かごのなか




『こっちにおいで』

暗闇の中手を招く声。手だけが闇の中から現れて平腹と田噛を誘う。平腹も田噛も、その手に対して良い感情は持ってはいなかった。

覚えているから。
その手は、幼子を闇の中に連れ去ってしまう。
そして、怖い怖い檻の中に入れてしまうのだ。

覚えている。

その手がとても怖いということを。

それでもその手の後をついていくのは、もう一人ついて歩く子供がいたからだった。

二人の前を歩く一人の幼い子供。
兆野の記憶だ。


「・・・兆野だけ捕まえればいいじゃねえの?」
「・・・・・・だめだ」
「なんで」
「・・・ここが、イドの中だからだ」
「わかんねえよ・・・」

イドの中だ、と明確な理由をくちにしない田噛に苦を顔をに表しながらそれでも後をついていく。田噛はそれっきり黙ってしまい、平腹も同じように黙ってしまう。

どのくらい歩いたか。
手はいつまでも招き、幼少姿の兆野と阿吽の二人をどこかへと連れていく。

「止まった」
「・・・おお」

そしてやっと手が止まる。子供の足も止まり、二人の足も止まる。周囲は真っ暗で何もない。いやあるのかもしれないが見えない。黒いカーテンに囲まれたように、視界を覆われたように見えない。

けれど、もしこの手が田噛の知る手であったならば。平腹の感覚で覚えている記憶であるならば。

目の前の幼子は、その手に捕まってしまうのだろう。

何があるのか?と首を傾げる幼子へと田噛は近づき、その襟をつかみ引っ張る。
、と同時に幼子がいた場所に大きな鳥篭が落ちてきた。ガシャン!と大きな音を立てて現れた底の抜けた鳥篭。田噛がそこから幼子をどかさなければ今やその檻の中に閉じ込められていた。



小さな兆野がそこでやっと田噛達の存在に気付いたのか、大きな目で見上げた。


「だれ?」


過去の記憶でしかない兆野が己たちの事を知っているわけはないが、今現在仲間であるはずの兆野に言われるのは少しばかり寂しいものだ。一瞬、息を詰まらせた田噛だが「たがみだ」と口にする。
すると、「・・・だがみはどうしてここにいるの?」と疑問を投げてきた。

「・・・お前はどうしてここにいるんだ」
「オレ!オレ、平腹!!覚えろよ!!」
「黙れ馬鹿」
「いでぇ!?」

会話が成立することを理解した平腹が話に割り込んでくる。隣で騒ぐ相方を殴り黙らせるともう一度、目の前の子供に問い返す。お前は何故ここにいるのか、と。


「お母さんがここにいるの。だからここに、居るの」
「「!!」」

子供が先を指さす。
何もなかった空間に、気配が現れる。四角い檻の中にベッドに眠る人がいる。生気のない白い表情で景色の一部のように、静かに薄く存在していた。

「――・・・あれが、兆野の母親か」
「お母さん独りぼっちだから、一緒にいてあげないと」
「おーい!」

田噛の手から離れた兆野が檻の前まで走る。今度は手放さないように、と平腹がその子の後を追いかけていく。

出入口のない檻の中にいる母を呼ぶ子供。母親は聞こえていないのか意識がないのか、あるいは無視をしているのか動くことはない。二人の後を追って同じように檻の前に来た田噛はベッドに横たわる生者の状態を確認した。

「・・・昏睡状態か」

魂がとても静かだ。そして怪異に飲み込まれた故にその衰弱しきった心は死へと向かっている。このままここにいれば確実に死に魂はイドの一部として取り込まれるだろう。

己の心の底から這いあがり惨めを感じて子を虐待していた魂はイドの一部となり、同じ境遇の魂を喰うために、あるいはその器を奪うために彷徨うだろう。

「お母さん、おかあさん、おかあさん」

きゃきゃ、とそこに母がいることだけで喜ぶ子供。あれがここにいる限り、この兆野の記憶もここを動かない。兆野もあの母に引きずられるようにイドの一部となってしまう。

そうなれば、獄卒として存在する兆野は完全にイドに呑まれるだろう。
獄卒という器をイドは手に入れる事ができるだろう。

「平腹」
「ふぉ?」

本当は助けたくはない。己の勝手な感情で兆野を拒絶し虐待し殺したのだからこのままイドに呑まれてしまえばいいと思う。死して逃れる事のできぬ苦痛を永遠に自我さえなくなりカスとなって消滅するまで味わえばいいと思う。

だが、助けなければ兆野がイドに呑まれる。
それはとてつもなく勘弁だ。仲間でありまだまだ強くない兆野をこの先ずっと顎で使っていきたいのだ。


「あのクソババアを解放するぞ」
「クソババア!ぶふっ!!おっけー!」

田噛の口からでた言葉に息を吹き出し笑う平腹はスコップをしっかりとつかみ兆野の母親を閉じ込めている檻に向けた。