愛された化け物達




この胸の中に化け物がいる。
この胸の中に化け物がいる。
この胸の中に化け物がいる。
この胸の中に化け物がいる。
この胸の中に、


「化け物」

ポツリとつぶやいた言葉は、先を歩く木舌に届いた。
ひょんなことからただ街中をぶらつくだけの仲となった七三分けの男でハーフなのか目が緑色だ。性格は温厚で一年ほどの付き合いになるが一度として怒った姿、不機嫌となった姿は見たことがない。

「どうしたのつかさちゃん?」
「・・・ううん、なんでも」

足を止めてこちらを振り返る木舌はいつもの優しい顔。
今の呟いてしまった言葉は彼に届かなかったらしくホッと胸をなでおろす。

――最近になって、気持ちが不安定になってきている。
木舌と会う前は不安定で周囲に当たり散らかし親にも暴言暴力をふるっていた。女の力だから大けがをするほどの物ではなかったけれども、それでも痛かったはずなのだ。
そんな私は街中を彷徨い続けていた。そんな時に、酔っ払いに睨まれたと勘違い――いやおそらく睨んでいたんだろう、その酔っ払いと騒ぎを起こしてしまった。こちらは学生で、向こうはオトナで男。力量差ははっきりしていて追い詰められた私は拳を振り上げられとっさに目を瞑った。

そんな時に、その騒ぎを止めてくれたのが木舌だった。

『女の子に手をだすのはよくないよ?』

穏便な口調で、それでも騒ぐ酔っ払いをしつこく優しく丸め込み大人しくさせた木舌は呆然と見ていた私にニッコリと微笑んで優しく手を掴み包んだ。
やけに胸が騒いだ。

『さ、こっちにおいでお嬢さん?』
『―――・・・』

そこから一人だけだと危ないから、と街中を歩くとき一緒に行くようになった。



「けど、泣きそうな顔してる」
「・・・違うの」

胸の痛みに耐えている私の前に戻ってくる木舌。頬をそっと撫でる彼の目は私の奥を覗いているみたいで、私の存在が彼にきちんと認知されていることに喜びを感じる。そして、この胸に潜む化け物が覗かれていない事を願う。

胸にいる化け物が暗い影のある背後からこうささやく。

「愛してるから殺してしまえ」と。
それは普通の考えじゃなかった。普通の考えじゃないのにそれができないことに不満を感じ窮屈という不自由を感じていた。サイコパスといえばいいのか、明らかに健康的な人間の考えとは違っている。そしてそれは木舌相手だけに現れる。

こうして木舌が心配してくれる顔を撫で返して首を絞めて殺してしまいたい。
あるいは愛しているから目を潰して口づけをして舌を噛み切ってしまいたい。
それをうっすらと想像するだけで恍惚と快楽がピリピリと身のしびれを誘い、満足感が胸をいっぱいにしてくれる。

「ちょっと歩くの休憩しようか」
「・・・だいじょうぶだよ」
「ううん、しよう。おれも少し歩き疲れたしね」
「・・・」

ああ、それは間違いだってわかってる。
だからこんなにも苦しんでいる。これは、普通の考えじゃない。けれどこれが普通なんだって化け物がそそのかしてくる。当たり前。これは当たり前の感情。違う。違う。これは当たり前じゃない感情。

愛してる。すき。だからコロス。それは、違う。

「・・・は、」

木舌にゆっくり手を引かれて誰もいない公園にたどり着いた私は、耐え切れない心の重みに息を吐き出して胸をぎゅっと抑えた。
歩くのも重い。鉛を全身に纏っているみたいに気怠い。やっぱり変だ。帰るべきだ。独りになって、落ち着くべきだ。

「つかさちゃん?」
「・・・すいません、木舌、私、家に、かえる」

歩きたくない、胎児のように丸まって眠ってしまいたい、とでも言いたげな身体を動かして背を向けた。
足を踏み出して、木舌から一歩また一歩と距離をとる。


腕を掴まれた。

「待って」
「・・・ごめんなさい私、今―」
「君に渡しておきたいものがあるんだ」

腕から手首に彼の手の感触がおりていき、手の平に触れられる。もう片方の手でそっと手の平に握らされたそれは固くゴツゴツとしている。編まれた紐のような感触もあって金属の冷たい感触もある。
そしてそっと手ばなされた。

「―――――、」

手元に持ってきた手の平に握らされていたものを見て私は心臓が圧縮し喉元がヒュっと鳴るんじゃないかと思った。脳みそが空気にさらされたんじゃないか、氷が胸に突き刺さったんじゃないか、冷凍庫にこの身を置いてるんじゃないか、熱くなる血とは逆に体中の温度が急激に消えて行っている気がした。
その手にあったのは、ナイフだった。サバイバルナイフと言えばいいのか。鞘は抜かれていて銀色に輝く刃が目を見開き驚愕している私を映し出している。

な、んで、これを。
冷えて震える身を木舌に向けると彼はいつもと変わらぬ穏やかな笑顔で両腕を開き「おいで?」と待っていた。まっていた。
私が。彼を殺すのを待っていた。

必死に抑えてた化け物が、わらった。

「―――ははっ」

ナイフを頭上に上げてみる。さっきは驚いていた顔が今や楽しそうな実に楽しそうな顔で、今までの中でこんなにも愉しんでいる顔を見たことがあっただろうか。慣れない持ち方で木舌に切っ先を向ける。彼は逃げない。それどころか慈愛に満ちた笑みでただずっと私がこのナイフをその喉に心臓に動脈に斬りつけて突き刺して抉るのをまってる。そう!待ってる!

「はははははははっ」

鉛のようなだるさなんてなかった。
ジャリと砂利を踏みつけ小走りで木舌の首にめがけて刃を突き刺した。グニュという肉の感触とぐりっという筋肉を裂く感触。横に力を入れればブチブチと肉が切れていく感触と骨がボキと折れる音。切り裂いた首からは血がドバドバと流れてその優しい顔を身を赤くしていく。
きれいだった。
綺麗だった。
綺麗だった。

「木舌さん、愛してます。殺してしまいたいほど愛してます、愛してます愛してます愛してます・・・!」
「おれも、だよ」
「あ、」

嬉しそうに、楽しそうに、木舌さんの両手が私の首を掴んで一瞬で折れた。
内部から骨がぼぎりと折れる音が。そのまま身体の動きが取れなくなって血まみれの木舌さんに抱かれ地面に倒れる。
地面に倒れたと思ったら地面の底から黒い沼水のようなものが湧き上がって共に沈んでいく。私は何を見ているのか。この沼に沈んでいる。沈んだ先はどこなのか。
どこ、なんだろう。

耳元で木舌さんの熱い囁きが最後に残っていた意識を吹き消す。



「おれもつかさを愛してる、から死んで、地獄においで?」



その言葉に、歓喜した化け物はゴポリと血を吐き出しながら「はい」と答え、地獄の底に沈んでいった。


ああ、私が化け物だったんだとそれでもいいんだと抱かれながら。



- 22 -


[*前] | [次#]