「なるほど」

肋角さんは窓の外を眺めながらつぶやいた。その大きな背はきりっと立っていてさまになっている。紫煙が吐き出され、こちらへと振り返った。口端を釣り上げ微笑んでいるが、その赤い瞳は今にも飲み込まれそうなほどの気迫があり、手足の指に力が籠る。


「は、はい。それで肋角さんに相談しに来ました」
「そうだな・・・」

煙管を机の上に置き顎に手を当て考える上司。何か考えているというよりもどうするべきかと悩んでいるかの様子を静かに見ていると「佐疫」と名を呼ばれる。はい、と返事をし肋角さんを見る。先ほどの笑みがなく、真剣の顔に背が伸びた。

「―――これからお前に水咽の”名”を教える」
「!いいのですか?」
「良い。許す」

水咽の本当の名前。名というものはその魂を表すものだ。霊的な人格と強く結びついたものであり、真名ともいう。今の現世の時代ではもう力はほとんど廃れているが、昔では親や主君のみに許されたものでその他の人が口にすれば無礼とされていた。
それは佐疫や斬島たちも、勿論あるし覚えている、が契約により肋角さんがその名を持っているので口に出しても他人には聞こえない。

名を知ってしまうそれ即ちその存在を”支配することができる”という事。

それは、その存在の意志を消すという事。自由を奪うという事。簡単に知っていいものではない。

「ただし悪用は厳禁。まあお前なら大丈夫だろうが・・・名を支配するということがどれだけ相手にとって苦しいものか、理解し使え」
「―――はい!」
「・・・では”禁”を解く。斬島、先に廊下にでていろ」
「はい」

親友が下がり部屋を出ていく。肋角さんと二人きりとなった部屋の中、赤い瞳が佐疫を見下ろす。佐疫に近寄り腰を折り耳元に口を寄せる。ボソリとささやかれた名を佐疫は重い口を開き復唱した。

「本来なら俺だけ知っているつもりでいたがな。何かある度に俺が”深月”の元にいくのも無理がある。だから、俺がいない時は頼んだぞ、佐疫」
「はい!」


この名があれば、彼女をどうにかできる。眠れないというのは脳を休ませることができないということだ。いつかおかしくなる。彼女はまだこれから先長い生を生きなければならないのだ。できる限り、健康の状態にしておかないとならない。
それが彼女のためでもあるからだ。

肋角さんにお辞儀をして廊下をでる。
待っていた斬島を連れて彼女のいる部屋へと向かった。




「水咽、起きてるかい?」
「・・・ああ」

扉を開けて中にはいる。暗い部屋の中、彼女は天井をじっとみている。佐疫も視線を合わせるが少しシミが見えるだけの天井だ。視線を彼女に戻して近づく。横に置かれたお粥は朝の時と量が変わらない。一口も食べていないようだった。

佐疫は息を吐く。これから行うことは彼女に強制を強いるに等しい行為。それは、彼女を傷つける可能性のある手段だ。それでも、生かさねばならない。

「”深月”、まずはお粥を全部食べようか」
「―――っ、お、まえ」

天井を見ていた目が見開き佐疫をみる。目線が定まらなく恐怖の顔を滲ませた水咽は身を起こし、手を伸ばして器とレンゲを手に取る。冷めてしまったお粥を一口、また一口と運んでいく姿をみて、心配事が一つ減りほっと胸をなでおろす。

「ごめんね、水咽。君は生きなきゃいけないんだ。例え、君の自由であった怪異の仇である俺達と長い時を生きるのだとしても苦しいのだとしても生きなければならない。だから、俺は無理やりにでも食べてもらうし寝てもらう」
「・・・仇か」
「・・・”深月”、明日まで寝てて」
「私は―――・・・、」

何かを言いかけた。けれど名によって支配を受けている水咽は言葉に逆らえずに身を布団に沈ませ瞼を静かに閉じた。開かれた口もゆっくりと閉じて―――吐息のみが部屋にきこえる。

静かに眠る彼女の髪をそっと撫でて、俺と斬島はこの部屋から出た。