白い壁。白い天井。そこにはシミがついている。それを見るベッドの上。ベッドも白い。私の着ている服も白い。花も白い。肌も。私を生かしている機器も。白い。全部白い。色はどこにあるのか。己の髪も白い。全部色がない。ない。ない。ない。

窓の外には何が見える?何も見えない。白い。じゃあ、扉の外は?病室の扉がひとりでに開く。外には何もない。白いだけ。あとは。あとはどこに何がある?色は、どこにあるの?

人の声。水の膜で何を言っているのか聞こえない。ゴボゴボと何をいっているの?目の前に白い形がたつ。全部が白くてわからないけれど輪郭をみるとたぶん女性だ。髪が長い。そして女性らしい体型。きっと女性。ああ、誰だったか。誰。

『―――――』

ああ、そう。そうだ。お前は母親だ。けれど、顔が浮かばない。いつもスーツを着ていたけれど、顔が思い出せない。白いままだ。声も思い出せない。けれど悲しくはないんだ。ただ、虚しい。ぽっかりと空いた胸が虚しい。じゃあこの穴はどうやって埋めればよかったのか。無知だ。私は、無知なんだ。数少ない本を何度読み返してもこの虚無は埋めることができない。拙い文字を書いても絵を描いても、この虚は埋められない。虚しい。空しい。どうしてこの虚が空いてしまったの?どうやって空いてしまったの?どうやったら埋められるの?何がここに埋められるの?
誰か。

誰か?
誰もいない。白い世界に誰もいない。母親も私が問う前に消えてしまう。耳も貸してくれない。看護婦は、表面だけを撫でていく。無機質なものだ。その優しい言葉も笑みも冷たくて無機質で無感情で、わからない。けれど、誰かを私は呼んでる。
ここにいたはずなのに、いなくなった何かを探している。

甲高いひび割れる音。いつか、どこで、聞いた悲しくて虚しくて怖い音。白い世界に赤い色。白かった肌が罅割れ赤い血で塗れている。血。鉄臭い血。ポタポタと伝いベッドを赤くする。両手がガラスのようにひび割れていく。このままいけば割れる。バキ。ベキン。掛け布団の上に零れ落ちる破片の面から手を見下ろしている私が映し出される。白い。私も白いだけだ。僅かに輪郭があるだけ。私は、どこだ。わたしは、だれ。わたしは、なに。
わたしは鏡の破片を握りしめた。いたみが手のひらを襲う。血が溢れベッドを床を部屋を赤く染めていく。破片は、破片のまま。何度も握りしめ突き刺し破片をかき集め腕で持ち上げ抱きしめる。いたい。いたいよ。いたいよ。はへんがいたいよ。わたしは、おさえられない感情をはきだした。さけんだ。意味のわからないさけびをあげた。



「***********************************************************************************************」

顔をひっかく。いたい。頬をひっかき、首をひっかき、私はベッドから転がり落ちる。いたい。いたい。いたいよ。だれか。誰か誰か誰か。
手を壁に叩きつける。何度も何度も叩きつける。いたい。けれど私はたたきつけてそれから机の角に腕を叩きつける。嫌な音がした。いたい。あつい。いたいいたいいたい。

「*********ぁ*あ*あ*ああ*あああああ**あああああああああ」

いたいよ。けどいたいんだ。胸元がずっといたい。いたいんだ、ここには穴がぽっかりと空いてるのにその穴の中に何かあるんだ。とても痛いものがあるんだ。こんな腕の痛みより比にならないほどの痛みがここに小さいのがここにあるんだ。とれないんだ。とれないんだよ。どうしたらとれるのかわからないんだ。
だから腕を叩くんだ。痛みで痛みをけすんだ。もっと。もっともっともっともっと!

「あああああああああああああああああ*ああああああ*ああ*あ」
「水咽!!」
「うぅああああああああ!」

羽交い締めにされる。つめたい。なに。だれ。どんなにあがいても決して離れることのない腕。その中でなんども叫ぶ。叫んで、逃げようともがいて、叩きつけようと腕をふって。そうしているうちに心の虚がその痛い何かを隠してしまう。

――冷静になっていく思考。


腕の痛みが強くなり、荒い息を吐いてそれをみる。血まみれだ。肉が裂けてる。それであらぬ方向に腕が曲がっている。折れてるのか。折れてるのなら痛いにきまってるな。ああ、なんでこんなことしているんだか。なんでだろう。なんでだったか。

もうわからないや。


「何をしているんだ!」
「・・・」

羽交い締めにしていた者がやっと私を開放した。そして肩を掴まれふり向かされる。目の前に映る海のような青い瞳に、私は、ここにいない出会えない一緒にいない彼を思い出す。彼は破片となってしまった。
かれは。

「・・・か、がみ」
「――・・・鏡はここには、いない。俺が、壊した。お前の目の前で」
「・・・・・・そうだったな。すまない斬島」

青い色がおおきくなった。少しばかり泣きそうな顔をしているように見えて、私の二の腕をつかむ。持ち上げられた腕は悲惨なものだ。

「お前が謝罪する理由がない。・・・痛いか?」
「・・・いたいよ」
「そうだろうな・・・。手当をするから、座れ」

ベッドに座る。その間に斬島は包帯を持ってきた。骨が折れてるのだからあてぎのようなものをした方がいいんじゃないか?と尋ねれば、怪異に近く多くの魂を取り込んだのだから放っておいても治るという。

「なら手当はいらないな」
「いる」
「なぜ?」

「いたいだろう」
「なにが」

何が痛いのか。なにが。なにが。おまえはちがうだろう。

「お前は他人だろう?私じゃない。なのに何が痛むというんだ」

その言葉に斬島は口元を苦しそうに歪め自身の胸に手を当てた。そっと触れるその胸。おまえの胸が痛いのか。なぜ。どうして。お前は私じゃないのにどうして痛いんだ。そこは腕じゃない。私の胸でもない。なのに。どうして、いたいんだ。

「ここが痛い。お前を見るたびに俺はここが痛くなる」
「なぜ」
「知らん。だが、こうして手当をすると少し薄まる」
「・・・なぜ」
「わからないな」

わからないんだな。その痛みがなぜこの胸にとどまるのか。私の胸と同じだ。決して同じではないけれど、なぜこの胸に痛みがあるのかわからない点では一緒だ。
すっかり正常を取り戻した私は、綺麗に包帯を巻かれた腕を動かす。骨はもういつのまにか治っている。

「で、斬島は私に何かようなのかい?」
「ああ、佐疫がアップルパイを焼いたらしい。あいつのはとても美味しいから、水咽を誘いに来た」
「あっぷるぱい・・・、リンゴのデザートか」
「ああ」
「いこう」
「よし」

ベッドに腕をついた。いたみはない。ゆっくり起き上がり部屋をでる。廊下に出れば甘い匂いが漂ってくる。嗚呼いい匂いだ。甘いにおいだ。りんごは焼くとこんな匂いを発するのか。

食堂につけば、匂いにつられてやってきた獄卒達がアップルパイをたべていた。佐疫が私を視界にとらえると嬉しそうにアップルパイを持ってきて差し出してくる。腕の包帯をみてどうしたのかきいてくる。もう治った。そう伝えれば寂しそうな顔をしつつも食べて、とすすめてくる。
テレビでみた形状と似ている。フォークを持たされ、一口サイズに切り、口にいれる。

甘酸っぱくてけれど程よい甘さの味が口いっぱいに広がる。リンゴもシャクシャクとした感触ではなくサクリと優しく砕ける感じが面白い。




初めて食べた。




そう、言えば、とても驚かれた。