「くしゅん!」

夜になった。月が高い位置にある。

突然鼻がムズムズしてしまいくしゃみを一つした。ずっと歩き続けてて足が痛い。資料に目を通す。やっと一枚目のリストが終わったところだ。だがまだ全体の半分の半分も行っていない。まだ十枚単位で残っている後ろの用紙たちに思わずため息。

少しだけ、寂しいと思ったのは内緒だ。


「・・・とりあえず、今日はもうやめて一休みしよう」

確か途中に神社があった。そこの社に寝かせてもらおう。
歩いた道を戻り寝泊りする神社を見つける。深夜で誰も来ない神社は静まり返っていて虫の音だけが響く。鳥居を潜り、社の扉を開けて中に入り込む。手ごろな位置に鋸を置き壁に腰かける。

「・・・」

今頃仲間達は何をしているだろうか。もう寝てしまっているだろうか。

思えばこうして野宿することは初めてだ。いつも任務はその日に終わって館に帰って仲間と話して布団にくるまれて眠っていた。だから今、その布団も、仲間もいない完全な一人である状況が新鮮で寂しい。

寂しい、そう思ってしまったら木舌が浮かんだ。いつもの余裕のあるへらっとした顔。想像上でしかない彼の顔に私は照れてしまい、誰もいないのに膝に顔を埋めた。

ああ。やっぱ好き。好き。木舌好き。優しい所が好きだし、ちょっとふざけてるのに仕事ではそういう面をみせながらもやるべきところはしっかりとやっている所が尊敬する。酒飲んでも飲まれる事はないし、ほろ酔いしてる彼はいつもよりも接触が多くて、けれどやましいこと考えてる風でないところも好き。

緑色の目も好き。
全部好き。
彼になら何されてもいい。望むのならなんでもあげたい。

これは信仰心に近い。もしかしたら本当に信仰心なのかもしれない。それでもいい。そう思ってしまうほど彼が好きだし、好き、と自覚すればするほど胸が痛い。

どうしたら彼は振り向いてくれるのだろうか。その緑の瞳で私をみてほしい。私に笑みを向けて、愛をささやいて、それで。


「・・・・・・さびしい」

今すぐ館に帰りたい。

帰ってしまおうか。木舌に会いに帰ってしまおうか。肋角さんにすごく怒られてしまうし、災藤さんにも怒られる。ああ。それ怖い。けど会いたい。会いたいのだ。

「・・・はぁ―――・・・」

長いため息。
気持ちを切り替える。そんな弱音はいてどうするんだ。仕事は仕事。しかも信頼してくれたからもらった任務だ。それを放棄するなんて。裏切りだ。だめ。だめだめ。

膨らんでいく気持ちを抑える胸が痛い。

小一時間ほどしてやっと通常通りに戻った私は顔をあげた。月は傾いてる。それを映す鏡から月の光が反射されている。もう寝よう。

床に身を転がし、静かに黒い瞳を閉じた。





『今日から獄卒になりました、水咽です』

どうして、どうやって拾われたのか曖昧だった。だから肋角さんに拾われた時どれだけ自分の姿がぼろぼろだったのかもわからなかった。肋角さんに連れてこられ災藤さんに身を整えられた当時の私は、死んだ魚のように思考を放棄しつつ挨拶をしていた。

獄卒とは。私はなぜ死んだのか。どうして死んだのにここにいるのか。何一つ理解したくなかった。それでも肋角さんの言葉は不思議と耳に入り脳を揺さぶる。だからこうして獄卒となったのだ。

紹介する私の目の前に集まる獄卒達はそれぞれ個性的な表情があって、性格も個性的だった。


それから一か月と立った。それでもこの思考は動くことをよしとしない。ただ、肋角さんの命令に従い、仲間である獄卒の言うことを黙々と聞いていた。谷裂にはよく己のない奴だ、と馬鹿にされていたけれど正論だったしその言葉さえもどうでもよかった。

虚ろ。そう、私は虚ろだった。何故虚ろなのか。それは考える事もできなかった私に理解など到底できなかった。

それでも獄卒として生きて、半年。

考えるようになった。仕事関係だけ。自分の事に関してはうまく考えられなかった。何を考えればいいのかわからなかった。なのに時々、言葉にできない気持ちで胸が痛くなる。

形にできないそれを口に出すこともできない。けれどどうすればそれが何なのか理解できるのかわからない。

『・・・』

ただ胸が、痛い。歩くことができなくなって立つこともできなくてしゃがみこむ。それで、この腕で肩を抱く。震える。

私はなんなんだろう。どうしてこんなことしているんだろう。なにがしたいんだろう。わからない。わからない。わからない。

『水咽、どうしたの?』
『―――、』

突然しゃがみこんで動かなくなった後輩を見つけた木舌。半年と立っても彼らとの距離は大して変わらなかった私は、突然ふってきた声にはっとして顔をあげた。

少し驚いた顔で私を見下ろしている。彼は今どんな気持ちで私を視ているのか、わからない。

『具合悪いの?』
『・・・わか、りません』
『じゃあ、疲れた?』
『・・・わかりません』

私がどうしてこうしているのかわからない。具合が悪いのかさえもわからない。それでも腕の力は抜けることもない。あいかわらず足は動かない立てない。

目の前でうーん、と考え始めた木舌。なんで彼はここにいるんだろう。何か用でもあるのかな。わからないな。


目の前の木舌が笑った。


『わかった!寂しいのかな?』
『―――・・・・・・さびし、い』

その言葉を聞いて、胸の痛みがスーッと引いた。
痛みが形になった。理解できない痛みが”寂しさ”に変わった。


そうか。

私。寂しかった。



『私・・・さびしい』


緑の瞳に反射して、光をその黒い目に宿した私が見えた。








「――――っ、朝」



随分懐かしい夢をみた。私が獄卒になって、初めて、己の事が一つわかった瞬間の夢。
あれから、さまざまな事を考えられるようになった。全部、木舌が教えてくれた事。

笑う、暖かい気持ち。
怒る、胸が熱く気持ち悪くなる。
人を思いやる気持ち、とても気になる、目が離せなくなる。
悔しい気持ち、自分に怒りが向く。
それと、泣く。泣くにはいろんな理由がある。

愉しくて涙を滲ませて、怒りに感情が溢れ目頭が熱くなる、悲しくなれば自然と零れ落ちて。

寂しいと冷たい涙が頬を伝う。


「・・・行くか」

大きなあくびをして誤魔化しておこう。




仕事の邪魔にしかならないから――――