『獄卒さん、顔色悪いようやけど平気かい?』 「・・・そうですか?」 現世に住めなくなった狐達の空間。狐達の要がいる巨大な鳥居は絶対にたどり着けない。要である白狐から許しを得ないと絶対にいけないのだ。たとえ獄卒であっても。怪異の中でも相当の力を持つ狐故に、一獄卒である私は行けない。 一週間かけてやっと半分終えた私だったが、思った以上に疲労がたまっている。予想した以上に体が重く、貧血のように頭も重い。そしてそんな体調の私に、この石階段はとてもきつい。 目の前を歩いていた巫女服をきた狐が止まる。 近づいてきたかと思えば獣の鼻がスンと匂いを嗅ぎ始める。細い目がさらに細められ首を傾げ訪ねてくる。 『獄卒さん匂いが奪われとるわ。それに、影も。どこで捨ててしまったん?』 「匂い?影・・・?」 狐の前足が私の足をさす。それに続き足をみれば、影がない。おかしい。へんだ。私はいったいどこに影を捨ててきてしまったのか。一週間を振り返る。特に何も問題なく、怪しいことをする奴らもいなかった。 なら、どうして。 「覚えがないんだけどな・・・、どういうこと?」 『このままいけば記憶も感情も奪われてしまうで?おお、こわやこわや』 「・・・・・・、」 それはやばいことではないのか。最終的に、つまりは、私という存在を奪われてしまうのではないか。しかも相手がわからない。一週間の間ということはわかる。けれど、気になるような奴なんて、いなかった。 存在を奪う怪異なら一般的には鏡だろう。相手を模範する怪異だ。けれど奪うわけじゃない。だとしたら、鏡よりももっと強力な。強い怪異が、かかわっているのだろうか。 「そういう怪異聞いた事ある?」 『姿を真似るであれば鏡やけど・・・存在を奪う、となると・・・あー、わい今の現世には疎いんや。すまへんのう』 「いえ・・・」 肋角さんに報告しよう。懐から連絡用携帯を取り出す。 番号を打ち込もうと親指をボタンに押し当てた時、頭の中が真っ白になる。 ―――肋角さんの執務室の番号って何番だっけ? 「・・・、すみません、一度私ここからでます」 『あら。ほな気をつけてな』 「はい。白狐さまに案内の途中で帰る羽目になり申し訳ありませんとお伝えください」 『ほいな』 巫女姿の狐がはねる。人の形をとっていた姿が丸くなり獣の狐となり消えて行ってしまった。大きな鳥居が幻のように揺らぎ消えていく。石階段だけが残った異界の中、焦っている心音を落ち着かせながら鋸で空間を切る。 一度現世にでて、館に戻ろう。このままでは任務に支障が出るどころか多大な迷惑をかけることになる。いや、すでに迷惑をかけている。私の”存在”を奪っている怪異がどこにいるのか、何者なのかわからない。その時点で、人数をさくことは目に見えてしまっている。 嗚呼、せっかく私の力を認めてくれて任せられたのに。私、ダメな子だ。 現世に足を踏み入れ、もう一度空間を切り裂こうと鋸を振り上げた。 いつものように、振り下ろす。 空間は―――裂けなかった。 「―――う、そ」 何度振り下ろしても空間は切れない。もしや、この当たり前の動作さえも奪われてしまったというのか。けど、じゃあ。どうしたら。 どうしたら、館に、戻れる―――? 「・・・もど、れない?」 館に戻れない?獄都に戻れない?同僚にあえない?肋角さんに会えない? ―――木舌に、会えない? 「・・・っこの」 鋸をふる。もしかしたらまぐれで開くかもしれない。獄都への道が。振る。振る。振る。振る振る。振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る振る!! 「・・・ぁぁああぁぁ」 どうして、どうしてどうしてどうして。どうしてこうなるの。どうしてこうなるの! 鋸を地面にたたきつけた。金属の高い音が響いてその音さえもこのどうしようもできない私の状況を嗤っているようだった。 自身に対しての怒り。現状に対しての怒り。時間制限があるという焦り。考えても打開策が何も浮かばない。ああ。あああああ。 「―――どうしてどうしてどうして!」 軍帽を殴り棄てて黒い髪をかきむしる。 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。どうすればいい?木舌。いやだ。 「と、とりあえず!そう、来た道をもど・・・、・・・!・・・!!」 今。 たった今出ていた声が止まった。 目を見開いて喉を抑えながら口を大きく開き発音してみる。出ない。空気が漏れるだけ。出ない。 声が、出ない。 嗚呼。声。私の声。 「・・・!!」 嗚呼。いやだ。私が奪われていく。 私が。 木舌に教えてもらったことも全部忘れてしまう。奪われてしまう。 嫌だ。嫌だよ。 私は投げた軍帽と鋸を手に取り走った。 きっと奪った怪異は道のどこかにいるはずなんだ。きっと、たぶん。だからそいつを見つけないと。早く見つけないと! 木舌。 木舌木舌木舌! |