鵺の舌打ち









「……おやおや」
 奇術師は、俯せに転がる暗殺者を見下ろして、わざとらしく肩を竦めた。
 四肢を失い横たわる、その無惨な姿は、十数分前の、彼の実弟のそれと重なる。
「ヒソカ……」
「残念だったね、あと少しだったのに。起きれるかい? イルミ」
「……お前、この状況分かってる?」
 ヒソカは悪戯っぽく微笑んだ。
 それから、イルミの躯を軽々と抱き上げた。
 指先で、白い顔や黒い髪についた土汚れを丁寧に払ってやる。まるでそうするのが当たり前のような、自然な仕種で。
「喉は潰されなかったんだね」
「うん」
 彼らの頭上で、魂をとり損ねた烏たちが、囀りながら、未練がましく旋回している……。





 ナニカの力を欲したイルミ。
 ナニカを護ると誓ったキルア。
 衝突は、避けては通れなかった。
 殺し屋としての天賦の才を授かり生まれたキルアだが、イルミと戦うのは、まだ早過ぎた。
 それでもキルアは、資質・経験・覚悟で以って、とうとうイルミを「本気」へと至らしめた。
 だが、これが、悪いように働いてしまった。
 結果、キルアは四肢を切断され、喉まで潰されてしまったのだ。イルミは容赦しなかった。どうせナニカが治せるのだからと。言うことをきかない可愛い弟への、仕置きを兼ねて。
 それから勝者は、二本の針を携えて、キルアとアルカに迫った。
 イルミの誤算は、そこだった。
 ――まさか、アルカが、ナニカに「お願い」するなんて。
 アルカが兄を庇うように前に飛び出して、大粒の涙を零しながら虚空に向かって叫んだ。
『ナニカ! お兄ちゃんとあたしを助けて!』
 ナニカの頬を濡らすアルカの涙。
 まるで、ナニカ自身が、涙を流しているようにも見えた。
 一瞬だった。
 イルミの四肢が、弾けて、消えた。
 それからアルカは、幼い顔を涙でぐちゃぐちゃにしながら、最愛の兄とともに、逃げていった。
 ヒソカは、叢の中から見ていた。彼らの姿が、闇の中に吸い込まれるように消えるまで、ずっと。
「……じゃあ、ボクらも行こうか」
 ヒソカはこれからのことを考えていた。キルアにはアルカがいる。沢山の仲間がいる。まあ、切られた四肢くらい、どうにでもなるだろう。こちらも、イルミの四肢を取り戻すことはできるだろう。念能力者を探すのは一苦労だろうが……と。
 ヒソカは、気に入りの玩具への、手入れの労を惜しまない。
 ふと、殺気と狂喜が、ヒソカの膚に冷たく突き刺さった。
「やっぱり欲しい」
 イルミは、弟から玩具を奪い損ねて拗ねていた。同時に、かの玩具に、ますます執心を強くしたようだった。その玩具の扱い方を根本的に間違って、こんな大怪我をしてしまったというのに。
「ヒソカも見ただろ?」
 整った口許は、確かに吊り上がって「笑」の形をとっているのに。その声音は、どこまでも無機質。その眼は、相変わらず、何ものもうつしていない。ただただ、底のみえない、昏い闇色が広がるばかりだ。
「うん」
「凄かったろ、あれ」
「そうだねえ」
 と、てきとうな相槌をうちながら、
(アルカは殺そう)
 ヒソカはあっさり決断した。
 ヒソカにとって、アルカ(ナニカ)というジョーカーは、邪魔だった。イルミをこんな簡単に壊してしまえるくせに、アルカ本人はどこまでも非力。
(それに)
 アルカを殺せば、キルアに恨まれて、欲しかった玩具を取り上げられたイルミの機嫌も悪くなるだろう。
 そして、
(あわよくば)
 アルカの復讐に燃えるキルアを返り討ちにして、イルミと……あの「本気」のイルミと戦えたら……。
(だけど)
 今、キルアを殺すのは惜しい。本当に、本当に惜しい。イルミが育て上げ、ゴンと切磋琢磨し合い、死よりも惨い実戦の中で、目覚ましい速度で成長してゆくキルア。彼もまた、最高の玩具と成りえよう。その力は、単純な意味では、いつかイルミを超えるものになるかもしれない。
 ――しかし、イルミの、この殺気は、この狂喜は、キルアには決して辿り着けないだろう。
(ああ…!)
 この殺気が、この狂喜が、自分だけに向けられたら……!! 
 そう考えただけで、ヒソカの血肉は熱くなった。
「……ヒソカ、あれはオレのだから、余計な事はするなよ」
 表情を狂喜に歪ませるヒソカを見て、彼の腕の中にいるイルミが、低い声で釘を刺した。四肢を失ったというのに、イルミの高飛車な態度は変わらない。ヒソカの性分を把握しているからだ。
「はいはい、わかってるよ」
 奇術師は、素早く、いつもの掴み所の無い顔に戻ってみせた。





 ナニカは、イルミを殺さなかった。それは、キルアのためだ。イルミを護ったものは、他ならぬ“兄”という血の繋がりだった。たとえ、冷酷非情な兄でも、兄は兄。ナニカはキルアに、兄殺しの罪悪感を背負って欲しくはなかったのだ。そして、ナニカがイルミを殺せば、自分のために兄を殺させてしまったと、キルアが苦しむことになる。それは、あるいは、キルア自身が手を下すよりも、心に傷を負う代償を孕んでいた。ナニカはナニカなりに、最善の選択をした。
 それは、ヒソカにとっても、最善の選択であった。ナニカはイルミから、念能力も奪わなかったのだから。
(そこは感謝しなくちゃね)
 イルミが念能力まで奪われていたら、ヒソカは、彼のことを捨て置いていたかもしれない。ヒソカは、壊れかけの玩具は直そうとしても、壊れた玩具には興味は無いのだ。だから、もしかしたらイルミは、この山に棲む、貪欲な鳥や獣共の餌食になっていたかもしれないのだ。空と叢と、土の中で息を潜めて機会を伺っている空腹な彼らに、その冷たく硬質な白い肌の下に眠る、あたたかく甘美な血肉を貪られて……。
(もしかしたら、ナニカは知ってたのかもしれない。ボクが見ていたことも、一度も会ったことがない、ボクの性格さえも)
 そうでなければ、何故、「おねだり」に失敗した者と、その「最愛の者」を殺せようか。
 幼子の慈悲か、聖女の誤算か。どちらにせよ、イルミは救われた。
「それにしてもアレは厄介だなぁ…もう正攻法は無理となると……」
 ぶつぶつ作戦を練っているイルミを、ヒソカは最愛の花嫁にするように、腕の中にしっかりと抱きなおした。
(けど、ナニカは……いや、ナニカさえ、イルミの性格を把握仕切れていないみたいだ)
「もし、本当にそうなら、キミも大概、何処から来たのか……」
「え? 何?」
「ううん。何でも」
 ヒソカは、獣の啼声を背に受けながら、キルア達とは真逆の方向へと歩を進めていく。







2012/05/14 pixiv掲載
2012/11/06 加筆
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