谷裂は目の前で呆けている男を横目で一瞥しまたそらした。 明らかに活力のない顔。座った状態で二時間と呆けている男は、上司肋角の先輩に値する存在だった。任務で行方不明となり戻ってきた男は百年単位の拷問の末に魂は粉々に。消滅は近い、と肋角の思いつめた表情を思い出した。 「・・・」 そんな顔をさせるこの男を許せない。帰ってこなければよかったのだ。そうすれば肋角さんはいつでも威厳があり不敵な笑みを浮かべていられたのに。こいつが来てから肋角さんは溜息が増え、仕事もこいつが狂うせいで滞りをみせている。疲れていても部下に見せない肋角さんが、部下にさえその疲労の顔をみせる。 すべて、こいつのせいだ。 本当はみたくもない。しかし、肋角さんに半日見てくれと頼まれてしまったのだから断れない。 谷裂は溜息を吐く。 声をかけても意識は遠くの彼方。どうせ何を言っても聞こえてはいない。いつまでも椅子に座ったままの男を見ているのはかなり暇だ。どうせ見るならばどこでもいいだろう。こいつが使っている部屋でも。 谷裂は足を動かし御病の前に立つ。目の前に立ってもまったく気にしない男。目線はいっさい動くことはない。腰をおり男の腹を肩にのせた。このままベッドに転がしておけばいい。そう部屋を出て御病の使っている部屋へと歩いた。力なくぶらぶらと揺れる手足。微かに聞こえる吐息と心音。ゆっくりと聞こえるそれらは、弱弱しい。 「・・・ふん」 部屋に入りベッドに転がす。藤色の目はやはりこちらをみない。それに苛立ちを感じ口を歪ませる。 こいつはこうやって肋角さんを苦しめるんだろう。苛ませるんだろう。はやく・・・・・・。 はやく、消えてしまえばいい。 「――カハッ!」 「っ」 突然の咳が、まるで己の心情に反応したようで胸がはねた。 男を見れば、口元を抑え身を丸め咳を繰り返している。いつまでも止まない咳に谷裂は焦りを感じ恐る恐る近づき触れる。背中をさすった。 「げほっ!げっ!げはっ!」 「・・・、」 まるで呼吸困難にでも陥っているかのような。酸素を取り入れられていないんじゃないか、とだんだんと不安になってきた谷裂は、他に誰か、佐疫あたりを呼んで来ようと背から手を離した。だがするりと手が伸びてきて手首をつかんだ。男の、御病の手だった。 苦しそうに息をしている御病は、今まで空虚だった目をこちらに向けた。 引き留めようとする手、何かを訴える目。行くな。そう言っているかのような――。 咳が止まった。 「だいじょうぶっ・・・ちょっと、だけ、噎せただけだから」 「・・・何故嘘をつく」 御病の”噎せた”という言葉はうそだった。目の前でゼエゼエと息をする口からは赤い液体がこぼれている。何をどう噎せたら吐血するのか。 「見え透いた嘘をついてまた肋角さんに心配の種を増やすのか。そうやって貴様は肋角さんの心を乱すのか。あの方はいつまでも貴様には構ってられない!こんな死にぞこない・・・に・・・・・・・・・っ」 感情に揺さぶられとっさに出た最後の言葉。すぐさま口を閉じて視線をそらす。死にぞこない。いくら苛々する相手だからといってここまでいう必要などなかった。その死にぞこないは己の醜い嫉妬心からくるものと理解していたからこそ、口にはしなかったというのに、してしまった。 消えてしまえばいい。帰ってこなければよかった。死にぞこないが。すべて、嫉妬。 癪にさわるが、謝るべきだろう。谷裂は眉間に皺を寄せながら御病をその目でみた。 そして見開いた。 わらっていた。 眉をハの字にして、申し訳なさそうにわらっていた。 「全部正論で、何も返せないなあ」 「・・・なぜ笑う」 死にぞこないと言われたというのになぜ笑うのか。なぜ怒りをみせないのか。哀しみを浮かべないのか。理解できない目の前の男の表情に、それでも胸が締め付けられた。罪悪感。 「”全部、わかってるから”だよ」 「―――」 「死にぞこないだってことも、肋角に心配かけてるのも、お前たちに迷惑かけているのも、この先、短いということも全部、知ってる。だから、笑っていたんだよ、谷裂――」 御病の手が、離れた。 手首に残るわずかな温もりが消えた。 それが虚しいと思えてしまった。 「あと少しだけだから・・・」 笑ってるその顔が、 「もう少しだけ、この館で、温もりを感じてたい」 笑ってるのに。 「嘘だったと、しても―――」 泣いていた。 |