花菱草






いうならばそれは無力に打ちのめされた故の罪悪感。後悔。
あの時、今のように強ければ。力があれば。あるいは第六感により誰か、それか御病さんだけでもその場に留めることができたなら。
もはや過去は過去。結果はここにある。変えることなど、不可能。
我々は前に進まなければならない。たとえ、滅ぶのが宿命だとしても、だ。

御病さんはこの館の中で自由にさせている。
もちろん、目の届く範囲になる。キリカやあやこは我々と違い抵抗はできないのだ。彼女らに危害が及ばないようにしなければならない。そして接触した部下達から報告をもらう。対処しきれない時には己が向かう。それを続けていた。

館にきて最初の頃は昼夜関係なしに泣き叫び全てに恐怖し疑心を持ち乱心の限りだった。
次第に、落ち着いてきたのか手に負えない回数は減ったものの、心ここにあらずと廊下で転がって放心状態が続いていた。それを何回か佐疫が彼に与えた部屋へと戻していると聞いた。

それから館をうろつくようになった。だが思ったよりも落ち着いている様子だ。こちらの声掛けに反応する回数も増えてきた。苦痛が減ったおかげで思考や心に余裕が生まれたのだろう。もしや、という希望が見えたが・・・彼を見かけるたびに空中に舞っていく粒子に、現実に戻される。だが、このまま落ち着いていけば”無”への下りを遅くすることはできるはずだ。

次の報告に俺の心は奮えた。胃にのしかかっていた重みが軽くなるのを感じた。そうか、と力を抜いて微笑んだのを覚えている。

御病が平腹とまともに会話をしたらしい。和菓子の事。武器の事。俺とどちらが強いのか。穏やかな顔で乱れることもなく話したという。そして、どうして逃げられたのか、という平腹の残酷な興味心にも、動揺することなく心中を話した、と。
嗚呼。御病さんはやはり優しい。優しさが強さだった。あの頃から、優しかった。そして、決して自身の欲をそこにはいれなかった。それは、今も、健在で。彼が、消えてなくて良かったと感じた。逃げられたのが彼でよかった。でなければ、俺は今長年抱えていた自責の念を消すことはできなかっただろう。

――・・・今、御病さんは何をしているだろうか。

無性に会いたくなった俺は見終えた書類に受理のハンコを押してまとめると椅子から立ち上がった。



御病さんはすぐに見つかった。内庭で転がっていた。
芝生の上に力なく転がっている。手元の土は掘り返されていて穴が開いている。手も汚れてしまっている。報告でまともに話したと聞いたがその時だけだったのかもしれない。目の前の御病さんは茫然自失にどこぞとわからない所をじっと見続けていた。

「御病さん」
「・・・・・・・・・・・・・・・ぁ」

手が動く。草をむしり、土を掘ろうと力なく動こうとする。だらしなく開いていた口がかすかに動くもそれだけの反応で、視線はこちらを向かない。
それは、悲しい。

「・・・御病さんはやはり優しいです。若かりしあの頃もそれに救われ・・・今も優しさに救われた。御病さん、俺は、こうしてまた貴方に会えたことを心から嬉しく思います」
「・・・」

膝をつく。御病さんの頬は思った以上に冷たくて氷の様。それでも今、ここに存在している。まだここにいるのだ。

「・・・御病さん、俺に何かできることはありますか?」
「・・・・・・・・・・・・な」
「――、」

明後日を見ていた視線がゆっくりと合った。
電源を入れた物のように、眠りから覚めた者のようにまたは死から蘇った愛しき存在のように。朗らかに微笑んだ顔は、口はゆっくりと幸せそうに紡ぐのだ。

「・・・お花とみんなに見送られたいな」


君と。俺と。みんなの。好きな花に囲まれてその匂いにまどろんで、花弁の柔らかさに包まれて。

そして同じ獄卒であり仲間であり友であり、家族でもある君たちに最期を看取られたい。

御病さんは静かにささやいた。

「なあ、肋角」
「・・・はい」
「俺、もうダメみたい」
「・・・はい」
「けど」

意識のしっかりした御病さんの言葉一つ一つをしっかりと聞き取る。
土で汚れた手を見て、困ったように笑った彼は泣いているようにも見えた。


「ここに帰ってこれてよかったよ」

「――・・・はい」


胸をぎゅっとつかむ。
家であり俺という見知った存在がいるこの館に帰ってこれた幸せ。獄卒で不老不死である中での”無”への不安を噛みしめて。


「なあ、肋角・・・」

最後にさ、と俺をみる。
俺もまた御病さんをみた。

「・・・ぎゅっとしてくれないか?・・・全部、うそな気がして、怖いんだ」
「御病さん・・・」
「お前が今、ここいにる証拠を俺に、ちょうだい」


そらさず見るその瞳。
俺だけを見ていて、その中に揺れる脆い心に俺の身体はすぐに彼を抱き起した。そしてそのまま強く抱きしめる。小さかった。軽かった。
嗚呼。彼は思った以上に小さかった。

「ありがとう、肋角」
「御病さん・・・」


そして、彼は眠りについた。