テニスの王子様 [DREAM] | ナノ

別れの時はあっさりと来た。

俺たちの荷物はどんどん車に放られ、アイツもまたその手伝いをしている。
当然、俺たちもその作業を手伝っていて…刻々と迫る時間。刻々とすぐそこまで――…
東京へと舞い戻る。このオンボロの民宿から離れる。合宿が終わる、時。

何食わぬ顔で過ごした日々の中で、俺もまたアイツと同じ顔をして過ごした。
アイツは変わらないのに、俺だけが変わっていくなんて許せなくて…
だから同じ顔をして過ごして、同じ顔で去ることを決めた。

この想いはいつか消えてなくなる。いつか思い出と変わる。
"ああ、こんなコトもあったな"程度の記憶になり、ゆくゆくは小さくなっていく。
時間がそうさせてくれる、きっと…そうでなければ許さない。だけど、

――誰が思い出に出来る?あの女を…

そう、頭の中で誰かが呟いたような、そんな気がした。




Miss Coolness




「忘れ物等はありませんか?」

荷物を詰め終わった頃、中と外を何度も往復して確認をしている。
別に大したものも持って来ていなければ、忘れても郵送という手立てもある。
誰もがこの場所から離れる寂しさを口に出すなか、俺だけは何も言わなかった。
アイツと同じ。寂しそうな素振りも無く、冷静なまでの対応態度。

「お昼用にお弁当を作ってますので、移動中にでも食べて下さいね」

女が用意した弁当を忍足が受け取って、騒ぎながらも女に誰もが詰め寄る。
まるで、飴玉に集るアリのような光景を俺だけが傍観している。
一歩も二歩も引き下がった場所から、何も言わずに…

これで全てが終わって、俺たちはまた通常通りの生活へと戻る。
何もない空間から不自由のない空間へ。また変わらぬ生活が始まる。

「何や、跡部もちゃんとお礼言わなやろ」

一人外れたところで佇む俺に忍足が手招きをしてる。
何か言いたげで、何かを期待した様子で。それが腹立たしくて堪らない。

「……いいんですよ。これが私の仕事ですから」

笑っていた。何食わぬ顔で、いつもと変わりのない表情で。
それが更に腹立たしくて見るに堪えないものがあって…俺は目を逸らした。
女にとって俺たちはただの客、今までの作業は仕事に過ぎないこと。
幕を閉じ行く場所に貢献したのは俺たちの方で、お礼を言うのも筋違い。
いいんじゃねえか、最後の最後で…出来たんだろ。思い出が。



別れが惜しいのか、こんな時に限って話が尽きない。
最初に乗り込んだのと同じバスがエンジンを掛けたまま待ってる。
このバス…乗り込む時は何も考えてなかった。何も知らなかったな。
こんな田舎に置き去りにされて、何とも言えない日々を送らされるとか。

「跡部さん」

最後の最後になるだろう。女が俺の名を静かに呼ぶ。
もう顔なんて見たくないのに…それに反応しないわけにはいかずに顔を上げた。
いつもと同じ表情の中、手に握られたものは一冊の大学ノート。
そういえばコイツがいつも片手に握ってはカリカリと何かを書き込んでいたような…

「榊様に渡して頂けますか?合宿の記録です」
「……ああ」

そのノートを受け取ると、また女は他のヤツらに囲まれて会話を始める。
俺は一人、ろくに名前も呼ぶことが出来ずに、話も出来ずに、見ることも出来ずに…
そうして時間は過ぎていく。俺を残して、進み出すことすら出来ない場所へ置いて。


最初はただのスカした女。
仲居の分際で客に対する態度がなっていない最低な女。
それがどうしてこうなったのだろうか、思い返しても理由が分からない。
寂しそうに微笑んだから?目の前で涙を見たから?俺だけに…本性を見せたから?

俺の周りには存在しないタイプの人間で、隠した感情が、裏の姿がミステリアスで。
気付けば目盛りはどんどんと傾いた。自分でも信じられないほどに。

こんな場所で出会ったから惹かれた、傾いた。
こんな場所でなければ通行人に過ぎない存在だった。
だけど、こんな場所で偶然にも必然にも出会ってしまったから…

恨まずにはいられない、この運命を。
足掻くことなど出来ない、この感情を。



「そろそろ出るようですよ」

ハッと我に返った時、すでにバスへと乗り込むヤツらの姿が見えた。
誰もが俺の方を見て口をパクパクさせて、何か言えと言わんばかりのジャスチャー。
余計なお世話だ、と叫んでやりたい反面…その気遣いを喜ぶ自分がいることを知る。
"最後なんだ"と知るには十分すぎる光景に、返って言葉が出ない。

「お気を付けて」

何を告げればいい?何を言えばいいのだろう。
今更になって掛ける言葉も、話すことも、何を意味するという?
自分を見失わぬように仕向けて、見つめることすら出来ない俺が何を告げる?

「最後に素敵な思い出、出来たよ」


――誰が思い出に出来る?


「……思い出に、させてたまるかよ」
「え?」

簡単なことじゃないんだ。嘘でも偽りでもないんだ。
この根付いた気持ち、生まれても枯れることのない想い。
それを消化することもなく潰すなんてことは簡単なんかじゃない。
だから…分かれよ。だから…告げさせろよ。

「俺はな!ゆい、お前のことが――…」

封じられた言葉は放つことすら許されず、塞がれた唇。
誰もが見ているなかで、冷たく乾いたものが予測も出来ないほどの勢いで触れた。
一瞬だけの出来事。見開いた自分の目の中に、女は映っていた。

「有難うね、跡部」





何事もなかったかのように、俺たちはその場を後にした。
最後まで微笑んだまま見送る女に、誰もが別れを惜しみ、手を振っている。
俺はただ一人、それに賛同することも出来ずに外をただ眺めた。
遠く小さくなっていく人影が、別れを物語っていた。


"縁があれば、また会えるから"


子供騙しな、慰めにもならない言葉を押し付けて離れた。
離れる他に術はないと知りながらも、惨めに最期まで足掻きたかった。
今更になって、そんなことに気付かされて…
たった一週間、長い人生の一部にも満たない時間の中で起きた。
激しいまでの激情、葛藤、そして迎えることとなった終焉。

この想いは、この出来事はいつか風化して消えていくのだろうか。
様々な記憶の中でうっすらと残る、鮮やかな思い出となっていくのだろうか
誰か、誰でもいいから、思い出だけで終わらせないでくれ――…



2006.12.15.
2008.04.04. 加筆修正


(6/11)
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