人間であった彼女は、霊感が強かった。それ故に、学校では周りから距離をとられていて寂しい日々を送っていた。両親にも距離をとられ一人で街中を遅くまで歩き回る。

そんな人としてもうまく生きていけていない彼女と出会った。

初めてであった時、彼女は怪異によって追い込まれ路地裏の闇の中にいた。逃げに逃げた証である荒い息。暗闇に人がいることなど誰も気づかないし、興味もないだろう。俺自身も怪異に追われている人間、という状態でなかったら興味を示さなかっただろう。

『――あなたは・・・人ですか?』
『・・・』

怪異を追い払い助けた彼女はおびえながらも視線を逸らすことなく俺を見上げていた。感謝の言葉より先にでたその言葉は霊感が強いからこその発言だったのだろう。本当にただの人間であれば、彼女は感謝を述べている。目の前に現れたのが人間でない、と感じたからこそ敵か味方か区別がつけられないのだろう。

生きようと、目を開き目の前の出来事を焼き付けているその瞳は強い。
正直言うとその瞳に、見惚れていた。目の前の出来事から逃げないで立ち向かおうとする無謀さと意志の強さ。

何百年何千年と生きる鬼が、百年以下しか生きられぬ人間の瞳に見惚れる。
内心、嗤った。が、それでも目の前の存在に対する興味はなくならなかった。

『俺は、獄卒だ』
『獄卒・・・?』
『地獄の鬼さ』


そこから始まった。
興味の芽生えた俺は仕事の合間に、仕事終わりに、現世にでては彼女が歩き回っている街中を歩く。彼女を探すために。そして偶然を装い目の前に現れては他愛のない話から、彼女の質問に答える。最初こそ警戒を解かず距離をとっていた彼女はそのうち、笑顔を見せるようになった。
強い瞳に加わった笑みをみた俺は胸の痛みを覚えた。最初こそ意味が解らなかったそれは彼女の事をしる度に、のぞかせる感情を見るたびに締め付ける痛みとなった。
しばらくたってそれは恋愛感情なのだと理解した。長い時を生きる鬼故にそういうものをすっかり忘れていたのだ。

彼女に触れていたい。
彼女と話していたい。
彼女の笑顔をみていたい。

その感情を認知した俺は、いつも通りを装い彼女と会う。そして会話をする。彼女は俺を嫌っている様子がない。なら、このまま。欲を言えば今以上の関係を。
その願いはかなった。


『肋角、私ね・・・あなたの事、すき』
『・・・』
『私初めてなの。あなたは鬼だけど、人とは違うけれど、ここまで私と会話してくれて、会ってくれて、嫌な顔もしない。話も聞いてくれる。私を、知ってくれる。私を、認めてくれる。だから、すき』
『そうか、嬉しいよ』

その小さな身体を抱きしめた。きっとここまで密接したことのない彼女は吃驚しただろう。その証拠にもぞもぞと腕の中で動いている。手だけが宙を浮いている。

それも次第に背中に手をやることでおさまった。
動きも、とまった。彼女の心音が胸板越しに聞こえる。彼女の腕の力がこもり同じように抱きしめてくれる。ここで俺の胸の痛みは消えた。代わりにとても穏やかな気持ちとなった。もっと触れていたい。この人を。愛でたい。

耳元で俺は囁く。

『俺も愛している』
『わ、わたしも』

ああ、彼女の命が尽きるまで。尽きたその先まで共にいたい。
彼女を愛そう。彼女を受け入れよう。
そう。決めた。












のに。


『肋角?』
『・・・何故だ』

高校を卒業した彼女の目から俺は消えた。
彼女は姿の見えなくなった俺を探す。街中を歩き回り、一日中いつもの待ち合わせ場所で待つ。目の前にいるのに。嗚呼。俺は手を伸ばす。彼女の髪に触れる。触れられる。触れる。なのに。なのに。―――届かない。

『何故だ』

彼女の霊感がなくなった。だから俺の姿も見えなくなった。彼女の霊感を狙っていた怪異ももう、近寄らない。

目の前で涙を流す彼女の頬をさする。こちらからは触れられるのに、温かみを感じられるのに。向こうからは、彼女からはもう何も感じられないのだ。こちらがどんなに言葉を発しても届かない。一方通行となってしまった。

彼女を抱きしめる。耳元で『どうして?どこにいったの?』と泣き続ける彼女。慰める事すらできない。もう何もできない。嗚呼。彼女は生者である限り、もう俺は。

待とう。

『肋角・・・何処・・・なの』
『死後、お前を必ず迎えにくる。必ずだ。だから、俺を忘れないで待っていてくれ』

俺がお前をいつまでも愛しているように。
お前もいつまでも俺を愛していてほしい。この想いを終らせないでほしい。
死後、まだ先だが、そこでまた出会うために。

『しばしの別れだ』

今思えば、鬼と人は違うのだと忘れていたのだ。
彼女はどんなに強かったのだとしても、人間なのだ。


次に、数年と経ったときに会いたくなって一目見ようと現世に来たとき。
彼女は見知らぬ男と赤ん坊を抱きながらとても幸せそうに。


笑っていた。







「――――・・・」

とても、懐かしい夢をみた。小休憩でソファーに転がっていた俺はいつの間にか寝てしまっていたようだ。体を起こし乱れた髪をかき上げる。時計をみる。30分程度か。机の上にある書類の山に、溜息がでる。

――幸せそうにしている彼女と見知らぬ男と赤ん坊。
その光景を見た俺は、己と彼女の生きる次元は時間は違うのだと思い知らされた。死後まで?それまで忘れないでくれ?

獄卒と人間の時間感覚は違う。
俺の一年と彼女の一年は違う。
俺の獄卒の感情と、彼女の人間の感情は違う。


俺は、恨んだ。
俺を置いて、忘れて、幸せそうに笑う彼女を憎悪した。
そして不幸になればいい、と願った。


願いはかなう。


男に捨てられ、病弱な体質となった子供。いつ命がなくなるかわからない。己が生活するために子供の為になるかわからない膨大な医療費を稼ぐために働き続けることになった彼女の瞳は次第に澱んでいく。精神的ストレスがたまり、晴らすこともできないまま数十年。いまだに短命ですぐ死ぬ、と言われ続けてきた子供は病室で生き続ける。
彼女はそれにあたるようになった。

嗤った。
落ちるところまで落ちた彼女の姿に。
報いだと思った。

こんなにお前を愛していた俺を忘れて置いていったのだから。


残された俺の歪んだ想いは――――

「深月」

その子供に向かう。
それはおかしいことだとわかっている。だが、この胸の中で渦巻く想いがどうしても止められない。深月に否定されると、彼女に否定されているようで苦しくなる。そうなると意地でも、手元に置いておきたいと。せめて嫌われてもいい、一緒に、いたいと。

「・・・続きをやるか」


だから。
せめてどうか、優秀な部下たちに守られてほしいと願う。
ねじ曲がった感情を抑えることのできない情けない鬼から少しでも遠ざけてほしい。この館に閉じ込めたのは俺だ。それを解けばいい。そうすればすべて解決することもわかる。

それでもまだ感情に捕らわれている俺は、それを解けないのだ。
この想いを昇華することができないのだ。

だから。部下たちに守られていてくれ。
俺のこの気持ちが、情が、なくなるまで。