「おはよう水咽」
「ああ、おはよう」

いつの間にか朝になっていたようだった。
鏡のない部屋の中。時間を知らせる時計も空もない。ベッドに寝転がって呆然と天井のシミを数えていた。いつまでもそうしていると扉がノックされたのだ。返事を返せば佐疫で、外にでれば”おはよう”の言葉。朝だ。ということは私は一睡もしていないことになる。

「・・・隈、できてるよ?寝れた?」
「・・・さあ、わからないな」

聞いてくれるな。肩をすくめてみせれば心配そうな顔をしてくる。そんな顔を私に向けなくてもいい。どうせ、罪人なのだから。優しくするな。錯覚してしまうだろうに。

「それより何か用か?」
「朝ごはん一緒にって思ってね。食堂に行こうよ」
「・・・わかった」

そのまま部屋をでて、鍵を閉める。彼について階段を下りていく。廊下の窓から覗く外は明るくスズメが鳴きながら空を飛んでいる。朝であることが自覚したからだが少しだけ眠たさに鈍くなる。ああ、朝ごはんを食べたら眠るか。眠れるかな。

佐疫に連れていかれたどり着いた食堂。扉を開けばベルがチリンチリンと高い音をたてる。味噌汁の匂いが漂ってきた。いい匂いだ。そう思えば腹がわずかにキュウと音を立てたのがわかった。
食堂の椅子に先に座っている奴がいる。青い目の斬島と紫の目の谷裂だ。二人が私の存在に気付きこちらに顔を向けた。紫の目が鋭くなり。青い、眼が、じっと、こちらをみる。

足が止まる。
罰というのは本当に苦しいものだな。鏡が彼を模している訳だが、見慣れたその姿に私の心が悲鳴をあげそうになる。目の前に鏡と同じ姿がある。それは、とても。残酷で。

「・・・・・・」
「水咽?こっちにおいでよ」
「・・・ああ」

不思議そうに首をかしげている佐疫に進められた席は斬島の前で。震える体を叱咤して、席にすわった。正面を向けばあの姿が目に映る。私は顔を向けられない。あげられない。目の前に出されたごはんと味噌汁そして魚だけをじっと見下ろした。

「・・・いただきます」
「うん、いただきます」

箸を手に取る。ご飯を口に入れれば美味しい。味噌汁は出汁が少し濃いめだが、ご飯と一緒に食べれば丁度良い薄さになる。青魚は脂がよくでていておいしい。病院のご飯とは違う味付けと暖かさに私の箸は自然にそれらを掬い口へと運んでいた。

「美味しいな」

ポツリともらしてしまった言葉に同じように食していた佐疫が笑う。
目の前の斬島も「ああ」と頷いた。

「キリカの飯だからな」
「キリカさんのだからね」

二人一緒につぶやいた言葉に確かに優しさが籠っていて、そうか、と返事を返してはそのキリカという者がつくった朝ごはんを完食した。

厨房にチラリと見える女性の影。完食した私はそちらに声をかけた。

「キリカさん、ごちそうさまでした」
「はーい、お粗末様でした」

声に反応して出てきてくれたキリカさんを見て、私はつい吃驚してしまった。

まさか、下半身が蛇だとは思わないだろう。
そうだろう?ここにいる奴らのなりは普通なのに。突然、半分人半分蛇の存在が現れた驚くのは当たり前だ。

「・・・キリカさんは怪異なのか?」

キリカさんから食後のお茶を受け取り佐疫に問う。同じように食べ終わりナプキンで口を拭いていた佐疫は首をふった。

「怪異は人の思いによって生まれる存在。キリカさんは、妖怪。妖怪も人の思いで生まれる存在だけども怪異と違うのはより高度な思いによって生まれたということ」
「高度?」

高度な思いとはなんなのか。怪異と妖怪の違いとは。というより妖怪が本当に存在していた事にも驚きだ。昔の人は自然現象や己で解明できない事柄を妖怪の責としてきたらしいが、科学の発達した現在では”幽霊の正体見たり枯れ尾花”のようなものだ。人間の見間違い、錯覚から幽霊だと間違えてしまったというそれ。妖怪も同じようなものではないのか。
否。今、ここに”地獄”がある故にそれは否定できなくなる。

「怪異は人間の噂や怪談話によって生まれる。それは八百万の数ほどある。記憶にとどまらなければ姿も存在もできない怪異が、長い時人間の記憶にとどまり畏怖恐怖等の思いを受け続けると―――そこに命が宿る。あいまいな存在ではなく確立した存在になる。それが妖怪」

なるほどよくわからん。
お茶をズズと飲みながら頭の中で整理してみる。怪異も妖怪も人の思いから生まれる。だが、怪異自体は人間のこんな事があった、あそこにはあんなものがいる、という認知されなければ存在できないと。怪談のように人々がそれを噂し記憶にとどめるからこそ存在できるのが怪異。だから人々の記憶から消えれば存在も消える。幻想だ。

妖怪は、その上位をいく存在。人の噂の記憶の有無によって幻のように消えたり現れたりする怪異と違い、そうならない存在、人の思いなど関係なくなったあるいは大々的に引き継がれるような記憶、噂であるのが妖怪。たとえば鬼。たとえばぬらりひょん。例えば、ケセランパサランといったどの世代でも一度や二度聞いたことのある存在となるのが妖怪になるわけなのだろうか。

「・・・そうなると彼女は清姫か?」
「ううん、清姫ではないよ」
「その清姫も元は人間だ。だが、そこから生まれた妖怪もいる」

僧侶に恋した清姫が裏切られ怒りにより蛇となり追いかける話だ。女の恋愛に関する執念と憎悪とは恐ろしいもの。そういうのは無縁だと思うが。結末としては鐘に閉じ込め打ち鳴らすことによりどうのこうのだったか。あいまいだな。まあ、いい。

斬島の言葉にさらなる疑問が増える。

「疑似清姫ということか?」
「うーんと、近いような近くないような。えっと、人の思いの数だけ怪異がいるっていうのはさっき話したよね」
「ああ」
「それと似た様に妖怪にも人の思いだけの妖怪がいるってことかな」
「??」
「つまり、清姫と言われて人物像を浮かべる。けれど人一人ひとりが想像している清姫は一致するわけじゃない。そして清姫と同じように半人半蛇の話は古くからいくつもある。もちろんそれぞれ話は違うし人物も違う。そしてやっぱり人が想像してもそれぞれが違う。その想像により形作られた存在っていうこと」
「妖怪であるキリカはその想像された数多ある人物像の内のひとりということか?」
「そうなるね」

だから半人半蛇だとしても顔つきも違うし性格も違う。特性は似たようなものであれど、生まれた経緯は違う。人の思いの分だけ存在している。そしてその中でさらに根強く残る存在達が妖怪となり姿を残す。

「・・・やはりわからん。というよりも混乱するな。広い視野が必要だ」

ああいうもの、こういうもの、と凝り固まった概念偏見を持ってしまっている人間である私にはなんとなく理解はできても、内側までは完璧に理解しきれないようで、少しばかり頭が痛くなってきたぞ。

「フン、これだから人間は馬鹿なのだ」

今まで黙っていた谷裂が立ち上がる。食し終えた配膳を手に持ち私を睨んだ。

「どうせ生を全うするまで館を出れず、輪廻するにしたって忘れる。なのに、それを知ってどうするんだ」
「谷裂、その言い方は良くないよ」
「事実を言って何が悪い。怪異などに心奪われその甘さから罪を犯した愚かで馬鹿な人間がお前だ。無駄な知識を蓄えるよりも己がどれだけ罪深いことをしたか懺悔をしていろ」
「谷裂!」

その睨みは刹那として私から離れることはない。佐疫の制止の声にやっと口を閉ざした谷裂は不機嫌そうに鼻をならして厨房に配膳を置きにいく。無言。

「ごめんね、谷裂は悪い奴じゃないだ。ただ、他人にも厳しい所があって」
「佐疫が謝ることじゃないさ。確かに事実だしな。だがな・・・」

片付けた谷裂が食堂を出るためにこちらに歩いてくる。私は立ち上がった。谷裂。そう名を呼べば眉間に皺を寄せてこちらを見た。その睨みは私を威圧でねじ伏せようとしてくるが、力をいれて立つ。そして谷裂をじっとみた。

「確かに私は愚かで馬鹿な罪を犯しただろう。だがな、それでも鏡と共にいることを選んだから罪を犯した。鏡は私にとって”自由”だ。束縛され死を待つのみの不自由な私に与えられた唯一の”自由だ”。ここで与えられた罰の他に懺悔もしろというならしよう。だが、私は”自由”を諦めない。肋角がいくら私を束縛しようとも、長い生に心が壊れたのだとしても、絶対に私はすべての罪を清算し鏡に会いに行く。絶対に」

決意とでもいうべきか。それとも、ただ事実ばかりいう谷裂に何か言い返したかっただけなのか。
罪を償い、鏡に自由に出会う。そう断言すれば谷裂の皺がさらに深くなった。無言の見つめ合いが数秒。どちらが先にそらしたかといえば、谷裂だった。溜息。

「・・・肋角”さん”といえ。貴様のその強がりがどこまで続くか、見てやろう」


それだけを静かに吐き捨て彼は食堂をでていった。