前編
「南〜、お前今日遅れて来るねんな?」
「そうやけど、何?」
放課後、部活へと向かう岸本は廊下で南を発見した。新体制となりキャプテンとなった南。しかし今日は委員会がある為練習に遅刻することになっていた。
「わかれへんけど板倉が探しとったぞ。」
「ハァ?なんやねんアイツ。俺委員会や言うといて。」
「せやけどなんや、むっちゃ深刻そうな顔しとってん。」
あの板倉が深刻そうな顔?そないな顔出来るんか?と南は頭に失礼なことばかり思い浮かべる。委員会が始まるまであと十五分。練習前の板倉と話をする時間くらいはあるとそう判断した南は一目散に部室へと駆けつけた。クールに見えるが心優しいキャプテンなのだった。
「なんやねん板倉…俺、今日は委員会が…」
「南さん!板倉ならまだ来ていまへんけど…」
「は、ハァ?!」
なんだそれは…俺は忙しい!とそれでも板倉のいる一年の教室へと駆けつける。一年の教室は四階にある為、南はダッシュで階段を駆け上ったのだ。日頃から鍛えているとはいえ辿り着いた頃には息が上がっていた。
「い、いたくら…なんやねん、お前…このボケ…」
「な、なんですの、南さん…いきなりそないな…」
結局大した用やあれへんがなと南は舌打ちをしながら廊下を走る。おんのれ、岸本のやつ…板倉とセットでしばいたるとそう心に誓いながら。ダッシュで向かった先。息を整え静かに扉を開けば既に委員会は始まっていた。
クソ野郎…絶対ゆるさへんぞ…とそう思いつつ申し訳なさそうに空いている席へと向かう南。担当の先生にジロッと睨まれた気がしたがスルーだ。呼吸を整えゆっくりと椅子へ座る。南は机に置かれていた資料に目を通した。
「…?」
その紙には色ペンで事細かに文字が記入されていた。あらかじめこんなに手の込んだ資料を作ったくれたのかと不意に前の席を覗けば、目に入った資料には色ペンでの記入は施されていなかった。つまり、南の持っている資料にのみ、ツラツラと綺麗な文字でたくさんの補足が書き込まれていたのだ。
「………」
それもちょうど今扱っている文の所まで、だ。ということは…俺がいない間、代わりに記入してくれていた人がいるということだ。南は左を見た。そこに座る女子生徒の手元にある同じ資料には同じ色、同じ字で綺麗に文字が記入されていたのだった。
この人が…
そう思いほんの少し顔を覗く。そしてハッと気付く。
確か…三年の、みょうじ先輩…
その顔には見覚えがあった。委員会で同じになる以前から「綺麗な人だな」と一方的に知っていたからだった。話したことこそ無いけれど彼女の名がみょうじなまえだということやひとつ年上だということも南はわかっていた。ちなみに成績が相当優秀らしい。
「あ、あの…」
コソッと話しかけてみる。こんなチャンスは二度と無いと何故だか張り切っている自分がいて。
『…はい。』
「これ、書いてくれはりました?ありがとうございます。」
『あ、いえ…バスケ部の部長さんですよね。お忙しいと思ったので。』
そう言われ南は気付く。先生が「南がまだ来ていない」とみんなの前で確認したのかもしれないし、バスケ部の話を出したのかもしれない。それでもどんな理由であれ、彼女が自分のことを知ってくれていたことがとても嬉しかったのだ。
「助かります。」
『いえ…私なんかに頭を下げんとってください。』
そう言ってスラスラとメモを取るなまえ。南はひとつ違和感を覚えた。全くと言っていいほど視線が合わなかったのだ。自分の方など見向きもしない彼女。どこかうつむきがちで遠慮気味。どうしてそんなに控えめなんだと解決しない疑問に悩まされた。
「…あ。」
『…あぁ、どうも。』
それ以来廊下や購買ですれ違うたびに南はなまえに頭を下げていた。ペコリと挨拶を交わす。その度に視線を逸らし遠慮がちに頭を下げ返すなまえ。どこまでも壁を感じ一向に距離が縮まらない。南はそれなりに悩んでいた。
「なんやねん、いつもいつも…」
まるで自分に興味がないと言われているような気がして面白くない。自分はあなたに興味があるっていうのに。いつのまにか南は彼女の態度にムッとするようになっていた。こうなれば強引にでも自分の方を向かせたい。
その心に、入り込んでみたい。
「みょうじ先輩。」
『…?』
相変わらず素っ気ない挨拶を返されたとある日、南はなまえに会いに三年の階へと向かっていた。たまたま廊下に出ていた彼女に声をかける。こちらを向き目が合った瞬間ビクッと肩を震わせ下を向く。「何?」と小さな声がした。
「先輩、勉強が得意だって聞いたんですけど。」
『…?』
「テスト前やし、教えてほしいなって思いまして。」
話しかける口実を必死で探した。学年でも一、二を争うほどレベルが高いなまえ。南の声を聞き固まった。そしてゆっくりと口を開く。
『…他にも、勉強が得意な人はたくさんおるよ。』
「いやでも、俺はみょうじ先輩がええんですけど。」
『…私には、南くんのような人と話をする資格なんて…』
そう言うとスタスタと自分を置いて歩いて行ってしまう。そんな彼女の腕を南はパシッとつかんだ。折れそうなほど細かった。
「どうして、先輩はそないなことばかり言うねん。」
『南くん、離して欲しい…』
「俺は、みょうじ先輩だから教えて欲しいんや。」
必死になって思いを伝える。それが伝わったのか一度だけ、ほんの一瞬なまえは顔を上げた。チラッと南を見上げる。自信のなさそうな、不安げな顔だった。
『…南くんはえらい人気者で…私の学年でもたくさん噂を聞くくらいや。そんなキラキラしとる子と私みたいなんが…』
「やめや、その…私なんかって…!」
なまえはひどく自己評価の低い女の子であった。自分に自信がなく、良い意味で謙虚だが、謙虚の度を超えるほど自分に自信を持つことができない性格なのだった。これといって秀でたものがない自分。ただでさえそう思っているのに、南のような才能に溢れた「有名人」とはまるで住む世界が違うのだと、彼女の心にはそんな考えばかりが存在していたのだった。
『……っ、』
なまえは南の腕を振り解き廊下を走った。その悲しそうな後ろ姿を見るなり、なんてことを言ってしまったのだと南には絶望が待ち構えているのだった。
君に触れたいだけなのに(あぁもう…俺はなんてことを…)
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