2-7




あ。これやばい。
そう思った。

見えない壁の向こうで斬島が呼んでる。逃げないと。

「おまえ、おもしろいな」
「い、たい」

なぜだか結界をすり抜けてしまった。悪霊がニタァと笑っていて嫌な予感。急いでまたすり抜けようと踵を返した身体は背後から捕縛されてしまった。腹から黒いドロドロとした蛇が突き出で私に巻きついていく。腹の中をウロコがズルズルとうごく感触はちびりそうになる。それでいてウロコが内蔵や肉を刺激するものだからそれが動くたびに激痛で視界が赤く点滅するのだ。

獄卒になると死んでも再生するが、簡単には死なないようになる。うでが吹き飛んでも足が吹き飛んでもかなりの出血の量でなければ、急所でなければまずしばらくは生きられるし意識もそれなりにはっきりとしている。

つまり私も意識がはっきりとしていてその中で生理よりも痛いそれに脂汗を滲ませながら耐えていた。

蛇がズズズと身体の中を外を這いずる。首元までやってきた蛇。

「ふへ、へへへ、おもしろい、おまえ」
「――――ぁ」

牙が首筋に突き立てられる。皮膚を突き破る痛みとその牙の先から流れだす”液体”が染み込んでいく冷たい感触。結界の外で叩いている斬島へと震える手を伸ばす。けど届かない。その手が、同じく汚れた魂の悪霊の手が掴んだのだ。

蛇のように這う手。気持ちが悪くて身震いした。

「悪霊同士なかよくしよ」
「ち・・・が、」

私は悪霊なんかじゃない。
身がガクガクと痙攣して視界がぼやけていく。ドクドクと注ぎ込まれる何かは真っ黒だ。それでも目の前にいる仲間の元へ帰ろうと。帰ろうと。
帰ろうと―――



暗転。
死の世界さえなかった。










水咽が悪霊に拉致された。
別行動をしていた佐疫と木舌は、その報告を息を切らしてやってきた斬島からきいた。

――呪術を扱う悪霊。あの世に住まう獄卒にとっては相性の悪い相手なのだ。魂の動きを制限するそれら呪術を扱う故に結界をはられてしまえば簡単には捕まえることができない。しかもこの時代に呪術をまともに扱う存在はひと握り。長く存在する獄卒でさえ”慣れていない”相手なのだ。

そんな相手を捕縛する任務で、斬島、佐疫、木舌の三人の他に特別に選ばれたのは水咽だった。

呪術の家系であり、少ないながらも知識もある。彼女ならば何かしら打開策をだしてくれるのではないか、と任務にいれられたのだ。彼女からしたら初の任務であり、武器もまだない。水咽が狙われることはあってはならない。護衛として斬島がついた。

そして任務にはいり、結界が貼られている土地を見つけた。悪霊の姿はない。何処かに媒体となるものがあるだろう。そう、周囲を探っていた斬島は水咽に訪ねようと彼女がいるであろう場所に身を向けると。

結界を通り抜け向こうで驚愕の顔を浮かべてる姿があった。

斬島もたいそう驚き、しばらく何も言えなかった――が、彼女の背後にドロリと現れた悪霊の姿に彼女の名を叫んだ。水咽も気づいたようでこちらに向かおうと踵を返していたがその腹に黒い蛇が突き出し、顔が歪む。

それが伸び――水咽の首に噛み付いた。

必死に助けを求め手を伸ばそうとする彼女の手へと自身のを伸ばしたが悪霊に阻まれ姿を消した。

――逃げられた。

斬島にしては珍しく「くそっ」と声を荒げ仲間と合流すべく走ったのだ。





「すまない。俺がもっとしっかりしなければならなかったというのに・・・」
「斬島、起きてしまったことはどうしようもない。水咽を探そう」
「・・・」
「木舌の言うとおりだよ。おれたちがこうしてる間に危険な目にあっているかもしれない」
「・・・ああ」

互いに視線を交じらわせ頷き合う三人。いざ水咽を探しに―――という所でカツンカツンと聞きなれた靴の音が響いた。三人の足がとまり視線がそちらにむかう。

「――水咽、」

佐疫が名を呼ぶ。その声に反応して動きがとまるが、またしばらくして歩きだした。しっかりとした足取りでこちらに歩いてくる水咽の姿。

帽子を何処かになくしたのかぼさっとした髪を揺らしながら前髪の合間から黒い瞳がこちらを見ていた。戻ってきた。

だが、何事もなく戻ってきた水咽に対して、懐疑心が浮かんだ。
目が細められ水咽はニッコリと微笑んだ。

「ころす」

その天使のような優しさしかないような笑顔で吐き出された言葉。フヘ、ハハハ!と笑い出した水咽はその足の速度を早めてこちらに向かってはしってくる。

斬ることに戸惑いが生じ斬島はかなきりの柄を掴んだままよける。木舌も佐疫も避ける。

勢いつけて走ってきた水咽はつま先を地面にぶつけそのまま転んだ。ズサァ。無言。
三人はこの水咽が”本物”なのか偽物なのか区別がつかない。ただ、ゆっくりと起き上がろうとしている水咽の次の行動に警戒する。

「ヘヘ、ヘハハハハッ!ハハハハハハハハハハハハ!!!!」

水咽が笑った。大きく笑う口からはヨダレが垂れる。
こっちにぐるりと向く目。

「ころす。ころすころすころすころすころすころすころすふへへへころすはははころすころす」
「水咽・・・!」

木舌が起き上がろうとした水咽を押さえつける。力のある木舌におさえられれば水咽は動けない。身体を抑えられてもなお笑い続ける水咽。

ミチミチと筋肉が伸びる音。ゴキンと関節が外れる音がした。木舌が抑えていたうでを無理やり引っ張ったのだ。その嫌な音に眉間に皺をよせる木舌だが、当の本人は何事もなかったようにおかしく笑い続け「ころす」と言い続けている。

「佐疫、斬島任務は失敗だ。水咽を連れて帰るぞ!」

今だ暴れ続ける水咽。木舌の言葉にふたりは頷き、佐疫は拳銃を外套からとりだす。


「一時的に静かに、させるね」
「・・・ああ、頼むよ佐疫」


押さえつけている水咽の脳天に銃口を突きつける。パン。赤い花が飛び散る。

脳という急所を打ち抜かれ身体を大きく震わせた水咽は倒れた。偽物であればもう復活はしないだろう。
木舌は死体となった水咽持ち上げ館へと急いで帰還した。