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木舌の部屋の扉があいていた。


それが気にしつつも通り過ぎようとした佐疫はその隙間から漂ってくる匂いに足を止めた。ふふ、と笑う女性の声。聞きなれたその声に佐疫は早々に扉の先へと飛びいった。



「―――何してるの、木舌」

「あ」



しまった、というような声。明暗調節されたランプでやや薄暗い部屋。そこに入ると酒の匂いが充満していて佐疫は顔をしかめる。

そして何よりそこ酒臭い部屋に木舌ともうひとり、水咽が半目状態でビール缶を手に持って座っていた。頬は赤くなっていてどこを見てるかわからない視線からして明らかに酔っている。

獄卒となった時点で年齢制限などないが、それでもこうして彼女にお酒を飲ませて、しかも熱いのかシャツのボタンを三つも!外している。傍から見ればこれから情事が行われるんじゃないかという風にもみえる。



木舌へと冷たい視線を下ろした。

水咽に何をしているんだ、と。

「いや〜、快気祝いにね?お酒飲もうって誘って、そしたら水咽お酒始めてだっていうから飲ませてみたんだよ!そしたらさあっまって撃たないでお願い」
「大丈夫、ちゃんと脳天打ち抜いておくから」

彼女は女性で木舌は男性。獄卒といえど男と女という性別はあるし性行為もする。そして酔っ払いの木舌だ。
ここに彼女がいるのはどう考えても危険。

拳銃をしっかりと木舌の額に狙いを定める。水咽はまだ子どもだからわからないのだ。男という存在がどんなに危険なのか。木舌なんて特にそうだ。へらっとしながらやるべきことはやる男。そんな奴に警戒心がなくて意識も曖昧な水咽を傍においてはおけない。

「何が大丈夫なのかわからないよ!水咽俺の事助けて!」
「―――・・・ああ、佐疫さんだあ」

上の空だった視線が佐疫に向く。熱の孕んだ顔、酔っているふわふわとした感覚が良いのか普段はあまり見せない柔和な笑み。おぼつかない足で起き上がった水咽は手に持っていた缶の中身をグイッと飲み干し足元に落とした。

カンッと高い音が聞こえて、んふふーとご機嫌そうにこっちへと寄ってくる。

こんな状態の彼女は何かしでかす。佐疫も男だ。この先彼女がどのような行動をとるのか予想がついた。だからこそ一歩下がったのだが。

「・・・嫌いなの?」
「っ・・・そう、じゃなくて」

機嫌の良かった顔が一転して泣きそうな顔になる。潤んだ目に朱に染まった頬にドキリと胸を高鳴らせてしまい動きもとまった。

男としての性に苦い思いをしながらも予想通りに抱きついてきた水咽を受け止める。受け止めてくれたことを嫌いでない、と判断した水咽はうふふーと頬を胸板に擦り付けて嬉しそうにしている。

「佐疫いいなあ。水咽!俺にもだきってしてよ!」
「木舌は、嫌」
「ええ、なんでー?」
「暑いから。さえきつめたーい」

きっと同じように酒を飲んで身体に熱を持っているからで、そんな酔っ払いに対して佐疫は酔っていないしこの熱の篭った部屋の外から来たのだから冷たく感じるのだろう。

「お花の匂い」
「・・・水咽、もう自分の部屋に戻りなよ。明日も、仕事で、しょ――!」

水咽の顔が上に向かう。にへらと微笑む水咽は艶っぽい。
それに驚き見開いた佐疫はそうして思考停止している間に水咽が頬に自身の頬を当てて擦り付けてきたことに声にならない悲鳴をあげそうになった。

お酒の匂いが鼻につく。それと、妙に甘い匂いも。
酔ってもないのにくらりとめまいがした。生唾がゴクリと流れる。欲求が手を無意識に動かしていたようでギュッと水咽を抱きしめていた。

木舌のニヤニヤと楽しそうに微笑む顔がみえる。

「やーん、佐疫大胆」
「・・・っ、」

クラクラとする。木舌の言葉に引き攣らせる佐疫だが正直それどころじゃない。まず身体を離して酔っている水咽を部屋に返さないと――そう思っているというのにからだは動いてくれない。

首筋に顔をうずめてより密着してくる水咽。胸が佐疫の胸板へと押し当てられ震える。

ああ。ダメだ。これ以上こうしていたら本当に危険だ。己が狼となってしまう。

「水咽って近くによると好い匂いがするよな」
「木舌もいい加減に・・・、」
「甘露みたいだよね」
「――、」

魅了されるように呟いたその言葉。木舌の笑みの下にちらりと見えた獣のそれに佐疫は冷水を頭から被ったような気持ちとなり彼女に魅了されて絡みついていた己のうでを離した。

忘れていた。獄卒となったから、地獄の者となったから、と安心していたのか。彼女が水咽が生前つかさと呼ばれていた時に襲われた怪異に言われた言葉を思い出したのだ。



『ごくそつか。そいつはうまいぞ。おまえらも、れいがいじゃない』



思い出さないままでよかった。

水咽の血は怪異にとっては甘い蜜だ。それは怪異に限らずあの世の存在にとってもそうなのだ。獄卒となり長すぎる時を過ごす彼女。共に過ごす獄卒達。

甘い匂いは次第に魅力というものと代わり―――周囲の獄卒を寄せ付けるようになるのではないか。



それは時が経つにつれて少しずつ歪んでいき、寄せ付けられた獄卒は序々に―――――――




「さえき?」
「―――・・・木舌お酒ほどほどにしないとまた取り上げるからね」
「えー」
「それと水咽は一緒に部屋に戻るよ。わかったね」
「んー・・・はあい」

よろよろとしている水咽の背中を押して部屋からだす。あーあ、と残念そうに新しい缶を開けた木舌。たった今注意したばかりだというのに。扉を閉めようとする佐疫。

「佐疫」
「なに木舌」

「生まれながらの呪いってどうやったら解けるのかわかる?」
「・・・突然どうしたの」

ビールを飲みながらこちらをみる木舌はやけに落ち着いていた。

生まれながらにその血に呪いを宿す水咽。それを解くすべはあるのだろうか。それは佐疫が知るわけもない。知っていればすぐにでもその呪いをといて解放してあげたいぐらいだ。

それは無理なのだ。魂がまさに呪いなのだから。輪廻に戻れない。永遠を、魂が削れ消え行くまで歩くしかない。


「――なんでもないや。それより水咽ひとりでいっちゃったよ?」

へにゃりと笑い出す木舌。



慌てて廊下に出ると水咽は自身の部屋とは反対の方に進んでいて、しかも田噛の部屋の扉をこじ開けようとしていた。

時間は就寝時間を過ぎている。
そんな中「あーけーてー」と扉をガチャガチャとしている水咽は施錠が解除される音と、唐突に勢いよく開いた扉に吹っ飛ばされた。


「――ぶっころすぞ、あぁ!?」


それによりすっかり伸びてしまった水咽を引きずり部屋へと戻しておいた。


次の日、酔いの覚めた水咽は二日酔いとは違う意味で顔を真っ青にさせてしばらく佐疫や木舌、田噛を見かけるたびにヒィ!と悲鳴を上げて逃げていくようになる。