泡沫の常闇





「つかさ、我々の仕事を手伝ってはみないか?」



そう言われた午前。

己の腹の世界から逃げ出した者たちは一向に見つかることがなく、現世にも行くことがなく館で鍛錬ばかりをしていた。最初こそ見つからないことに不安を覚えていたわけだが、今では暇だということに不満を覚えてしまっている。罪を忘れたわけではない、が。
私はこのような穏やかな生活に懐柔されやすいわけだ。穏やかな時間に、心が穏やかに落ち着いていくのだ。それが心地よくて仕方ない。だめだ。

だから、私は肋角のその手伝いを了承した。

「助かる。今の時期は人手が足りなくてな・・・」
「むしろそんな時期にのんびりしててすいません。・・・で、どんな手伝いなんでしょうか?」
「――人間は死ぬと魂だけの存在、まあ幽霊となる。そこで人間は三途の川を渡り七日ごとに閻魔をはじめとする十王の七回の裁きを受け罪に見合った地獄へと落とされるわけだが、この世に強く未練を残した者は、現世を彷徨うのだ。ただ彷徨うだけの存在ならいい。だが、彷徨うことによりあるいは未練により生者に強く執着し変貌を遂げた”亡者”がいる。それを捕まえ地獄へと連れていく。それが我々の主な仕事であり、つかさに手伝ってほしい仕事だ」
「亡者・・・」

前の世界で、私は声を聞いていた。影から吐き出される陰湿で禍々しい声達。この世に憎悪を、未練を、執着を吐き出していた。何度か巡る度にそれらの声は強くなり終焉間近では、騒音のごとくに世界中に充満していた。
それは、肋角のいう亡者のようなものだったのだろう。

「わかりました。それで、どうすれば」
「先程任務を終えた斬島が戻ってくるはずだ。彼と共に向かってほしい。斬島が戻るまで資料を読んでおいてくれ」
「了」
肋角から渡された資料を手に取り、斬島が戻るまで待った。


**

「すまないな」
「いえ、」

日はすっかり暮れてしまい少ない星が光る夜空の下、私と斬島は任務先の地点に向かっていた。朝から任務に出ていた斬島は顔にはあまりでなかったが、時折ため息を吐いていて疲れているんだなとわかった。元々顔色が青白いからよくわからない。さっさと終わらせて斬島を休ませてあげよう。

「この先に、池がある。そこで入水自殺をした亡者が、近寄った生者を引きずりこもうとするらしい」
「妬みですかね」
「さあな。だが、生者が一人そいつによって溺れ死んだ。放ってはおけない」
「そうですね。さっさと捕まえて帰って寝ましょう」
「ああ」

見慣れた街並みを端にとらえながら道路からそれる。林の中に小さな池があり、月の明かりだけではよく見えない。水音が聞こえて、わずかな光の反射で波打つのが見える。落ちないように小さな杭と縄で囲われている。足元には、きっとその引きずり込まれ死んでしまった人へ手向けられた花だろう。少し元気のない花束がそっと置かれていた。

「意外と浅い池なんですね・・・」

縄を跨いで、片足を突っ込む。ドボンと静かな中に響いた水音。水の深さはひざ程度しかない。この深さでどうやって溺死したのか。奇妙だなと思いながら足を池から出して彼へと振り返った。
彼はその深い青の瞳で私を見ていた。口がわずかにあいてる。私、何かしたのだろうか。

「・・・足を突っ込むことはないだろう」
「いや、あまりにも小さいから深さを知りたくて・・・」

あまりにも小さい池で、だからどのくらいの深さなのか知りたかった。ただそれだけで、深さをはかる棒もなかったので代わりに足を突っ込んだだけ。それが一番手っ取り早いし。
そう告げれば長い沈黙の後に「そうか」とだけ返事が返ってきた。

「けど、亡者は見当たらないですね。移動できるんですか亡者って」
「執着しているものによるな。土地に執着していればその場から動くことはない。今回の亡者も、おそらくはこの場にとどまっているだろう」

しかし周りを可能な範囲で見渡してもそれらしいと思われるものはみあたらない。この池で入水自殺したという亡者。案外、この池の底に埋まっているんじゃないだろうか。この浅い池の中で、もう無くなった己の死体を探しているんじゃないだろうか。

「けどこの浅さで入水自殺って・・・まず死のうとするのに工夫いりますよね。たとえば重石をつけて寝転がるだとか」

ひざまでしかないのだから、すぐに起き上がることができてしまう。ずっと寝そべった姿勢を保てなければ死ぬことなんてできやしないだろう。

「あ、それか手足を縛って飛び込んだとか」
「それならば自殺ではなく他殺となるだろうな」
「そっか。それか・・・・・・足が不自由だったとか」

水中に寝そべってしまえば全体を使わなければ動けないし、立つには足が必要だ。その足が不自由で動かないのだとしたら落ちてしまえばそのまま死んでしまえる。なんて可能性のある限りの予測をしている私は、何かないものかと池をのぞき込む。

わずかな月明かりで反射されている水面に私が映っている。背後に月が見えて、綺麗だった。やはり亡者はいない。斬島はこの場にとどまっているだろう、と言っていたが移動可能な亡者だったのではないか。
私と同じように斬島が池をのぞき込んだ。暗い中なのに、よく見える蒼い瞳。静寂を連想させる雰囲気の顔が波紋で崩れた。手が飛び出してきた。

「斬島!」
「っ!!」

突如と水面から現れた手が斬島の首をつかんだ。前のめりになっていた姿勢であったために引っ張られ安定感を崩した斬島が池へと落ちようとしている。咄嗟に私は斬島の胴体にしがみつき後ろへとし倒した。

「くっ、すまない」
「びっくりしたー・・・あああっ!?」
「つかさ!」

池に落ちなかった安堵を抱いた直後今度は私の両足にゴムのようにグニとした感触の手だろう、それが掴み引っ張った。斬島にしがみついていた私は、彼を共に引きずる形でひかれていき下半身が池に入った。あんなに浅かったはずの池なのに、いつまでも足が地に着くことがなくそのまま底へと引っ張られそうになる。寸でで、斬島が池に入る前に踏ん張ってくれたおかげで私は底に沈むことはなかった、がそれでも引っ張り続ける力に私の腕は震え始めていた。

「厳しい・・・!」
「つかさ、バサラの力を使えっ」
「みっ水の中じゃ、動きが鈍くなって!逆に、む、むり!」

私のバサラは闇だが、霧を想像して具現化している。水の中では、霧はつくれない。霧は水分だが、水と濃度が違いすぎる。何度か試したことがあったが、操るには相当な集中力が必要なうえに、鈍い。ほとんどが水に沈んでるこの状態じゃ使えない!

ズルリと腕が彼の胴体からずれ落ちていく。斬島はそんな私の腕をつかみ引っ張り上げようとしたがなかなか上がらない。私はとうとう腕の力が抜けてしまい、水の中に全身が沈んだ。引きずり込まれていく私をなんとか支えているのは斬島の私の腕をつかんでいる手。気泡がゴボゴボと漏れて浮上していった。

開いた口から空気が漏れ代わりに水が浸入してくる。魚でない私は水中の酸素で息をすることはできない。肺にたまる水。酸素が吸えなくて息苦しく詰まる。死ぬことはない。死ぬことはないが、斬島の手が離れたら最後、この底の見えない水中の底へと沈むことになる。そうなれば、私は永遠に死ぬこともできず呼吸をすることもできずに、溺死の苦痛を味わうことになる。一人で。暗い中で。誰にも会えずに。しゃべれずに。この苦しみを誰にも話すことができずに。それは。なんて。恐ろしい。

悲しい。



「カナシイヨクルシイヨ、カエリタイヨ」



水の音にまぎれて澱んだ声が聞こえた。



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