芝桜









任務から帰ってきた俺はお酒の事をずっと頭に浮かべてて、報告を終えたらお酒を飲もうそうしよう!って玄関を開いた。ビチャリ!と靴先が水たまりに触れて音を立てる。雨漏りしてるのかな?けど雨降ってないけどな?と下に視線を下ろせば。
血だまり、と手首。

うわおう。

「・・・・・・・・・誰のかな」

誰か喧嘩でもしたのかもしれないし、任務で手首をとられてしまってつい落としてしまった、とか。しかし手首の断面はかなり雑に切り取られていて毟ったような引きちぎったようなそんな痕。骨も覗いていて動脈血管がビヨンと飛び出ている。
俺はとりあえず靴を退けて、裏に着いた血液をハンカチで拭って。肋角さんのいる執務室に向かった。




「肋角さん、玄関先に手首落ちてましたけど・・・」
「手首・・・?いや、誰か怪我をしたなんて話は聞いていないが、――・・・」

そこで考え始めた肋角さんは俺へと視線を向けると「御病さんはどこに?」と訪ねてきた。

玄関先にはいなかったし、来る途中にもいなかった。そう答える。煙管の煙が漂う。コン、と中身を捨てた肋角さんは立ち上がった。

「木舌、御病さんを探すのを手伝ってはくれないか」
「はい」

”御病さん”というのは肋角さんの先輩で、とある任務で悪霊に捕まり長い間拷問を受け続け壊れてしまった獄卒だ。最初、初めて目にしたときはその奇異な行動にひやっとした。酔っ払いを相手にするよりもタチが悪い狂いっぷりに、肋角さんがこの館に置くと決めてからもお近づきにはなりたくないと思った。
お近づきになっても良い事はきっと何一つとしてない。自身にも。相手にも。

けど目の前に出会って無視するのもよくないから、避けているのが現状だった。
田噛や谷裂は正面から無視をしているみたいだけど。

ここに来て、きちんと御病さんと正面みなきゃいけなくなって内心やれやれだ。

「血痕は・・・こっちに続いているな」

血だまりに沈んでいる手首を拾い上げる。赤い絨毯を更に赤く染める部分が点々と倉庫室へと続いている。日常ではあまり使わないものがしまわれている部屋で普段は誰もそこには行かない。部屋を覗くと換気が行き渡っていない部屋からは血の匂いでむせ返っている。確実にここに御病さんが隠れているんだろう。
血の痕をおっていくと肉の破片も落ちている。引きちぎったような傷。手首の断面と同じだ。

御病さん。肋角さんが名を呼ぶ。しかし反応はない。が、震える呼吸が聞こえてくる。恐怖に怯え潜むようなそれ。全てに怯え、恐怖し、絶望し、逃げられた後も悪霊の支配からは解放されないまま。哀れに思う。
だけど、手は差し伸べられない。
その絶望は計り知れなくて、落ちてしまえばきっとのぼれなくなる。

「御病さん」

姿を見つけたのかしゃがみこむ肋角さん。光が差し込まない一番奥の暗い壁のところに床にしゃがみこみ身を丸めて腕で顔を隠し視界を遮断しているのが見えた。腕の合間から見える目が怯えている。御病さんの口は血で真っ赤に染まっていてどうやら自身の腕を噛みちぎったようだった。獄卒といえど、不死といえど痛みはある。歯で己の肉をちぎり骨を砕く痛みは計り知れない。ああ。早く帰ってお酒飲みたい。目の前の御病さんのその様子を忘れてしまいたい。
痛いから。怖いから。

「ううううう・・・」
「御病さん」
「うううううううううううううううう」

獣のように弱く唸る。更に身を縮ませ小さくなろうとする。言葉にしなくても伝わってくる”怖い”の一言に俺はここから見ていることしかできない。ここから一歩踏み出せば記憶に刻まれる。俺は、これを、刻みたくない。

「・・・御病さん、ここは安全です」
「うう・・・うううう・・・あんぜん?・・・あんぜん?」
「はい。・・・手首はどうしたんですか」
「て、くび、てくび・・・手首・・・・・・・・・・・・・・・てくびが、てが、外にでようと、あ。ああ。あ」
「・・・」
「ああ。あ。手が、ちがう。違う違う。帰ろうとしてた。違うのに!かえりたくないのに!!あ、そ、こに、あそこに!あああ。ああああ!あそこに帰ろうと・・・!!!」

悲鳴。俺はそれに気圧されて後ろに下がっていた。肋角さんの赤い目が合う。足が止まった。

「木舌、手首を貸せ」
「は、はい」

肋角さんの手が伸びて、それへと手首を渡した。いまだ悲鳴をあげて「いやだ」「こわい」「もどりたくない」と喚いている御病さんをなだめつつも「木舌戻っていいぞ」と背を向けられたまま返される。まるで俺の心の中を見透かされた言葉に生唾を飲み込み慌てて頭を下げた。「はい」と返した声は枯れていた。


倉庫室を出る。開けっ放しの扉からは悲鳴と喚き声がいつまでも聞こえ、耳に入ってくる。入ってこないでよ。いつの間にか早歩きとなっていた足で階段を上っていき自室のある階にたどり着いた。

「木舌、」
「ん?どうしたんだい、佐疫」

階段あがってすぐの廊下にたっていた佐疫。この心情を隠すためにいつもどおりの朗らかな笑みをつくり首をかしげる。佐疫は珍しく眉を下げて何かを思っているようだった。佐疫もきっと何かしらの感情を御病さんに持っているんだろう。

「・・・・・・いや、なんでもない。任務ご苦労さま」
「ああ。・・・、・・・・・・御病さん、肋角さんがなだめてるからそのうち静かになると思うよ」
「・・・そう」
「・・・」
「・・・ねえ、木舌」
「なに?」
「御病さんもう長くないって肋角さんが言ってた」
「・・・そう、なんだ」

不死の獄卒が死を迎える。それはなんと矛盾したことか。だけどありえるのだ。それは”死”という形ではない。”無”という形で迎えることが、獄卒にとっての”死”
だから肋角さんは御病さんを館に”置く”と言った。もう助からない魂だから。無へと消えゆく存在だから。彼にとって一番思い出の深いのがこの館であり肋角さんであり獄卒だから。ここが一番、彼にとって幸せな時なのかもしれない。

いつか。

「・・・それなら、少しでも穏やかに過ごせればいいね」
「ほんの、少しでもね。そうしたらきっと御病さんも肋角さんも、」

救われる。


そう佐疫は目を閉じる。

「うん」

いつか己もそんな風になってしまったらと考えてしまう。
一番、考えたくなくて形にしないようにしてきたその気持ち。不安。恐怖。

いつか、オレがあるいは身近な誰かが”無”に帰る時が来たとしたら。
そうなったら。そうなったらオレは、穏やかに看取ってもらえるだろうか。穏やかに。無に帰れるのだろうか。
これは現実味のない想像。
けれど、ありえる話。

できれば、そんな未来きて欲しくないよね。

「・・・・・・・・・救われて欲しいなあ」

そしたらきっとオレも救われる気がする。
この不安から自由を得れるようなきがする。



いつしか、
御病さんの悲鳴はやんでいた。