(好きな人がいるんです)

昼休みに見たヒトコマがふと脳裏に蘇り、それを遮るように目を閉じた。
ああ、イライラする。
あんな場面、見たくもなかったのに。

昼食のパンを購買部に買出しに行った帰り、ふと窓から外を見やるとふたつの人影があった。
こんな時間に、こんな人気のない場所にふたりきり。
そうなったら、そこで何があるのかなど容易く想像できる。
他人の告白を聞くなんて無粋な真似をするつもりはないし、見つかったら厄介だとその場を去ろうとしたその時、聞きなれた声が耳に入ってきた。

「ごめんなさい。気持ちはとても嬉しいんですけど、私あなたとはお付き合いできません」
「そっか…。理由を聞いてもいいかな?」
「好きな人がいるんです。とても、大切な」

聞き間違えるはずがない、愛しい少女の声。
彼女が言った言葉に、言いようのない苛立ちがこみ上げた。
柔らかな声で、彼女は言った。
“好きな人がいるんです”と。
頭に浮かんだのは、忌々しい銀髪の男。

嫉妬と怒りで頭がどうにかなりそうだった。
この少女と想い合っているだろう男に。
妙に想いを告げた見ず知らずの男にうらやましささえ感じてしまう自分が、情けなかった。
自分は言えないのだ。
妙に“好き”だと。
それらしい態度を取ってもいなければ、口にしたこともない。
鈍感すぎるこの少女は、自分の想いになど全く気付いていないのだろう。
気付いて欲しいとも思わない。
ただ、妙が幸せで、笑っていてくれたら。
それで十分だと自分に言い聞かせ、考えるのをやめた。
女々しい考え方に自分でも嫌になるが、想いを告げてしまえば、この少女はきっと悲しんでしまう。
ごめんなさい、ときっと泣きそうに言うのだ。
どんなに認めたくなくても、妙が思っているのは自分が最も嫌いなあの銀髪の男なのだ。

「出来た!これで全部よ」

妙が嬉しそうに顔を上げた。
自分の中の苛立ちを無理やり抑えこんで、視線を妙に合わす。

「ああ。悪かったな、ほとんど書かせちまって」
「ふふ、どういたしまして」
「…今度礼はする」
「あら、本当?じゃあ期待してるわ」

ありがとう、と言って笑う妙が憎らしかった。
お前は、あいつが好きなんだろう?

「じゃあ、日誌出してくるわね」
「志村!」

立ち上がろうとした妙の手首を、とっさに掴む。
折れてしまうのではないかと思うほど細く、そして白かった。

妙は驚いたように自分を見つめている。
ああ、早く手を離さなければ。
いつものように、何でもないと言わなければ。
わかっているのに、離せなかった。

「土方くん…?」

名を呼ぶ妙の声は小さい。
取り繕うように、声を搾り出した。

「…志村、今日告白されてただろ?」
「…見てたの?」
「聞こえたんだよ」
「盗み聞きだなんて悪趣味ね」

形のよい眉を寄せて、妙は非難じみた視線を寄越した。
構わずにその双眸を見つめる。

「好きな奴いんのか?」
「……土方くんには関係ないでしょう」

少しの動揺を見せた瞳。
言われて当然なはずの関係ない、という言葉が胸に痛かった。

「…銀八だろ?」
「…だったら何だって言うの?」

大嫌いなふざけた教師を思い浮かべ、吐き捨てるようにそう言った。
視線もそらさずに、ふたつの黒曜石はまっすぐこちらを見据える。
強い意志を宿す瞳。
吸い込まれそうだ、と思った。

掴んだままの手首を引き寄せて抱きしめることも、腕の中にきつく閉じ込めてキスすることも、今なら出来るというのに。
それをしない自分は臆病だ。

「土方くん!いい加減離して頂戴」
「いいのか」
「え?」
「あいつは教師だぞ」
「…ええ、そうね」
「周りに知られれば、傷つくのはお前だ」
「それでも構わないわ」

きっぱりと言い切る妙に、イラついた。
たとえ傷ついたとしても、決して涙など見せないのだろう。
強く、気丈なこの少女は、あの男にも、眼鏡の弟にも気付かれないようにひっそりとひとりで泣くのだろう。

支えてやりたいと、思った。
出来る限り笑顔でいて欲しいとそう思っていたのに。
自分の想いに気付いた時には、彼女の笑顔はもうあいつのものだった。

ぶつけようのない悔しさと苛立ちが心に棲みついた。
毎日妙の姿を無意識に追っては、どうしようもなく胸が苦しかった。

「…たい!痛いわ、離して」

知らずに強まっていた力に、妙が顔をゆがめる。

「悪い…」

思わず手を離して謝った。
妙は慌てて手を引っ込めると、目をそらす。

「志村」
「……」
「悪かった」
「…びっくりしたわ」

むう、と怒ったようにそう言う妙はいつもの様子に戻っていた。
少しほっとして、心の中でため息をつく。

「…あんまり、無理すんなよ」
「え?」
「いつもお前は笑うから。あんま、溜め込むな」
「土方くん…」
「銀八にも、弟にも、誰にも言わねェんだろ。お前は。誰のも言えねェってのはわかるが、心配してる奴だっているんだ」
「…わかってるわ」
「ならひとりで抱え込もうとすんな。あいつにも言いたくないなら、俺が聞いてやる」
「土方くんが?」

言ってしまって、しまったと思った。
熱くなる頬を妙から背けて日誌を奪い取る。

「…出してくる」
「ありがとう、土方くん」
「お前はまだここにいんのか?」
「ええ、少し片付けてから帰るわ」

オレンジ色の夕日が眩しい。
逆光で妙の顔がよく見えなかった。

「…土方くん」
「何だ」
「ありがとう。でも、大丈夫だから」

妙がどんな顔で笑っているのか、それを見ないまま彼女に背を向ける。

「じゃあまた明日な」
「ええ。また明日。気をつけてね」

そのまま振り返らずに、教室を出た。
廊下がオレンジ色に染まっている。
一歩踏み出すと、銀髪と白衣が視界の隅に映った。

「青い春ですか?おうおう、若いねェ」
「…銀八」

いつも通り、気だるそうに。
でも目は笑っていなかった。
銀八は背中を壁に預けたまま言葉を続ける。

「俺の妙にあんまりちょっかい出さないでくれる?」
「……」
「好きな子ほど構いたくなるって?小学生ですかテメェは」
「んだとっ…」
「はいはーい、熱くならなーい。勝手に青春するのは別にいーけど、他当たってくれる?」

目が合った。
銀八の目はいつもの死んだ魚のような目ではなく、真剣だった。
睨み返すと、背中を壁から離してため息をつく。

「悪いけど、お妙は渡さねーから。泣かせるようなことするつもりもない」

すれ違いざまに、手から日誌を取られた。

「お妙が多串くんに頼ることなんて絶対ないから。俺がそんなことさせると思う?」
「…じゃあ」
「あ?」
「じゃあもっとしっかり見てろ!!志村がどれだけ我慢してるかっ」
「知ってるよ」
「なっ」
「知ってる。お妙が我慢してることくらい。あいつは、頑固だから。甘え方も知らない。ゆっくりでいーんだよ。ゆっくり、頼るってことを知ってくれたら」

銀八の静かな声が耳に響く。
そのまま足音は遠ざかり、教室のドアを開ける音が聞こえた。

妙は、銀八の胸で泣くのだろうか。
あいつのそばなら、何も考えず、安心できるのだろうか。
どれほど願っても、妙が自分の隣に来ることなどない。
わかっているのに。
行き場のない想いは、当てもなく彷徨い続ける。

とにかくその場から離れたくて、思い切り走った。
止まることのないこの想いを振り切るかのように。




(どこに在れば、落ち着くのだろう。忘れ方なんて、知らないんだ)


title:灰の嘆き
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