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健太郎のお姉ちゃん



「さいきん、ミカコの様子がおかしいんだ」
 それはケンタロウのぼやきからはじまった。
「ぼおっとしてたら急にそわそわするし。消しゴムを見てニヤニヤわらってるし。すっごい気持ち悪い」
 ミカコというのはケンタロウのお姉ちゃんのことだ。
 ぼくたちよりも四つ上の六年生。この学校の中で、身長がいちばん高い女の子。男の子にも負けない、ケンカの強い子だ。
 ミカコお姉ちゃんはからだの大きさと強さから、みんなにはオニババとかいわれていた。同じ六年生からはジャンボ、なんてよばれていたっけ。
 ケンタロウのぼやきはつづく。
「きのうなんか休みの日だったのに。朝から台所にいて、ずーっと出てこなくてさあ。ごはんも食べないんだ。夜になってやっと出てきたらおばあちゃんになってた。まっ白のおばけ」
「なにしてたの?」
「おかし作ってたんだって」
「おかし?」
「チョコのケーキ。でも『ちょうだい』って言ったんだけど『いやだ』って。『ケチ』って言ったら思いっきりたたかれた」
 きのうのことを思い出したのか、ケンタロウがたたかれた場所をさすった。ひとりっこのぼくの頭にその時の様子がうかんでくる。
 ぼくはいたずらっ子のケンタロウがミカコお姉ちゃんにたたかれているのをなんども見ていた。
 ミカコお姉ちゃんは「お母さんのかわりにおこっているんだ」っていつも言っているけど、ケンタロウはミカコお姉ちゃんの中にはオニの子が入っている、と言っている。だからあんなにこわいんだ、と。
「ミカコのやつ病気かな? ヘンな物でも食べたのかな?」
「それはちがうと思うよ」
 ぼくはケンタロウに言う。
「もしかしたらバレンタインのチョコ作ってたんじゃないかな?」
「チョコぉ?」
「知らないの? こんどの日曜日はバレンタインだよ」
 女の子が好きな男の子にチョコをあげる日。ぼくがそうつづけるとケンタロウは口をとがらせた。
「おれだってバレンタインくらい知ってる。おれ、その日大好き。チョコいっぱい食えるんだもん……
 そっか。ミカコ、バレンタインのチョコ作ってたのか」
「でもチョコはケンタロウじゃなくて、他のひとにあげるんだと思うよ」
「えー、なんで」
「手作りはスキな人にしかあげないんだって」
「どうして?」
「それは――」
 さっき手作りチョコをもらったから、とぼくは心のなかでつぶやいた。
『明日とあさって、お休みだから今日もってきたの。ヒロトくんうけとって』
 チョコをくれたのは同じクラスのモエちゃんだ。かみが長くて、わらうととてもかわいい女の子。話を聞いたら、きのう、お母さんといっしょに作ったんだって。ハートの形をしたチョコには色とりどりの星がかざってあって、とてもきれいだったんだ。
 モエちゃんからもらったチョコは今、ぼくのランドセルの中にある。
 本当はランドセルをしまう場所も決まっているんだけど、そばにあるストーブのねつで、とけちゃわないか心配だったから、今日はイスに引っかけていた。
 ぼくはランドセルをこっそりあけてチョコをかくにんする。とうめいな箱に入ったハートはとけていないし、星もこわれてもいない。
 ぼくはほっとすると、後ろの黒板を見た。そこにはモエちゃんがいる。ぼくと目がかちあうと、モエちゃんの顔がぽっと赤くなった。そしてとなりにいた友だちのせなかにかくれちゃった。
 だからぼくはひねった体をもどして、ケンタロウを見るけど――
「うわ」
 ぼくは思わず声をあげた。ケンタロウの目がきらきらとしていたからだ。口からはよだれが今にもでてきそう。
 ぼくはあわててランドセルのふたを閉めた。ケンタロウの口に自分の手をあてて、チョコちょうだい、の言葉をふさぐ。
 だめ! と首をふる。
「あのね、女の子がゆうきを出したんだから、ほかの人にあげちゃだめなの。ちゃんとうけとめてあげるのが男の子なんだって。お母さんがいってた」
 だからこのチョコはだれにもあげない。
 ぼくがほおをふくらますと、ケンタロウはこくこくとうなずいた。ぼくの手で口をふさいだせいか、顔が真っ赤になっている。
「このことはひみつだよ」
 ぼくはようやく自分の手をはなした。

 * * *
 
 その日のほうかご、ぼくとケンタロウは学校から少しはなれた公園にいた。
 あのあと、ケンタロウはミカコお姉ちゃんのスキな人がだれなのか知りたいと言った。そしてチョコを持ってきたことはひみつにするから、そのかわりについてこい、と言われたんだ。
 モエちゃんとの事はひみつだったから、ぼくはそれをことわることができなかった。それに、ミカコお姉ちゃんのスキな人がだれか、ってのも、ちょっと気になっていたし。
 学校が終わるとぼくらは下駄箱のかげにかくれて、六年生のじゅ業が終わるのをこっそりまっていた。そしてミカコお姉ちゃんが現れると、そのあとをずっとつけていた。
 さいしょはアニメに出てくるたんてい団をやっているみたいで、かなりおもしろかったけど。公園に着いてからは何だかつまらない。ミカコお姉ちゃんがブランコにすわったまま、動かなくなったからだ。
 しかたなく、ぼくらはブランコのうらにある、しげみにかくれていることにした。
 大きなマンションのとなりにある公園は、とても静かだ。
 ブランコのとなりにはジャングルジムとすべり台。砂場ではマンションに住む子どもたちが山を作ってあそんでいる。夕焼けで緑色のはっぱがきらきらとしていた。
 いつもならもうお家に帰っている時間。こたつの中で、おやつを食べている頃。
 それなのにぼくらは体をぶるぶるさせながら、ぼおっとしているミカコお姉ちゃんをかんさつしている。
 あーあ、モエちゃんからもらったチョコ、早くたべたいな。
 風が吹く公園のすみでランドセルをかかえながら、ぼくはこっそり思っていた。
 でもここで食べちゃったらケンタロウにずるいって言われちゃう。そしてチョコのこともみんなにバラされちゃう。だからがまんしなきゃ。
 ぼくは気合いを入れて、くちびるをきゅっとむすぶけど――
「さむい……」
 となりでこごえるケンタロウにぼくのやる気はとんでしまった。ケンタロウは体を小さく丸めながら、ガチガチと歯をふるわせている。鼻の下にはつう、と光るものが見えていた。
 このままじゃ、ぼくもケンタロウもカゼをひいちゃうかもしれない。
 もう帰ろうよ、と言おうかな? もうすぐ四時だし。帰りがおそいと、お母さんに心配かけちゃうし。
 そんなことをぼんやり思った時だった。
 公園の向こうがわから、メガネをかけた男の子がこちらに向かって歩いてきた。ミカコお姉ちゃんがブランコから立ち上がる。
「タニモトっ」
 おこっているときよりも高い声。
 タニモトとよばれたお兄さんがびくっとすると、ミカコお姉ちゃんはゆっくりと歩みよった。
 ゆらゆらゆれるブランコの前で、お兄さんが自分よりずっとせの高いミカコお姉ちゃんを見上げる。
「なに?」
「あの……その」
 ミカコお姉ちゃんは自分が持っていた包みをさらにぎゅっとする。
 いつもは姿勢のいいミカコお姉ちゃんだけど、今日は背中がネコになっていた。つっかえながらの言葉。ほおを赤くして、はずかしそうにしているすがたは今日のモエちゃんといっしょだ。
 ケンタロウも今まで見たこともないお姉ちゃんに何も言えないみたい。ぽかんと口をあけたままでいる。
「これ、きのう作ったんだ……ケーキ、よかったら、食べて」
「え」
「その――バレンタインの、だから」
 ミカコお姉ちゃんは、むねに抱えていたものをお兄さんにさし出した。バレンタイン、の言葉を聞いてお兄さんのほおも赤くなる。ミカコお姉ちゃんからもらったかみぶくろを、大切そうに受け取っている。
 何だかいい感じ。
 そしてお兄さんが何か言いかけようとしたとき――公園にすずの音が広がったんだ。
「あっれー、タニモトとジャンボだ」
 自転車でやってきたのはぼくたちよりも背が大きくて、ミカコお姉ちゃんよりも体の小さな男の子三人。ジャンボ、って言ってるから、ミカコお姉ちゃんと同じ六年生みたいだ。
「ジャンボの家ってこっちの方向じゃないよなぁ」
「なにしてるんだ?」
「べつに。何だっていいじゃん?」
 男の子たちの言葉にミカコおねえちゃんはぷい、とそっぽを向く。おにいさんや他の男の子たちからはなれようとするけれど、
「これ、なんだあ?」
 その声にミカコお姉ちゃんがはっとした。気づけば、わたしたはずのチョコが別の男の子の手にあった。返せ、とお兄さんがさけんでいる。
「なにか入ってる……お、チョコケーキだ」
「それってバレンタインのチョコじゃねえ?」
「なに? ジャンボってタニモトがスキなの?」
「タニモトもジャンボのことがスキなの?」
「うわー、らぶらぶ」
 ひとりの男の子がらっぶらぶ、とくり返す。ふたり、三人とつづいたそれはかえるの合唱のようにちょっとだけずれて、公園じゅうにひびきはじめた。さわぎの始まりだ。
 からかわれたお兄さんはランドセルのひもをにぎっていた。近くの砂場で遊んでいた子どもたちがふしぎそうな目でお兄さんを見ている。
 さっきまで、うれしそうな顔をしていたのに。お兄さんの顔が、だんだんこわくなっていった。
 そして――
「スキじゃないっ! ジャンボなんかキライだ」
 お兄さんの声に、ミカコお姉ちゃんの体がびくりとゆれた。はやし声がぴたりと止まる。
「あーあ、タニモトがジャンボをふっちゃったあ」
 六年生の声がお兄さんからミカコお姉ちゃんに向けられた。チョコが空にぽーんと投げられる。それは男の子たちの間をいったりきたりしていたけど、そのうちミカコお姉ちゃんの足元に転がった。
 さいしょにからかった男の子が、それを拾いに自転車を近づける。でも、その動きはぴたりと止まった。ミカコお姉ちゃんの目からなみだがこぼれていたからだ。
 ミカコお姉ちゃんは声もあげず、ないていた。
 思ってもいなかった出来事に、みんなだまりこんでしまった。キライ、とさけんだお兄さんは真っ青になって、氷のようにかたまっている。ぼくらも口をぽっかりとあけて、その場から動けずにいた。
 さわがしかった公園がきゅうにしずかになる。
「おい、どうする?」
「どうするって……」
 こまって相談をはじめる男の子たち。
 するとケンタロウが大きな声でさけんだんだ。
「あやまれ!」
 ケンタロウはしげみをぬけると、体そう服のはいったキンチャクをぐるんと回して、六年生たちの中へとびこんでいった。
「おまえら、ミカコにあやまれっ! あやまれえっ」
「な、なんだこいつ……」
 ケンタロウのいきおいにみんなおどろいていた。からかっていたひとりが自転車ごとひっくりかえる。
 がしゃん、という音。いってえ、とうめく声。
「ケン!」
 ミカコお姉ちゃんがさけんだ。
「あばれたらお姉ちゃんおこるよ!」
 そのひとことに、ケンタロウの動きがぴたりととまる。ぼくが見たのはケンタロウの半べそ顔。ぷう、とふくらました顔がいまにもはちきれそうだ。
「なにこいつ」
 とりまきのひとりがケンタロウをじろりと見る。
「ジャンボの弟なの?」
「弟もおっかねー」
 しりもちをついた子のからかいに、
「うるさい!」
 ミカコお姉ちゃんはなき顔でにらみつけた。近づき、ランドセルにささっていたリコーダーをつきだす。
「ケンのことを悪くいうな! 弟をからかうやつはあたしがゆるさないんだから!」
 こわい声にひっくりかえった子がにげていく。まわりもあわてて自転車のペダルをこぎだす。からかっていた六年生たちはあっという間に公園からいなくなってしまった。
 タニモトのお兄さんもこっそり、せなかをむけようとしたので、
「お兄さん」
 ぼくはお兄さんをよびとめた。お兄さんに聞きたいことがあったからだ。
「お兄さんはミカコお姉ちゃんのこと、本当にキライなの?」
「え」
「お母さんがいってた。男の子は大きくなると、はずかしがりやさんになるんだって。だから、うれしくても反対のこと言っちゃうんだって」
 ぼくがそう言うと、お兄さんの顔が真っ赤になった。
「お兄さんはお姉ちゃんのこと、スキ? キライ?」
 おにいさんはくちびるをぶるぶるとふるわせた。地面におちたチョコをいちど見て何かをつぶやくけど、ぼくの所までとどかない。そのうち、お兄さんも公園の出口に向かって走って行っちゃった。
 がちゃがちゃとランドセルの音を立てながら。
 あーあ、お兄さんのこたえ、ちゃんと聞きたかったのにな。
 おいてけぼりにされたぼくは、地面に転がったつつみを拾った。おもいっきり投げられたからふくろがくしゃくしゃになってる。
 でも中身は大丈夫そうだよ。
 ぼくはケンタロウとミカコお姉ちゃんにそう伝えようとするけど――
「ケンのバカっ!」
 それより前におおきな声がぼくの耳にとどいた。
 ふりかえれば、ミカコお姉ちゃんがおこっていた。ケンタロウの顔がさらにくしゃっとなっている。
「チビのくせに、なに六年生にケンカ売ってるのよ」
「だってあいつら……ミカコのチョコなげたから。きのう、がんばってつくったのに……」
「ケン……」
「あいつら、ミカコのことなかせた。だから」
「だからって、なんであんたもなくかなあ――ハナミズたれてるし」
「だって、だって」
 ウサギの目でうったえるケンタロウに、
「しょうがないなあ」 
 同じ目をしたミカコお姉ちゃんがためいきをついた。
 ポケットからチェックのハンカチを出す。
 先に自分のなみだをふきとった。それからしゃがんで、ケンタロウの顔をふいていく。さいごに、ケンタロウが鼻をちーんとした。 
「すっきりした?」
「うん」
「じゃあ、帰ろっか」
 お姉ちゃんの言葉に、ケンタロウがうなずく。
 今度こそ、おいてけぼりにならないよう、ぼくはおおい、と声をはりあげた。気づいたふたりに、拾ったものを見せる。
「このチョコどうするのー?」
「……もういらない。捨てちゃっていいよ」
 そう、ミカコおねえちゃんはこまったようにわらうけど、
「おれがくう!」
 そうさけんだのはケンタロウだ。
「ミカコのゆうきは、おれがちゃんとうけとめてやる!」
 ケンタロウはくしゃくしゃになってしまったふくろをぼくからうばう。
 弟の言葉に、ミカコお姉ちゃんは最初目を丸くしていた。
 やがてぷっとふき出す。
「ケンはしょうらいイイ男になるね。お姉ちゃんうれしいよ」
 そう言って目を細めるミカコお姉ちゃんはこわくない。とてもきれいで、かわいかった。
 ミカコお姉ちゃんが立ち上がる。ぼくたちは夕陽にむかって歩き出した。
 風の通り道にある公園はさむくて、ぼくたちの体はすっかり冷たくなっちゃったけど――
 ふりかえった先にあるのは、手をつなぐケンタロウとミカコお姉ちゃんのかげぼうし。
 それを見てたら、ぼくの心がぽかぽかしてきて、きょうだいってのがちょっとうらやましくなったんだ。


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