車窓の外









「やめてください……っ」
 と、クロロは男に訴えた。
 彼女は、電車の中で、酔った中年男にからまれていた。
 前の駅でこの車両へ入ってきた男は、座席でおとなしく本を読んでいるクロロを見つけるや、彼女の左隣りの席を陣取った。
 そして、
「おじょーちゃん、モデルとかやってるの? とっても可愛いよ……それに、おっぱい大きいねぇ。こんなに可愛くて、おっぱいも大きいんだから、彼氏とか、もういたりするんだろ? ん? その彼氏と、キ、キスとか……ハァッ……ハァ……エ、エッチとか……ハァハァハァッ……いっぱいしてるんだろう……?」
 ずっと、この調子である。少女の華奢な肩を強引に抱きよせて、彼女の耳もとで完全アウトな台詞を、なま臭い息といっしょに吐き散らしている。汗と加齢臭と酒の混じった体臭がなかなか強烈だ。吹き出物だらけの脂っこい顔が、クロロの目と鼻の先にある。
 同じ車両には、20人ほどの乗客が乗っている。
 しかし、誰一人として、か弱い少女に救いの手を差しのべようとしない。この酔っ払いが、なかなかにガタイがいいせいか。これだけ人がいるのだから、自分がでしゃばらなくても誰かが助けるだろうとでも思っているのか。
 皆、見て見ぬフリをしている。
「だ、誰か……」
 と、悲痛な表情をつくって乗客を見渡してみるが、誰も目を合わせようとしない。視界の右端にいるビジネスマンなどは、新聞でわざとらしく顔を隠している有様だ。
 これが世に言う、バイスタンダー・エフェクト。
 一般女性が遭遇したら悲劇以外のなにものでもないが、遭遇してるのは、クロロ=ルシルフルである。
 ――次の停車駅で、フィンクスとフェイタンが、この電車に乗る。
 ガラと目つきの悪い男二人(その内一人は身長180cm超え)に睨まれたら、さすがに、このエロ親父も退散するだろう。
 いざとなったら、自分でなんとかできるし。
 というわけで、立場上の“被害者”が一番、実は、この状況を冷静に客観視していたりする。
「ハァー……ハァー……おじょーちゃん、いいニオイだあー……」
 クロロと周囲が黙っているのをいいことに、中年男のセクハラはエスカレートしている。白く細い首筋の匂いを無遠慮に嗅いでくる。
「なあ、おじょーちゃん……彼氏といっぱいエッチしてるんだから、これから、お、おじさんともエッチしてくれるだろ……?」
(酒のまわった変質者の思考回路はおもしろいな)
 などと考えていたら、車内にアナウンスが流れ、電車が減速を始めた。
 プラットホームへ差しかかり、窓の向こう、フィンクスとフェイタンの姿が見えた。
 3人の素晴らしい動体視力が、お互いの姿を、状況を、表情を、バッチリ捕捉した。
(なんだかすごい顔してたな)
 というのが、クロロの印象。
 停車後、フィンクスがドアをこじ開けるようにして、すぐさま車両へ乗り込んできて……。
 中年男の胸倉をむんずと掴んで、クロロから引きはがした。
「テメェ……! 何やってんだコラァァァ……!!」
「ぅひっ、ひぃ!? なななっ、なんだお前ぇえぇ!?」
「団長! 悪いが、オレはちょっと遅れるぜ……!」
 そう言うや、クロロが口を開けるより前に、フィンクスは男を引きずって行ってしまった。
 あっという間だった。


 ざわつく電車内。
 動揺する人間達をよそに、電車は、何事もなかったように、ドアを閉め、ゆっくりと走り出した。
「――災難だたね、団長」
「ああ。助かった」
「……」
 フェイタンは車両の中をぐるりと見渡した。
 乗客は、全員、そのままの場所にいた。降りるに降りられなかったのだろう。駅でも、この車両に乗り込めるような勇気ある人間はいなかった。
「フェイタン、ほら、座れ」
 パフパフと、右隣りのシートを叩くクロロ。彼女のいる座席は、貸し切り状態なのだ。
「……」
 フェイタンは無言のまま座った。いたいけな傍観者たちにガンを飛ばすのはやめなかったが。
「どうしてあの豚野郎の好きにさせてたか。いや、わかたね。またいつもの悪い癖出たね。またく……」
「……フェイ、怒ってる?」
「怒てない。ただ、団長、ヒソカのことといい、ちょと危機感足りないとは思てるよ」
「はあ……」
 フィンクスが、あそこまでブチ切れるとは、クロロは思っていなかった。
 予想外で予定外なことにはなったし、思わぬ小言もいただいてしまったが、クロロの気分はよかった。
「フィンクスと合流するには、最低でも30分はかかるだろうから、その間に、何か食わないか? フェイは何食いたい?」
 クロロの手には、あのあわれな中年男から盗んだ財布があった。
「あの様子だと1時間はかかるね」
「ん? そんなにかかりそうか?」
「ワタシだたらあとプラス5時間はかけてるよ」







2014/12/16
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