▼ その目に映る人〈荒北靖友の場合〉
「靖友」
俺を呼ぶ声が聞こえる。
そして名前で呼んでくる奴は一人しかいない。
俺は最近こいつの、新開の考えがわからなくなっている。
◇
部活を辞めると言われたのはいつだったか。
『俺、部活辞めるわ』
そう新開に切り出された時は驚いた。
以前右側が抜けないと話していたからそれが理由かと頭をよぎる。
『はぁ!?なに言ってんだよ!?福ちゃんは?福ちゃんは知ってんのか?』
『寿一は関係ない』
新開が走れなくなった時の事を福ちゃんはよく知っているみたいだから、俺は福ちゃんに相談するべきだと感じてそう言った。
けれども苛ついた様に新開に言われカチンときた俺は捲し立てていた。
『関係ないって、そんな訳にはいかねぇだろ。福ちゃんだってー……!』
『うるさい』
普段より低い声。
それだけでいつもと違うと感じさせられた。
新開は急に腕を掴んできたかと思うと、強引に俺を引き寄せた。
『ん、っ!?』
次の瞬間感じたのは唇が触れあう感触。
何が起きたのか分からなくて、キスされたと理解するまで時間がかかった。
理解の後に襲ってきたのは混乱。
突然の事に息も出来なくてお互いの唇が離れた時、息が漏れた。
『はっ……』
なんで、どうして、と答えの出ない言葉が俺の頭をグルグル回る。
そんな俺に新開は信じられない言葉を言ってきやがった。
『靖友、もう一度キスさせてくれたら辞めないでいてやるよ』
鋭く睨む新開のその目に怯んでしまいそうになる。
鬼なんてよく言ったもんだ。
心なしか匂いも変わったように感じた。
信じられない言葉。
だけど今こいつに辞められたら困る。
福ちゃんの創る王者箱根学園にはこいつの力が必要だからだ。
俺は福ちゃんのためなら何でもする。
福ちゃんの役に立つならー…
◇
だから俺はこの関係を続ける事を選んだ。
たとえ福ちゃんの側にいれなくなっても、だ。
普段はいつもと変わらないヘラヘラした態度で接してくるのに、何の拍子で変わるのか分からねぇけど時折見せるあの目が、あの匂いが俺をおかしくさせる。
「靖友」
やめろ、呼ぶなよ。
こっちに来るな。
その目で俺の目を見るな。
動けなくなる。
〈終〉
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