人は死ぬために生まれてくる。それはなぜ?どうして?どうして、死ぬために生きるという苦しみを得なければならないのか。どうして死は平等なのに生は平等ではないのか。私にはわからない。誰か教えてくれないか。
誰も。知らないのか。わからないのか。幸せ?それは、どういうものなのか。知らない。わからない。笑う?相手を想う?愛す?

おかしいじゃないか。
私を愛す者はいない。私を想う人はいない。私に、本当の笑みを見せてくれる人はいない。なのに、私にはそうしろ、だなんてそれが幸せだなんておかしくはないか。周りは私にそうしないくせに私にはしろという。それが幸せだと。それが良いんだと。けれど私にはそれらが結局そいつのためになるための言葉にしか聞こえない。私を想っているのでなく、尽くしてくれる存在を手に入れるために嘯いているようにしか聞こえない。

だって、母は生まれながらに死の病をもつ私を愛してはいない。私をみる顔は、我慢をする顔だ。私という存在がいることを、私の姿を見ることを、私の世話をすることを我慢している顔だ。ほら。看護婦がいなくなればその口が歪んで私に言葉のナイフを突き刺す。憎い者を見る目でみる。
私は想われていない。愛されていない。だから笑えない。愛せない。

愛せない。人を愛せない。
けれど、人じゃなければ、私は、愛せた。鏡から私を覗く存在。私の姿で笑う鏡は、言葉を話せない。けれど、私に近づき笑う。愛されない私へと微笑みを見せてくれる。想われない私を想う。笑わない私を、見捨てない。
ああ、なんてこの存在は素晴らしいのだろうか。温もりのない手。それでも私の止まった感情に鏡の想いが届く。ただの興味。けれど、面白い。そこから段々と変わっていく想い。
一緒にいたい。
共にいたい。

ずっと。


「あ」

割れた。







良くない夢をみた気がする。
ソファーで寝たからだろうか。それとも、不安が現れたのだろうか。ショックによる目覚めは体の力を抜く。痺れる感覚に身を動かすとコートが身にかけられていた。誰のだ。見ればどこかでみた。ああ。ろっかくが着ていたものだ。のそりと起き上がれば、そのろっかくが窓の外の夕日を眺めていた。コートが落ちる。

「―――目を覚ましたか」

夕日より鮮やかな赤が見える。落ちたコートを拾いゆっくり起き上がった。ろっかくのそばによりコートを返す。彼はあの時と違い柔い笑みでそれを受け取った。

「先程、斬島たちが帰還した。明日、俺の部下たちを紹介しよう」
「・・・」
「それと今すぐに使える部屋なくてな。すまないが今日はこの部屋で過ごしてくれ」
「・・・いいのか」
「何がだ?」
「監視対象から目を離していいのか?」

ここでこの生を全うしろといった。おそらくは軟禁の類になると、酷ければ監禁、拘束されると思っていたのだが逃げるための足を縛るものも刃物を持てる手を縛るものもない。監視する者もいない。逃げられるではないか。

「逃げる、と」
「・・・そういうわけ、ではないが、できてしまうのではないか?」
「フ、ならやってみるといい。――この窓に手を伸ばしてみろ」
「?」

綺麗な夕日が見える窓。外には私の見知らぬ風景が赤くそして闇に染まろうとしている。下を見れば裏庭だろうか、花がいくつか植えられている。そこにきりしまに連れられてきた時に出会ったさえきという男が如雨露を手に持ち水をやっているのがみえた。不思議と様に見えてしまうのは、彼は優男に見えるからだろう。

私は手を伸ばし、窓のガラスに触れた。ガラスの無機質の冷たい感触が手のひらに触れる。

「この窓は今鍵があいている。開けてみろ」
「・・・・・・・・・開かないぞ」

鍵が開いているのをこの目でしかと確かめている。今現在この目にうつしている。だというのに窓はびくともしない。触れることはできるが開けることができない。軽く叩けばダン、と音はなるがそれだけだ。なんなんだと手を離せばろっかくが窓を開けた。
涼しい風が吹き込んでくる。

「手を伸ばしてみろ」
「・・・、!」

窓の枠外へと手をそっと伸ばす、が指先がその枠を超える直前にコツリと固いものに触れた。窓ガラスがない。されど指先でつつけばコンコンと叩く音がする。どういうことだ。手の平で試してみる。私の手は枠の内側で止まり、見えない壁にはりついた。

その隣でろっかくの手が枠の外へと伸びていく。

「こういうことだ」
「・・・、なんなんだいったい」


まるで手品のような現象にろっかくが喉を鳴らし笑う。外に伸びていた手が私の髪を撫で一房つかみ口を落とした。髪に口づけを落としたろっかくの赤い目が屈んだ状態でこちらを見た。途端に湧き上がる恐怖。心臓をわしづかみにされたかの感覚。蛇に睨まれた蛙のような。そんな。
目の前のろっかくはくつくつと笑っている。

髪がさらりと手の平から落ち、今度は私の頬をそっと撫でた。まるで壊さぬように力の入っていない指先で、何度も頬を撫でてはその獰猛な瞳で私の反応を愉しんでいる。親指が、唇を、撫でた。

「説明をした時に言っただろう。”館からはでれない”と」
「・・・、それは、言葉の、あや」
「ではない。その怪異が知っていたかどうかは知らないが、教えてもらうべきだったな」

唇を何度も撫でては愉悦を覗かせる瞳。愚かな存在を見下ろす目。息がうまくできない。この男の目線だけで殺されるんじゃないだろうか。現に私は男にこうして見つめられているだけで呼吸が苦しい。




「己より格上の存在に”本名”を教えるべきではないとな。なあ、”深月”」
「、っ」

息が苦しい。呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだ。心臓がうるさい。私はこいつの目を離すことができない。その獣の赤い瞳から目を離せない。強制させられているかのような。命ぜられているかのような。人形のような。

指が唇との間に割り込み前歯に触れる。逃げられない私は知らずのうちに口を開きその指を中に招き入れる。指が歯茎をなぞり舌を撫でる。

「貴様の名は俺が支配している。お前は、その罪を償うまでこの館を出る事を禁ずる」
「――――はっ・・・う」

冷たい指が離れていき、唾液が糸を引く。
視線が逸れ、束縛する赤が視界に入らなくなった私は脱力しその場にしゃがみこんでしまう。息の仕方を思い出した肺が酸素を取り込もうと膨らむ。
赤かったそらは暗かった。



「なに、不自由はさせない。それに、大人しくしていれば、たまには外にも出してやろう。監視付きだがな」

ろっかくが離れていく。扉を開け出ていく彼の後ろ姿。閉じられ、一人となった部屋の中でどんどんこみあげてきた恐怖に身を抱く。不治の病を過ごしてきて死と隣り合わせでだから怖いことなどないと思っていた。
だが、私は震えている。怖いと思っている。心の底から湧き上がる奈落の色が、寒さが、暗さが、私をつかみ落とそうとしてくる。


おそろしい。
ろっかくは、おそろしい。





「か、がみ・・・鏡っ鏡鏡・・・!」


こわい。こわい鏡。助けて鏡。私を救って。

病室から、自由もなにもないあそこから連れ去ったようにここに来て、私をここから連れ去ってほしい。







「鏡・・・」



けれど、鏡はこなかった。