芥子






とある一人の男の話。
枷が外れたように笑う声が館に響き佐疫と斬島は顔を見合わせ執務室へと足を向けた。開かれた扉に他の獄卒達も揃っている。中に入ればなんと肋角さんに抱きついて笑っている男。その男はここにいる獄卒達と同じ軍服をきていて帽子はない。ボサボサの短い髪。カピカピといている。匂いもひどい。藤色の瞳は何処か遠くをみていて気味が悪い。

上司は言った。
己の先輩で、任務先で行方不明になっていたのだと。

つまり、行方不明となっていた獄卒が何百年という時を生き抜きこの館に戻ってきたということだった。一度、肋角さんによって眠りについた男、御病はすぐに目が覚めた。きっと興奮している状態だったから睡眠液の効果は薄れたのだろう。
だが、目を覚ました御病は先ほどとは違って静かだった。そしてやはり、狂っていた。

恐怖していた。震えていた。目に映るもの全てが恐ろしそうに身を小さくしていた。口から漏れる言葉からきっと長い間拷問され、精神的に最悪な事もされてきたのだろう。
本物なら俺に肋角を殺されてくれ、そう願った彼を受け入れた肋角は、しかし殺されることはなかった。御病は狂っていた悲しいほどに狂っていた理性も狂気も喜怒哀楽もすべてが主張するように表に出てくる。心を操ることができなくなった男は殺してくれ、と泣いた。

佐疫は、胸が締め付ける痛みを覚えた。
獄卒となり感情も薄くなったはず。それでもしっかりと感じたこの痛みは”心の苦しみ”


肋角によりこの館にしばらく置くことになった。



「・・・」

そして狂獄卒の御病が、床に転がっていた。肋角さんが風呂にいれたおかげで匂いもなくなり乱れていた髪もキレイに整えられている。

田噛がやってきてその橙色の目を向けたが無言で通り過ぎていく。御病も何も言わない。そこに何もいないかのようだ。佐疫はどうするべきか迷った。彼は狂っている。声をかけない方が絶対にいい。そう思う。

けれどあの胸の痛みが忘れられない。
きっとあの痛みは彼を無視するとまた現れるだろう。言葉にならない責めをこの胸に与えにやってくるだろう。
佐疫は意を決して御病の肩を触れる程度に叩いた。
反応はない。

「・・・・・・御病、さん、ここに転がっていると風邪をひきます」
「・・・」
「ひとりで歩けないなら、手伝うよ?」
「・・・」
「ねえ」

揺さぶる。けれど反応はしない。髪の合間から覗く藤色は何処か遠くをみていて佐疫のことは見えてない。少し開いた口からよくわからない嗚咽を漏らしていて時々、「やめておねがいやめて」「目。めめめめめ」「どうしてわらってるの」などとブツブツと呟く。現実にいない目の前の男。とても哀れで仕方ない。

「佐疫、何をしているんだ?」
「あ、斬島。御病さん床に転がったままだからどうしたのかって・・・」
「・・・そうか」
「斬島、彼を部屋に運ぼうと思うんだけど手伝って欲しいんだ」
「ああ」
「じゃあ、悪いけど・・・そっちの手もって」

通りかかった斬島と御病をどける作業にはいる佐疫。さすがにこのまま床に転がっていても彼の体調が悪くなるだろうし他の獄卒たちにも悪い。斬島に手を持ってもらって佐疫は足を掴んで持ち上げた。持ち上げられても反応を起こさない彼はやはり今ここにはない過去へと落ちていてブツブツと言葉をこぼしている。

「・・・寝言か?」
「いや、起きてるはずだよ・・・」

しっかり目もあいてるし。そう返せば、そうかと納得して頷いてくれる親友。
意外と軽かった御病の体を部屋にいれる。誰も使っていない部屋は質素でベッドと机のみだ。ベッドの上に寝かせる。上向きに寝かせてなおその目は空虚を見つめていて目の前に二人がいるのに、見えてない。佐疫はそっと目の上に手のひらを乗せて下へずらす。
ひらいていた目は閉じられた。

「・・・」
「・・・これで寝言だね。さて、行こうか」

目を閉じながらぼそぼそという。これでやっと寝言だ。
彼は眠っている。悪夢をみている。ずっともうきっとずっと覚めることのない悪い夢を。

彼の事を知らない俺達は、その悪夢には入れない。
助けることもできない。


「おやすみ」
「おやすみなさい」


斬島と佐疫は部屋の扉をそっと、閉じた。