その短い、掠れた言葉に松寿丸さんは顔を悲痛に歪めて、己が泣いていたことに気付いたのか喉から手を離し掌に零れ落ちた涙を不思議そうにみていた。 気がつけば、松寿丸さんの背中に手を回し抱きしめていた。 背中をゆったりと手で軽く叩き、それが安心したのか、また緊張していた糸が切れたのか。 松寿丸さんは脱力して、私の胸の中に埋まってしまった。 松寿丸さんは震えていて。 酷く震えていて。 冷たくて。 恐怖で青ざめてしまった私なんかよりも、冷たくて。 恐怖で、震えていた。 ―――――それぐらいそうしていたのか。 互いに無言のまま。 私は彼の背中を優しく叩き、彼は息を潜め静かに胸に埋まる。 無言のままなのに、不安なんていっさいなくて。 二人きりの世界の中、二人だけでこの寂しさ、恐怖を耐えているかのような。 寂しくて、怖くて、それでいてとても安定した空間。 このまま、眠ってしまったら本当に二人だけの世界にいける気がした。 「・・・・・・・・・・・・一国の主になって直ぐだ」 そんな空間にか細い声で波紋を広げたのは松寿丸さん。 ただ、その波紋は安定した空間を乱す事無く。 むしろ、この安定したまま、寂しさ不安恐怖の水底からゆっくりと浮上していくような。 そんな声。 「・・・一国の主になってすぐ、ある集団に攫われた事があってな」 「はい」 「愛だのなんだのぬかすような集団で、その大将に従えぬ程の愛ならば要らぬという奇怪な思考をもつ集団だったのだ」 「・・・はい」 「我とて、愛とは何かとは人並みに知っておった。だが、そやつはそやつのための愛を我に押し付け、無様に暗示をかけられ、結果、取り込まれたのだ」 「・・・。」 「あの喧しい同盟国主に助けられはしたが、それからというものの後遺症なのか、もう一人の存在がでしゃばることがおおくなった。自分勝手な愛の理論を周囲に撒き散らしては、奥底に消えていく。実に厄介で、そやつが出るたびに我は、部下や隣小国どもに、"気違い""狂っている"などと、言われた」 ――我とて人間だ。我とて同じ人間であり、その様な言葉で傷ついてしまうほどの存在なのだ。だから。 「――だから、ならば、そのもう一人の存在が出ないほどまでに心を凍らせてしまえば良い。無慈悲、冷酷になってしまえばいい。そうすれば出てこないだろうと・・・。出てはこなくなった。同時に愛を忘れてしまった。我は。我は・・・」 ポツリポツリと呟いていくその言葉。 一国の主だからこそ誰にも言えなかった言葉。 頂点に立つが故に、降りることは許されない故に、己の心を閉じて凍らせて無慈悲に冷酷に、残酷に物事を客観的にとらえてきた。 そうして己を守ってきた。 これ以上、傷つくのが怖いから。 愛を忘れて。 頑丈でされど脆い鎧を手に入れた。 同じだ。 「――――私も同じです。両足が不自由になって。それから周囲の見る目が変わりました。同情。自分達と違うものを見るような目、違うものを扱うような動作。蔑まされる視線。私はそれらが怖い。怖くて怖くてどうして両親と共に死ねなかったのだろう。そう何度も思い悩みました」 駅内に行くたびに"自分達と違う存在がいる"という視線。 明らかに目上からの同情。電車内にはいると私の周囲だけスペースが空き、明らかに"避けられている"という恐怖。 いつか道通る知らない人に言われた"楽でいいよね"という悪意のある言葉の刃。 私は、それらに恐怖した。 私からは何も出来ないから。 干渉できないから更に恐怖した。 笑えば相手もいくらか笑顔で返してくれる。 薄っぺらい笑顔でも。 いつしか、笑顔だけを浮かべるようになっていた。 本当の気持ちも何もこめられていない笑顔を。 「何度も"同じ人間じゃない何か"と見られていて、けど笑顔でいれば誰も表向き嫌な顔をしなかった。だから空虚な笑みだけを浮かべるようになりました。私も、松寿丸さんも。・・・怖かったんですね。他人が。独りが。・・・・・・けど」 ここには。 私と貴方、二人がいる。 心の奥底を見せ合い、魂という絆で結ばれた二人がいる。 「――――もう、独りじゃ・・・ないんで、す」 背中を叩く私の手が止まる。 彼の心、私の心。 自然と身体が震え、胸の中、腕の中にいる暖かい彼に縋るように力をこめた。 「――・・・・・・お主も、つかさも、もう独りではないな」 腕の中で丸まるように寄せていた松寿丸さんの腕が手が動き、私を抱いた。 頭をあげた松寿丸さんの目元は少し赤くなっていてそれでも、もう一人の彼とは違う淡い笑みが私に向けられた。 「感謝する」 そう一言。 涙で視界の歪む中、不思議と見えるその笑みは次第に近くなり。 恥ずかしくなり瞼を閉じた。 涙が頬を伝う様子と、少し暖かい唇が私のと重なった―――――。 |