終着点の頂




「カナシイヨクルシイヨ、カエリタイヨ」

ゴボゴボと聞こえる声。掠れた声。それは誰の声か。酸素が体をまわらなくて耳なりがする。脳に行かない酸素。思考は鈍くなり朦朧としている。まだ気を失うわけにはいかない。腕を握る斬島の手を感じながら水底を見た。暗闇。けれど私の両足をつかんでいる腕の先。そこに紫色に変色、膨張し水死体の醜い姿となった存在が、亡者がそこにいた。膨らんだ唇からボソボソとこぼれる声。

「カエリタイヨ、カエリタイヨ、サミシイヨ」

目があったならその亡者は泣いていただろうか。すでに目玉が抜けてしまっている眼窩。けれどそこから確かに視線を感じ、その視線が私を、この頭上の星空の下を見ている。
この亡者は水底ではなく地上に出たいのだ。生者を引きずり込んだもの、この闇の底に沈む仲間にするわけではなくて救いを求めて手を伸ばしたのだ。
気を失いそうになる。視界が遠くなる。歯を食いしばり、今にも気絶しそうな白黒とした感覚の中、腕に力をいれた。

少しずつ、上へと。
水面が近くなり、月の明かりもよく見えるようになる。筋肉が引きちぎれるんじゃないかと思うくらいに必死に力こめて、私はやっと暗い水から脱出を果たしたのだった。


「つかさ大丈夫か!」

「はー!はぁー!ゲホ!」

上半身を水から出すことができた私はそのまま斬島に抱き上げられる。まだ足にしがみついている亡者。私と私以上に重い亡者を顔を歪めながらもゆっくりと持ち上げていく斬島。私もまた落ちないように、彼にしがみつく。

「よしっ」

完全に陸に戻れた。私の足にしがみついている亡者も地面に転がっていた。
目のない亡者は、その膨れたからだでベチャベチャと這いずり肉の腐り削げてしまった骨と皮だけの腕が月明かりに伸ばされた。

「これが、亡者か・・・」
「アア・・・アアア・・・カエレタ。カエレタ・・・カエレタ」
「たぶん、引きずり込んでたのは地上に出たかったからだと思うよ。ずっと暗い水底にいて、怖くて、寂しくて、一人じゃどうにもできなくて・・・だから、誰かに助けてもらいたかったのかも」
「アアア、アアア」
「成程な。亡者よ、これから地獄にお前を連れていく。そこでお前は罪を償い輪廻をはたせ」

「アア・・・アリガ、トウ」

水浸しになった重いからだを起こす。水死体の亡者はその身が消え、代わりに青白い炎をなって見せた。細く燃えるそれは、まるで人魂のよう。否、人魂なのだろう。

「任務は完了した。帰ろう」
「はーい」

人魂を傍らに私達は黒い穴の中を入っていく。
横にいるその青白い炎。穴をくぐる間、その亡者の言葉が頭の中で何度も繰り返し再生されていた。
”カナシイヨクルシイヨカエリタイヨ”

私は、右腕を握った。


**


「――報告は以上です」
「斬島、つかさ、よくやった。疲れただろう、報告書は明日でいい」

亡者の引き渡しを終えて館に戻った私達。バスタオルで身を包みながら斬島の報告を聞いていた。話が終えたところで自分がボケっとしていることに気付く。それは肋角も気付いたようで私をみた。

「どうしたつかさ、眠いのか?」

まるで子供扱いの台詞にほっぺを赤くさせながらも間違いでない指摘に頷いた。
それに笑う肋角。

「眠いのはいいが、しっかりと風呂で身を温めてから寝るんだぞ。不死といえど風邪をひかないわけではないのだろう?」
「まあ、はい」

歳をとらず死なない。が、だからといって病などにかからないわけではない。
報告を終えた私と斬島は特務室を出て、廊下を歩く。日の変わらないうちに任務を終えられてよかったと思う。目を開けてるのが少しつらい。目を閉じれば微睡にそのまま眠ってしまいたくなる。

「明日、報告書作成に少し時間をもらうがいいか?」
「うん大丈夫・・・」
「つかさ?」
「んー」

斬島の声に目を開ける。

「お前は、あの亡者がずっと暗い水底で、怖くて寂しくて一人ではどうしようもなくて助けてほしかったんだ、と言っていたな」
「ん」

鈍い思考。ふらつきそうな足で歩いている私が危なっかしいと思ったのか腕をつかんで共に歩いてくれる斬島。

「つかさは、助けてほしいか?」
「――・・・斬島?」
「お前も、つかさも、その亡者と同じく、光のない水底で助けをまっているのでは、ないか?」
「・・・・・・、」

言わないで。
言葉にしないで。


「つかさ、俺たちはお前をなかま、――」
「おやすみなさい、斬島」

私はその先の言葉を聞きたくなくて、わざとさえぎる。
斬島の腕を離れてたどり着いた自室のドアを開ける。中に入る前に「じゃあまた明日」と振り返れば斬島は少しの沈黙の後におやすみ、と返事を返してくれた。

ドアを閉めて、私はその場にしゃがみこんで目を閉じる。


斬島が何を言いたかったのかわかっている。
おぼろげながらにも、木舌にも言われたような気がする。

「・・・・・・・・・それはダメだ」

仲間になんて無理だ。それは私の目的を成しえることができないことになる。

「・・・・・・、」

私の目的は、腹から逃げた奴らをすべて取り込み、世界を、壊すこと。壊して、壊し損ねて私の中で残ったその世界を壊すこと。
世界は、私なのだ。私がその世界なのだ。世界を消す。それは。

私の消滅、である。

死ぬことのできない私だが、だからといって死ねないわけではない。死、という形がないだけで、私は死ぬことはできる。私はこの世界の権限を手に入れているのだから。この世界に合わせて宿された不死、バサラの力は、この世界の権限からくるものだ。神によって植えられたそれは私の今の不完全な権限ではまだいじれないが、腹にすべてを収め、刹那の夢にいる神が消えれば、私の物だ。


そうしたら、私はこの不死を解き、力を使い。







死ぬ。






だから、私が、彼らと仲間となって歩む道は、ない。


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