ぐらぐらと揺らいでいるのは足場だけではなかった。服越しの熱が平常温度を上回る。密度の関係で必然的に向かい合う形で押し付けられた身体に熱、そして脈打つ心臓。いや、心臓だけじゃない。身体中の脈という脈は今総動員でフル稼働中だ。 走るほど忙しいのは猫だっけ。犬だったかな。
今どんな顔になっているのかなんて知りたくないし、確める勇気もあったもんじゃない。不安定なこの足元と気持ちを一緒に君の胸に預けている、それだけでもう充分精一杯なのに。
ほぼ体重を彼に乗せてしまっている体勢で申し訳ないのに、「ごめん」の三文字も引き出せない。
「ふぶき、」
小さな声でもはっきりと聞こえたそれが、まるで二人しかいないみたいに静まり返った車内に響いているんじゃないかと不安になった。実際は電車が加速して風を切る音と、帰り道まで敷かれたレールを走る柔らかい騒音と、すし詰めになった車内でなんとか雑談するひそひそ声も一緒に満員の中に押し込められていたけれど。誰にも聞かれたくないよ、今の声は。豪炎寺くんの三文字は酷く焦りと欲情に染まっていて、耳がこそばゆくなる。ほんとどうしてくれるの、こんなところで。
「ごめんね」
漸く出た謝罪はいくらこの状況が不本意に、時間帯のために作られたステージだったとして、それを生み出したのは僕が原因ではないのだからきっとそぐわないし、豪炎寺くんも不思議そうに小首を傾げる。なんだか変に可愛いんだけど。
オレンジ色が差し込む車内をもう一度確認して、息苦しさを思い出した。ただ君が近いからじゃない圧迫感はできれば思い出したくなかったのだけれど。 沈黙もいよいよ水深を増して、息継ぎのタイミングをとっくに見失った僕は酸素を求めるようにぱくぱくと、しかしそこから先の言葉は生まれずにぼろぼろ沈んでいく。
「何故謝る?」
「重いでしょう?」
「悪くない」
視線を落として豪炎寺くんのおへその辺りまで下げたところで止める。じりじりと顔に上ってくる熱で、色白な僕の頬はきっとトマトみたいになっているからまともに顔なんて合わせていられない。なにより一瞬かち合った視線は驚くほど熱くて、時間をかけて見つめていたら、ゆっくりと溶けて無くなってしまいそうだった。穴が空くほど見つめるなんてよく言ったものだ。これじゃ貫通する前に蒸発じゃないか。
でもきっと僕も同じ目をしているに違いない。こんなに火照ってゆらゆらと燃やし尽くしそうな気持ちは、今までも何度かあったけれどちゃんと時間と場所と空気を弁えていたはずだった。ここは公共の機関。なにこれどういうことなの。
「豪炎寺くん、ひとついい?」
「なんだ?」
豪炎寺くんの右手を捉えて、どくどく脈打つ胸の中心へ導いて押し当てる。いつも君の手は熱くて、今日は特に火傷するかと思った。
「これ」
付け足すように、どうしてくれるのと視線で訴える。この際全部君のせいにしちゃえ。もうこれ以上ない頭で考えても埒があかない。
実はここまで来て涼しい顔を崩していない豪炎寺くんに、悔しいを通り越して怒りが顔を出しそうなんて、そんなことない、はず。むしろこれは伝わらない歯がゆさだと思う。君も僕がどれだけ焦っているのか、伝染しちゃえばいいのに。
ただ君は格好つけだから分かりにくいんだよね。
僕がそうしたみたいに、次は豪炎寺くんが僕の手を取って、胸の真ん中に押し当てる。
「俺も」
咄嗟に顔を上げると、焼き尽くす瞳は伏せられて、困ったようにへら、と。いつもの僕みたいな笑顔だった。
「ずるい」
「お前も同じことしたじゃないか」
「そうじゃなくて」
その顔はずるいんだって。もう言葉も出ないし、そもそも溺れちゃって呼吸も手遅れだ。
次に言葉を交わすまであと2駅。
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