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てっきり首ねっこを掴まれたと思ったのに――
あたしを捕まえたのは先輩じゃなかった。
いや、先輩は先輩だけど。
いままであたしを追いかけてたオニガワラじゃない。
ひょろりとしていて、色白の頬。
フレームのある眼鏡が整った顔にすっきりと収まっている。
ふっと見せた笑顔は癒しとしか言いようがない素敵な彼。
この草食系こそ、大河原先輩の相棒であり男子バレー部の司令塔(セッター)。
日下先輩は何が起きたんだと言わんばかりに首をかしげている。
「どうした宇佐美? 具合でも悪い?」
「いえ」
あたしはのろのろと立ち上がる。
正直、ここでこの人に会いたくなかった。
だって……だって。
あたしの脳裏に昨日の風景が浮かぶ。
夕暮れのグランド、部室の前で聞いた告白。
オニガワラの前にいたのはまぎれもない、この人なのだ。
そう、先輩が今まであたしを追いかけていた理由はただ一つ。
秘密を知ってしまった第三者への口止めだ。
あたしはため息をついた。
ただでさえあの告白は仰天ものだったのに。
片思いの相手の好きな人が、実は「男」でした――なんて、どう思う?
あたしは思い出すだけでも頭ぐらぐらする。
大声を上げたくなる。
でも、実際は声すら上げられない自分がいた。
そのかわり、お腹がぐう、と悲鳴を上げる。
完全なるエンスト。
そういえば、買ったばかりのパンもあげちゃったんだっけ。
すると日下先輩が手持ちの紙袋からマフィンを取り出した。
「これあげる。調理実習でもらったやつだけど」
ライバルだけど。不本意だけど。
今だけはにっこりと笑う日下先輩が神に見えてならない。
草食男子はスイーツと優しさでできているのかな、なんてぼんやりと思ってしまったあたし。
こんがりと焼かれたきつね色を受け取り、お礼を言う。
一口かじった。
舌に広がる甘さに小さな幸せが広がって、ちょっとだけ泣きそうになる。
悔しいけど、美味しいよ。
感情がこぼれないうちに二口三口とついばんで誤魔化した。
「宇佐美はさ」
マフィンが半分お腹の中に入った所で、日下先輩は口を開く。
「昨日の話、聞いてたんだよね」
「……はい」
「どう思った?」
どう、って言われても。
昨日あたしが見たものは「許容範囲を超えた」だけでは済まされないものだった。
放課後の部室前。
友情という絆で結ばれたはずの男がふたり。
つたない告白。
きっと腐と名のつく女子ならその先をあれやこれや想像してきゃあきゃあ騒ぐのだろう。
ところがどっこい、あたしにとってそういう世界は地獄の底に渦巻くカオス。宇宙の果てにあるブラックホールであって一生出会うこともないもの。
こんな近所に転がっていたのは何かの嫌がらせとしか言いようがない。
うっかり視線が合ってしまったなんて、何という間の悪さだろう。
あのあと、あたしはその場から全速力で逃げた。
帰りに立ち寄った本屋でその手の本を読んで、一生懸命理解しようと努力してみた。
でも――ダメだった。
生物学上、男と言われるものが同性に恋をする。
そんなのありえない。
どう考えても神様の悪戯としか思えない。
当たり前のように男女がくっつくのがつまらなくなったから、遺伝子ひっくり返して遊んでいるんだ。
それで一喜一憂する乙女たちを見て、腹を抱えて笑っているんだ。
なんて性悪な神様。しがない女子高生の心を弄びやがって――ビックバンに巻き込まれて粉々になってしまえ!
って。
声を大にして言えたらどんなに嬉しいだろう。
あたしは答えに考えあぐねてしまう。
だからあえて、同じ質問を返してみる。
「先輩は――大河原先輩の告白聞いてどう思いました?」
「俺も最初は驚いたよ。でも、二人きりの時にあれだけあからさまだとこっちも気になるというか。だから俺は『オニ』に確かめたわけで、その返事がアレだったというか――まぁ、聞いてすっきりしたって所かな」
日下先輩の反応は意外にも淡泊だった。
予想外の出来事だったはずなのに、彼は思ったよりも心が広いらしい。
これも友情の賜物なのだろうか?
「これからどうするんですか?」
「どうするも何も。こういったのは当人同士の問題だから、ね」
日下先輩の口調はとても穏やかだ。
でも、あたしには部外者は口を出すんじゃない、と言われたような気がしてならない。
確かにそうなんだろうけど。
あたしはオニガワラの行く末が気になって仕方ない。
ふっと思い浮かぶのは男子バレー部にいるマネージャーの顔。
今食べているマフィンと同じ、ほんわかとした雰囲気を持つあの子は日下先輩の彼女だ。
二人は中学生の頃からの付き合いらしい。
日下先輩は彼女のことをとても大切にしている。
彼女は一連の事件をどう思ったのだろう。
「先輩の彼女さんは昨日のこと、知ってるんですか?」
「まぁね。オニのこと最初に気づいたのはあいつだし」
「え」
「なんかすっごい盛り上がってたよ。オニもいい所選ぶなぁ、ってほめてた」
「はぁ?」
予想外の反応にあたしはぽかんとしてしまった。
つまりそれは彼女さんの器が大きいということなのだろうか?
それとも腐のつくそっちの世界の人とでも――
いや。考えるのはもうやめよう。
どっちに転がったって、あたしの失恋は決定なのだ。
これ以上問答を繰り返しても、あたしがみじめになるだけ。
もう考えたくもない。
でも――
「お願いです。今回のことで大河原先輩のこと嫌わないでください」
気がつけばあたしは日下先輩に頭を下げていた。
「確かに、先輩の好みというか――そういう男の人たちの世界ってあたしには理解できないですけど。でも、先輩は本気なんです。だから軽蔑しないでください」
「え?」
「その、昨日のことは誰にも言いませんし――というか、聞かなかったことにしますから」
顔を上げる前にくるりと踵を返す。
日下先輩の顔を見ることもなく、あたしはまっすぐにのびる廊下を走りだした。
嗚呼。やっぱりあたしはバカなのかもしれない。
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