逃げたのは鳥か鳥篭か




血がでなかった。
黒い謎の存在がこぼれて。なんなんだ、これはと気を失ってしまった。

「・・・ああ」

目を覚ました私は、少しだけすっきりしたような、軽くなったような腹を撫でた。そこには傷跡も服を破いた後もない。再生したんだ。

「逃げたのか。そうだろうなあ、きっと、居心地悪いからね」

一人きり。敬語を話す必要はない。
身体を起こせば昨日よりも幾分か軽いからだ。どのくらい逃げたのかわからないが、それなりに逃げてしまったのはわかる。
そしてきっとこの腸にはもっともっと逃げたいと思っている”命”がいるんだろう。ここは、私の腹の中はきっと同じ人間の血と肉で溢れかえっているから。

さぞ、地獄なんだろうなと思うのだ。


**

しばらくこの館にとどまることになった。昨日の説明で私が間違った記憶覚え、あるいは忘れをしてしまったことを思い出したのだ。きっとこの世界には仲間はいないだろう。いるとしたらこの腹の中か。あるいは、元の世界か。どちらにしたってきっともう出会うことはないんだろう。
寂しい。悲しい。けれど少しだけほっとしていた。それに私は嘲笑した。

医務室を出たはいいが、何をどうするのかどうしていいのかがわからない。特務室にでも行こう。肋角に指示を仰ごう。そう道を思い出しながら進んでいくと目の前に黄色い瞳の獄卒が現れた。目を見開いて私を見つけるとズンズン!と早足で近づいてきて目の前で止まる。私は身長は高くなくて首を曲げて見上げなければならない。

「オレ!平腹っていうんだ!お前は?」
「つかさです。平腹さんは、何か御用ですか?」
「用はない!!」
「・・・そうですか」

この獄卒、よくわからない。口をUの字にしてたたずむ平腹。やはりよくわからないので脇にずれて特務室に向かう。すると横に並んでついてくる。

「・・・」
「ふんふーん」

鼻歌まで歌い始めてこの人は本当になんなのだろうか。ため息を吐きそうになりマフラーで隠す。慣れてしまえば大丈夫だろう。そう言い聞かせた。
特務室にたどり着いた。すると平腹は「じゃあなー!」と手を振って離れていく。いったい何なのだろうか。もしかして迷子にならないようにとついてきてくれたのだろうか。そんなわけない。どちらかというと監視目的だろう。素性を明かし身の内話をしても結局は他人は己で見たものしか信じないし見ても信じはしない。己が正しいのだと偏見で現実を真実を歪める。
彼はきっと私が怪しいと判断したに違いない。危険なのだと判断したのだ。ここに味方はいない。きっと敵もいないだろうが、味方はいない。

ドアをノックした。
入れ、という肋角の声に従いドアを開けた。紫の煙がうねっている。肋角はキセルを加えて書類を見ていた。私の瞳の色とは違って燃える赤色の瞳がこちらに向いた。微笑みを見せられる。

「起きたか。気分はどうだ」
「実は気分は軽いです。昨日、腹から出てきたスライムはどうなりました?」
「捕まえようとしたが、すばしっこくて誰も捕まえられなかった。唯一、触れたのは谷裂だったが分裂し隙間からすべて逃げられてしまったな」

逃げられた。そうなると、どうなるのだろうか。
もし、あの世界の存在があの謎のゼリー状となっているのならば、それで逃げたのならばこの世界で形を成すかもしれない。同じ世界ではないけれど、確かに世界なのだから。
そうしたらこちらの世界にどんな影響がでるのだろうか。あるいは何もでない?

「もしかしたら、この世界で形を成すかもしれません」
「あのゼリー状のがか?」
「はい、あのゼリー状のが、です。あれは圧縮された前の世界の存在です。私の腹に収まるように小さくなっていたんだと思うんです。けれどそこから逃げ出すことができた。私の腹の中の世界より、この世界ははるかに大きい。この世界に合わせてサイズを変えるはずです」

元の人の形か、あるいば化け物か。
どちらにせよ、この世界にそいつらを留まらせておくわけにはいかない。あの前の世界はもう終わっているものだ。不幸にも腹の中に世界が出来上がってしまったわけだけれどももう、終わらせなければいけない。この世界はこのままにしておけばまたあの神がまた生贄を選ぶ。
・・・神はどうなっているんだろうか?この腹の世界と同様に圧縮されているのだろうか?それともあの私の暴走で消えてしまったのだろうか?

謎が謎を呼ぶ。誰もその答えを知らない。
私は、使い慣れていない頭がずきずきと痛くなってきたのにため息を吐く。

「まあ、それは追々何かあると思います。それでですね、肋角さん。私、何をしたらよいのでしょうか」
「ふむ、なんでもすると言っていたな。ならとりあえずコーヒーをいれてはくれないか?」
「はい」

そこに道具が置いてあるから、と。視線を向けた先にあったのは謎のフラスコのようなものがついた道具。なんですかこれ。私にはわからない品物です。


「ろ、肋角さん、これは、な、なんですか」

「・・・それはサイフォンといってな、」



- 6 -


[*前] | [次#]