言葉の無い世界








「神さーん…卒業、おめでとうございます…」

「ねぇ信長、鼻水拭いてから来てくれる?」

「ううっ、すみません…」


ポケットからティッシュを取り出そうとするも当然持っていないらしく空のポケットを二、三度漁ってから「牧さん、ティッシュ…」とOBとして参加してくれたスーツ姿の大先輩にたかりに行く信長。「ほら、早く拭け」とティッシュを貰うなり泣きながら豪快に鼻をかむ信長。今から決めに行かなきゃいけないってのに鼻水つけられてる場合じゃないんだよ、俺は。


海南大附属高校卒業証書授与式と書かれた漢字だらけの看板の隣で友達や母親とピースしたりアホみたいに変なポーズをとったりしながら楽しそうに写真撮影に勤しむなまえこと俺の幼馴染。俺のことなんて見向きもせずにワッキャワッキャ耳が痛くなるような声を出して写真撮影に全力を注いでいるその制服姿も見納めかと思うとどんなにアホなポーズをしていたとしても途端に目に焼き付けておきたくなる。にしてもアホだ。


「宗くん、高校の三年間もたくさんお世話になって…本当にありがとうね。」

「いえ、こちらこそありがとうございました。」

『うわぁ…何いい子ぶってんの。』

「…何の話かな?」


さすがにおばさんの前で舌打ちもデコピンも出来なくてニコッと微笑めば「怖…」となまえの声がする。そんな俺らを見るなり「これからも地元同士よろしくねぇ」だなんてなまえと同じく海南大へと進学を決めた俺に今後も娘の世話を押し付ける気満々なおばさんには心の底から感謝する。そうだ、それでいい。いや、それがいい。


『まだ写真撮ってなかったじゃん、来てよ。』


ちょいちょいと手招きされ先程までのアホみたいなテンションはどこへやら、かしこまってほんの少し口角を上げる程度の笑みでカメラを見つめるなまえ。看板を挟み隣に立つ俺が「おい」と声をかければ視線はおばさんが持つレンズに向けたまま「何?」と返事が返ってきた。


「笑いなよ。笑った方がまだマシだよ。」

『もう言われ慣れて何にも思わなくなってきたどころか「何しなくても可愛いよ」に聞こえてくるしそろそろ末期だわ。』

「もともとだろ、馬鹿。」

『…何が言いたいの。』


だから笑えってば、と続ければ「宗一郎だってたいして笑ってないじゃん」とキレられていつものように喧嘩になる。そんな様子を笑って撮り続けるおばさんがいて、看板を含めた撮影のために順番待ちで待機している人たちにその場を譲りながらも俺たちの喧嘩はいつものように止まらない。


『そもそも私達が笑って写真撮ったことなんてあった?いつも互いに無愛想で撮らされました感満載な顔してるじゃん。』

「あまりに酷くて見てられなかったんだよ。」

『どういう意味だよ…もう傷つく事さえ諦めたわ…』


あぁ違う、こんなことを言いたかったんじゃない。もはや日常と化して確かに深い意味もなく彼女の気を引くためのものとなってしまっているのだけれど、にしたって今日のような日にこんな言葉を浴びせたいなんてさすがの俺でもそんなことは思わない。むしろ逆だ。


「…ちょっと、来て。」

『はっ…ちょっと、どこ行くの…!』


今日という日をずっとずっと待っていたんだ。この場から、この服から、解放されるこの日をずっとずっと…


『どうしたの…さっきのことなら謝るよ…だからこんな人影のないところで殴ったりしないでよ、卑怯者。』

「…殴った覚えもないしそんなつもりもない。」


静かな声色とそれで出された俺の言葉に拍子抜けしたのかなまえは「なに…」と呟くのを最後に黙ってしまった。俺の言葉を待つかのようなその不安げな表情がやけに可愛く思えてほんの少しだけ目がチカチカした。


「…ありがとうって言いたかったんだよ。」

『……』


意外すぎて言葉を失ったらしいなまえだがいつものように調子良く返してこないどころかギョッとした目で黙ったまま俺を見つめるあたり、俺が出した今の言葉が本心であることを見抜いたらしく、「やめてよ…」と小さな声が聞こえてきた。


『別にそんなんじゃないでしょ、私達。』

「今のはあの時のお礼。」


「あの時」だけでこんな赤ん坊の頃から一緒だった彼女には伝わるらしく「宗一郎が自分で決めたことだし、お礼を言われるようなことはしてない」と彼女も本心で俺に向き合ってくれた。


あの時、「センターは無理だ」と言われた時、あの場になまえはいなかった。幼馴染ゆえにごくたまに登下校を共にすることはあっても夜遅くまで行われる練習を彼女が最後まで見届けていったことはなかったし、見届けようつもりなら俺はすぐ帰したと思う。暗くならないうちに帰れと言ったはずだ。


あの日、練習を終えた俺はひとり体育館に残っていた。ぼうっとフロアに座りバスケットゴールを眺める。座って見上げるそれはいつもより高く見えて、でもそれだけではなくて、どこか遠い世界に行ってしまったような、そんな感覚だった。


薄々自覚はあった。牧さんや高砂さんどころか控えの控えに位置するようなセンターの先輩たちにもいとも簡単に吹き飛ばされ到底敵いっこなかった。だけれど自分が勘付くのと監督から面と向かって言われるのは意味が違う。誰かに指摘されることだけでもドキッとしてしまうのに、それがチームの指揮官とならば当然だ。どうしよう…ぼうっとリングを見上げては何かを失ったような喪失感に苛まれて帰る気どころか立ち上がる気にもなれない。


その時だった。スッと体育館の扉が開きスタスタと歩いてくる人物がいた。制服を着た女で俺の隣に体育座りをして同じようにぼうっとリングを見上げていた。なにも言わず、ただただひたすら上を見続ける。


なまえは何も言わなかった。ただ俺の隣に座り俺と同じ方向を向き俺と同じように上を見上げていた。なんでここにいるのかとか、どうして帰らなかったのかとか、聞きたいことは山ほどあったし言ってやりたいことも山ほどあったけど何も口にはしなかった。


言葉が無くとも分かり合えたからだ。


普段はガミガミ突っかかるくせしてこういう時は本当にずるい。「大丈夫だよ」と「なんとかなるよ」と、そういう意味のない言葉を俺が一番嫌うんだとわかって何も言わないなまえのその佇まいが、あまりにも綺麗で、そして俺の心を満たしてくれて…


どのくらい座っていたんだろう、結局一言も話さずに家までの道のりを共に帰った。「どうしたらいいと思う?」と心で彼女に問いかける。真っ直ぐ前を向き俺が合わせてるのかはたまた彼女が俺に合わせてるのかわからないけれど、ピッタリと合った歩くペースを乱すことなく前へ前へと歩いていく。彼女はいつもここぞという時に態度で示してくれるのだ。言葉を使わずに、その佇まいで。本当にずるくて本当に格好良い。


だから「好き」を止められないんだよ、馬鹿。


「いつもいつも居て当たり前だったから、ちゃんと口にしてなかったでしょ。」

『そんなのもういいよ。キャプテンお疲れ様。』


あぁもう、本当に…


ずっとずっと待っていた。俺の濡れた心に傘をさしてくれた君にこの言葉を伝えたくて、俺はずっとずっと待っていたんだ。


「なまえ、」

『うん?』

「…好きだよ。」


素直になれず思ってもないことを言っては喧嘩になる日々は今日この場に置いていこう。そんな日常からも卒業しよう。


「俺にはなまえだけだから、これからもよろしく頼むよ。」


なまえは笑った。「なにそれ」と笑った。


『からかってる…?』

「まさか。俺の本気、見せようか?」


そう言ってなまえの腕を引きグッと距離を縮めてみる。彼女は途端に顔を赤く染めて「わっ…」と可愛い声を出すもののその顔に見惚れている隙に俺の唇に柔らかいものが触れて、それは一瞬でパッと離れていった。


「えっ……」

『宗一郎の本気より、私の本気の方が上かもしれないよ。』


そこには強気な彼女がいた。いつものように俺に真っ向から挑んでくるいつものなまえがいた。ひとつだけ変わったことがあるとするなら、その表情はどこか艶っぽく、見たことないくらい「女の顔」をしていることだ。










俺たちに言葉は必要ない

(ねぇ、ちゃんと言ってくれない?)
(…好きだよ、宗一郎)
(…俺も。)




Twitterで企画に参加した際の提出作品です。久保田利伸さんの「LA LA LA LOVE SONG」をテーマに書きました。





Modoru Susumu
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