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なんか朝から落ち着かない。それもこれも夢をみたからなんだろうってのはわかる。ホームシックってやつと同じ。愛してくれた親がいなくてそれが急に寂しく思えてくる。寂しい。けど父に会いにいってもきっともう私は見えてないだろう。地獄の責め苦できっとそれどころじゃないだろうしそれを見たら私は胸が痛くて苦しくて悲しくて仕事に手がつかなくなるかもしれない。部屋にひきこもってしまうかも。

それが怖い。獄卒というのは死なない。死んでも再生する。それは逆にいえば”死ねない”ということになるんだ。ならこの魂はどうやったら消えるのか。まだそれを誰かに聞くのは怖い。だからその疑問は胸の中にしまっている。

けど、きっと、獄卒が死ぬということは”精神が死ぬ”ということなんだろうなってことはなんとなくわかる。肉体が死なないなら残るは魂、心だけだもんな。

父に会えば私は死ぬのか。死ねるのか。私は。獄卒以前に、この魂は汚れているではないか。

肋角さんが言っていた。

お前の魂は穢れていて輪廻に戻すことは叶わない、と。魂までが呪われた存在なのだと。そうなると永遠をながれることとなるがひとりならばその魂は穢れで壊れ悪霊となりはてるだろうとも。



「・・・肋角さん」

生前の幸せな夢。父も生きていて母もいて。楽しく笑っていた。

けど目を覚ませばそこには色あせた思い出だけが胸を締め付ける。ああ、寂しい。寂しい。真夜中だ。きっと肋角さんは就寝してしまってるだろう。

それでも、何かにすがりつきたかった。手を伸ばしたい相手はここにいない。

けれど”代わりになろう”と言ってくれた人はいる。

汚れた魂は獄卒になることにより最悪な自体だけは避けたれた。

それでもいいとおもった。永遠を生きる中で共にいる仲間がここにいるんだから。一緒にいてくれるんだから。父のような上司。兄のような獄卒たち。母はいないけどそれぐらいなら我慢できる。八歳の時からいないんだもの。

肋角さんの事務室。
扉をそっと開ける。そこにはもちろん誰もいなくて真っ暗で窓から月明かりだけが漏れていた。そっと入る。パタンと静かにしめる。そこには誰もいない。それがさらに寂しさを膨らませる。

事務机には煙管が一本置かれている。少し前までいたのかもしれない。近くによれば微かに匂いがした。椅子の背もたれには肋角さんの外套が置かれていてもしかしたら忘れてしまったこれらを取りに戻ってくるんじゃないかなとか思ってみたり。

椅子に座ってみた。煙草の匂い。それと香水の匂いだろうか。少し甘いようなけれど大人っぽいような。二つの匂いが混ざって懐かしいような気持ちになる。父も煙草を吸ってた。私の前ではすぐにやめてたけど匂いは残っていた。臭いけどそれでも父がいるってことに安堵できたから好きだった。




大きな外套の匂いを吸う。体を丸める。それを大事そうに抱きしめて匂いともう冷めてしまったぬくもりを求めて、求めてそっと目を閉じた――――













―――肋角は煙管を忘れてしまった事に気づいた。

外套はまれにあの部屋に置いていくのだが、書類に頭を使いすぎたのだろう机に煙管をおいてきてしまったのだ。あれがなくては手元が寂しい。そう、自室から出てきて他の獄卒を起こさぬように静かに階段を降りて事務室の扉をあけた。

綺麗な月は傾き窓枠から僅かに覗いている。あと数時間としたらほのかに暗い空が明るくなっていくだろう。暗い部屋の中で、椅子に座る影があった。赤い目をパチと瞬きして近寄ればそこにはつかさ――獄卒名は水咽、がいた。

水咽は人が行った愚かな呪術により穢れて生まれた哀れな存在だった。

母は守るために死に。
そして父は愛するがゆえに悪霊となりはて守るべき対象を見失ってしまった。

当の水咽は最後に怪異にその下半身を食われ息絶えた。

その穢れた魂は輪廻することができず、地獄で無い罪を償うか彷徨い悪霊となりはてるかだけだった。

それを拾い上げたのは肋角。

穢れた魂を獄卒に。それはいつ暴走するかわからぬ。何故獄卒にしてしまったのだ。そう対して知らぬ者たちが言う。

お前らの言葉などしらないな。そう肋角は笑い飛ばした。

そして水咽、と名を与え獄卒の一人として迎えた。





「フフ、こうしていると可愛らしい女なんだがな」

椅子にあしを曲げて体育座りをしている。ギュッと肋角の外套を握りしめて膝にほほを乗せて寝息をたてていた。ヨダレが外套を汚してしまっているが目尻に溢れ続ける涙をみてそっと拭ってやった。

獄卒という身になってしばらくすると誰もが生前の忘れられぬ思い出に寂しさを覚える。

ここの獄卒たちもそうだった。
獄卒という自覚がなかった柔い部下たちの寂しそうな顔。水咽もそれを味わっていた。

こうして永遠の中で様々なものを経験し強くなっていく。

水咽は獄卒のスタート地点にたったのだ。

水咽を持ち上げる。外套を意地でも手放そうとしない彼女は寄りかかる場所をみつけたようで肋角の胸板に頭をよせる。溜まっていた涙がまた落ちた。

「ふむ・・・可愛らしいものだ。男所帯ばかりだとやはりつまらぬところがあるな」
「――ん・・・」
「起きるなよ。そのままぬくもりに抱かれていろ」
「・・・―――」

寝ぼけて身じろいだ水咽だが、人のぬくもりに安堵したのか次第に静かにまた寝息をたてはじめる。それがまた可愛く思え、肋角はそっとその額に唇を軽く押し当てた。

「さて、いくか」

水咽を抱えながら部屋をでる。階段を上がり、彼女の部屋へはいる。ベッドへとその身を下ろし寝かしつける。髪を撫でてもう一度額へと唇をおとす。外套は明日返してもらえばいいだろう。そうそのまま廊下へと。



「―――いい夢を、おやすみ」





パタン。



扉をしめて肋角は部下たちを起こさぬように音を立てずに自室へと向かっていった。