弁慶草






―――それは、馬鹿の発言から始まった。

御病という肋角さんの先輩が、長い拷問生活の上に戻ってきた。どうみても狂っているそいつは館に今住んでいる。おそらくは存在できる時間が限られている故にここに置いておきたいのだろう。

御病の一番帰りたがっていた場所に。

もちろん面倒事には関わりたくない。話しかけてもまともな返事なんてかえってこない。だから俺は無視をする。向こうだって半端に関わられても迷惑だしな。俺だって、迷惑だ。
だってのに、この馬鹿は。

「なあなあ!」
「・・・」

休憩室のソファーで静かに座りその藤色の瞳を窓の外に向けて座っていた御病へと声をかけやがった。めんどくさいのは勘弁だ。平腹の馬鹿を置いて早々にそこを去ろうとした。
静かな、落ち着いた声だった。
今までで一番、意思疎通のできた声だった。

「肋角さんと御病はどっちが強いんだ?」
「・・・昔は俺がかろうじて勝ってたけど、今はもう勝てないかな」

思わず足を止めて見てしまった。
へー。そうか。なんて会話を続けている平腹。

「御病はなんの武器使うんだ?」
「武器・・・矛を使ってたよ。もうないけど」
「好きな食べもんは?」
「和菓子が好きだな。麩菓子が特に。食べたことあるか?」
「んー、ない!こんぺいとうは?」
「こんぺいとうか・・・食べたいな。甘いの好きだ」
「オレもオレも!!」

「・・・」

なんだこれは。


視線は相変わらず窓の外を向いてはいるが、平腹の質問にまともに返し、しかも質問も返してきた。平腹の同意を得た御病が少しだけわらった。まともだった。毎日毎日泣き叫びわけのわからない言葉を発してのたうちまわったりもしていた奴が今、こうして、静かに、狂うこともなく、会話をしている。
戻ったのか?
あるいは、消滅寸前、刹那の理性なのか?

俺は扉に伸ばしていた手を戻し壁に寄りかかり二人の様子を観察した。
平腹は何も考えてはいない。ただ、興味心からくる質問だ。作為的に聞き出そう、なんて考えはアイツにはない。

「じゃあさ、今度食べに行こう!」
「ああ、行こうかな」

またわらった。
平腹も今まで見てきた御病とは違う反応が嬉しいのかニマニマと笑っている。御病の隣に座った平腹。急な接近にも御病は動じず穏やかに目を瞑り、ゆっくりと開けた。

「・・・なあ!」
「ん?」

会話が止まり、平腹の表情も止まる。
声をかけてから数秒と何かを考えていたのかじっと御病をみていた。
良くないきがする。

「――おい」
「御病はどうして助かったんだ?」

制止は不可能だった。俺の声に耳を貸さない馬鹿は御病に一番聞いてはいけない質問を口にした。狂う原因となった拷問され続けた時の話。それはきっといや絶対、御病の地雷だ。

制止できなかったが、平腹をここに置いとくのはめんどうだ。更なる混乱を与える。肋角さんを呼んでこなければ。平腹を引き剥がさなければ。

「どうして逃げられたんだ?」
「平腹」

平腹を引き離そうと腕を掴んだ。動かない。俺の方は見ない。ただ、窓の外をじっと見ている御病を見ていた。

「・・・・・・逃げられたんじゃないんだ、きっと」
「・・・、」
「どゆこと?」

まともに、答えた。

「きっと、逃げられたんじゃないんだ。俺が、もう、使い物にならないから捨てたんだろうな。惨めに這いつくばって朽ちる姿を見たいんだろうな。何度も殺して消滅させるのには飽きたんだろうね」
「お前・・・」

こいつは、誰なのか。あの狂った存在でなく、御病自身なのか。

「けれど・・・それでも・・・・・・ここに帰って来れただけで、俺は満足だ。うれしい」

またわらった。

「・・・なにが満足だ。結局は、最後まで弄ばれてるじゃねえか」
「確かにそうかもしれない。けれど、そうだとしてもここに帰って来れたという事は、」

今まで外をみていた御病がこちらを向いた。
実に穏やかな顔で、優しくて、純粋だった。その表情は、無垢だった。仏のような。いいや天国の奴らよりも実に穏やかな。

無性に泣きたくなる。

「ここに・・・帰ってこれたということは、消滅してしまった仲間をつれてこれたようで嬉しい。それに罪悪感を持ってしまった肋角の心が少しでも軽くできたから。それが嬉しい」
「・・・」
「御病も肋角さんが大好きなんだな!!」
「ああ、そうだよ。・・・ほら、まだ仕事の合間だろう?いつまでもここにいてはいけないよ」
「はーい!田噛!行こうぜ!」

「・・・」

いいのかそれで。そう言いたかった。けれど口に出せなかった。それが御病の望みならって思ってしまった。

御病自身のことよりも、拷問に耐え切れず”無”に消えた同僚達や、独り助かったことの救うことができなかった肋角さんの気持ちを案じている。なぜ。どうして。普通なら、消えたくないって思うんじゃないのか。肋角さんになぜ助けなかった、と責めたりしたくなるんじゃないのか。なのに、こいつは。


肋角さんが、御病は優しいと言っていた。


「おぉい、田噛ー!」
「・・・お前は、」

「なんだい?」



馬鹿みたいに優しいな。

「・・・今、穏やかに過ごせてるのか?」

「――――ああ、穏やかだよ」


御病は、幸せそうに。
わらった。