short | ナノ

 

*微裏注意
*社会人のベルと高校生のフラン
*一般人で同棲してます






バイトを終えて自宅に帰ると、リビングに向かう途中で見知らぬ人と遭遇した。

見慣れた背格好が前を横切ったから、てっきりベルフェゴールだと思ってただいま、と声を掛けた所で違和感を感じた。
黄金色の髪と鬱陶しいぐらいに長い前髪。何時もの癖っ毛は見当たらず、毛先は真っ直ぐに落ちている。
此方の声で振り返った其の人は、見間違うほど恋人に酷似しているが恋人ではない。

「……誰?」

此方の台詞を先取りするように、目の前のそっくりさんが疑問を口にする。

そっちこそ誰だ、と言いかけた所でリビングから聞き慣れた声が飛んできた。

「フラン?」

物音に釣られて、ベルフェゴールが扉の隙間からひょっこりと顔を出す。
何時ものベルセンパイだ、と安心すると同時にドッペルゲンガーを見たような錯覚に陥った。

「ベル、何この子。知り合い?」

「あー、知り合いっつーか…前に臨時で働いてたバイト先の後輩。で、今は同居人」

「え、一緒に住んでんの? ルームシェア?」

驚いたように言って、ベルフェゴールにそっくりな人がまじまじと見つめてくる。

「あの、ベルセンパイ…この人…」

「前に話したことあるだろ? ほら、兄貴いるって」

「……あー、双子の…」

すっかり頭の片隅に追いやられていたが、そう言われてみれば以前、双子の兄がいるとベルフェゴールが話していた事を思い出した。

「初めましてー、フランですー」

「フランね、オレはラジエル」

彼の存在は聞いていたが実際に会うのは初めてなので不思議な感覚だった。
ベルフェゴールと同じように瞳は分厚い前髪に覆われていて本当に瓜二つなのかは分かりにくいが、鼻筋や形の良い唇を見ると矢張りベルフェゴールと酷似しているようでやけに納得した。

全身を値踏みするようにじっと此方を観察していたラジエルが、今度は冷やかすような口調でベルフェゴールの肩を叩く。

「ベルよぉ、お前こんな可愛い子誑かしてもう同棲だって? 相変わらず手がはえーな」

「…相変わらずとか誤解を招く言い方すんな。つーか、そいつ男だぞ」

「えっ、…男?」

驚いたように、改めて全身を隈無く見渡されて居心地が悪い。

「……なんか悪かったな」

「あー、慣れてるんで大丈夫ですー」

中性的な顔立ちと身長の所為なのか、昔から女と間違われることは少なくない。其れがコンプレックスだった時期もあったが、いい加減に言われ慣れて今更傷付く事もなくなった。

チン、と会話を切るような機械的な音が聞こえ、振り向くとベルフェゴールが電子レンジを開けている所だった。

「おら、クソ兄貴。さっさと食って帰れよ」

「……お前、このオレにコンビニ弁当食わす気?」

「てめーが腹へったってうるせぇから出してやったんだろ。文句言うなら食うな」

「……うわ、ありえねぇ…」

苦虫を噛み潰したように渋い顔で弁当を受け取り、リビングに引っ込んで行くラジエル。
ベルフェゴールの兄とはいえ、客人なのだからコーヒーの一つでも淹れた方が良さそうだ。コンビニ弁当に合うかは保証出来ないが。

「お兄さん、コーヒーで大丈夫ですかー?」

「フラーン、こんな奴に気遣わなくていいから」

「お前は少しくらい兄貴を敬えよ… ありがとなフラン、貰うわ」

「おい、早速呼び捨てにしてんじゃねーよ」

「別にいいだろ、年下なんだから」

「あー…好きに呼んでもらっていいですー」

初対面なのに随分と砕けた口調で絡んでくるラジエルに少し戸惑うが、思い返せばベルフェゴールもそんな感じだったなと懐かしくも思い出す。

どうやらベルフェゴールは、ラジエルが自分の恋人に馴れ馴れしく接するのが気に食わないらしい。嫉妬深い人だとは分かっているが何も自分の兄にまで噛みつかなくてもいいのに。
淹れたばかりのコーヒーを片手にリビングへと戻れば、テーブルを挟んで二人が向かい合ってソファーに座っていた。どうぞ、とラジエルにコーヒーを差し出してベルフェゴールの隣に腰掛ける。

「つーかさ、なんで一緒に住んでんの? お前が他人と同居してるなんて信じられないんだけど」

「なんでって、…まぁさっき言ってた同棲?みたいなもん」

「ちょっと、ベルセンパイ…」

「なに? 本当のことじゃん」

此方のやり取りを聞いて、ぽかん、と口を半開きにしたまま停止するラジエル。おかげで片手に持ったフォークから唐揚げがぽろりと落ちた。

男同士でありながら自分達はそういう関係だと、あっさり公言してしまうベルフェゴールに焦りを覚える。
普段は関係を聞かれても逸らかす人なのに、相手が兄だから話してもいいと思ったのだろうか。幾ら血縁者だとはいえ、理解をしてくれるとは限らないのに。
白い目で見られてしまうかもしれない、そう思うと怖くてラジエルの顔が見られない。痛い程の視線を注がれているのが居心地悪くて、膝の上で拳を握った。

「……マジで付き合ってんの? …あ、じゃあ男ってのは冗談?」

「こいつが男なのは本当だけど、別にいーだろ。何か問題でもあんの?」

強気な態度を崩さないベルフェゴールに耐えられなくなって流石に注意をしようとした時、其れよりも先にラジエルが口を開いた。

「…そんなのありかよ。だったらオレがその子と付き合いたいんだけど」

「は?」

思わず素っ頓狂な声が漏れ、隣のベルフェゴールも同じように固まる。
当のラジエルは悪戯が成功した子供のようにニヤニヤと笑っていた。

「……ってのは冗談だけど。そういやフランって歳いくつ?」

「……てめー」

「…今年で18になりますー。高校が近い所にあって、」

「高三!? ……ベル、お前…」

「……なんだよ、文句あんのかよ。大して変わんねーじゃん」

「いや、結構離れてるだろ。精神年齢的には同じくらいだろうけど」

「確かにそうですねー」

「お前ら…!」

ぴきぴきと青筋を立てそうな勢いで、いよいよベルフェゴールの機嫌が怪しくなってくる。

先程から会話を聞いていてうっすらと思ってはいたが、この双子は兄弟だというのにやけに関係がギスギスしているような気がする。
特にベルフェゴールからラジエルに向ける声にはチクチクとした棘があって、兄の事をあまり快く思っていないように感じた。
何処かの財閥のお坊っちゃま、と噂されているベルフェゴールが実家を飛び出して独り暮らしをしていたことも、もしかしたらラジエルとの不仲が影響しているのかもしれない。

今すぐにでもラジエルを追い出しそうな気配を漂わせていたベルフェゴールだったが、テーブルに置かれた携帯電話が鳴り響いた所為で其の意識は殺がれることになった。

誰だよ、と訝しげにぼやきながら携帯を手に取り、液晶画面を見た瞬間にゲッ!と苦々しく声を漏らした。

「どうしたんですかー?」

「……上司から電話。こいつ声でかくて煩いから嫌なんだよね」

渋々と言った様子でベルフェゴールが通話ボタンを押した瞬間、電話口から響く男の声。

「あ?なに、何の用? …始末書なんて知らねーよ、先週だろ? あれはオカマの担当で…、……はぁ? だから違…、…だから!家だから!無理だって!」

「……さっき上司って言ってなかったっけ?」

「…ですよねー。上司に対する口調じゃないんですけどー」

「しかもオカマの担当ってなに? あいつ何の仕事してんの? …まさかゲイバー?」

「いや…さすがにそれはないと思うんですけど、ミーもベルセンパイの仕事先のことはよく知らなくて…」

「……っせぇ! でけー声出すな! …だから休み…、…チッ、わーかったっての、取りに行きゃあいいんだろ!」

イライラした様子で電話を切り、どっと疲れたように頭を擡げる其の人。

「…大丈夫でしたかー?」

「……いや、ちょっと出掛けてくる」

「えっ、今からですかー?」

「あぁ、でも物を取りに行くだけだから。すぐ戻る」

此方が状況を把握する前に、ベルフェゴールは慌ただしい動きで出掛ける準備を始める。
内容はよく分からないが、きっと大事な仕事の用事なのだろう。ベルフェゴールのジャケットを用意して玄関まで見送りに行けば、さんきゅ、と礼を言いながら額にキスをされた。
彼からすればただの挨拶なのに自分は矢張り慣れなくて、一瞬の内に顔が熱くなってしまう。

「…行ってらっしゃーい」

「ん、行ってくる。…あぁ、それとジル」

「なに?」

「フランにちょっかい出したら殺すから」

「ちょっと…何言ってるんですかー」

「はいはい、ガキみてぇなこと言ってないでさっさと行けよ」

しっしっ、と煙たそうに手の甲で追い払う仕草を見せるラジエルに舌打ちをして、ばたばたと忙しくベルフェゴールは玄関を飛び出して行った。


彼がいなくなった途端、まるで嵐が過ぎ去った後のように部屋がしんと静まり返る。
リビングへ戻ればラジエルが既製品の揚げ物を不味そうに咀嚼していた。

「…すみませんー、せっかく来てくれたのにそんなのしか出せなくて」

「フランが謝ることじゃねえだろ。これ用意したのベルだしな」

これがもしもベルフェゴールだったら、気に入らない物は意地でも食べないだろうなと思う。
見た目は似ているけど、そういう細かい所で矢張り彼とは違う人なのだと再認識する。

「…座ったら?」

「あ、…はいー」

ぼうっと立ち尽くしていた此方を気遣ってか、ラジエルが声を掛けて促してくる。
先程会ったばかりの人と二人きりになってしまった。特に人見知りという訳ではないが、仲介役のベルフェゴールがいなくなるとどう接したらいいのか分からない。
何か話題はないだろうか、と頭の中で考えを練っていると先にラジエルが口を開いた。

「なぁ、いつから一緒に住んでんの?」

「…えーと、今年に入った辺りからですかねー。住み始めてからまだ一年も経ってないと思いますー」

「親は平気なの? まだ高校生なのに」

「あー…中学までは祖母の所にいたんですけど、高校に入ってからは寮住みだったんでー」

今から丁度二年前、高校一年の頃に働き始めたバイト先で彼と出会った時のことを思い出す。
其の時はまさか、ベルフェゴールから猛アタックを受けて同棲するまでに至るとは夢にも思わなかった。

「寮住みだと金掛かるからな。ベルの所に来た方が楽か」

「そうですねー。…一緒に住もうってあまりにもしつこくて、根負けした所もあるんですけどー」

「そっか。で、どこまで進んだの?」

「……どさくさに紛れてセクハラはやめてくださいー」

「口滑らせると思ったんだけどなぁ」

茶化すような口調で下の話をし出すラジエルに呆れた既視感を覚える。親や兄弟は嫌な所ばかり似るというのは強ち間違いではないらしい。

其れにしても先程からこの人は、男同士で付き合ってる自分等をあっさりと受け入れているようで不思議に思う。気持ちが悪いと引くわけでも、あまり触れてはいけないと臆するわけでもなく、何だか此方が拍子抜けしてしまう。

「…あまり、驚かないんですねー」

「なにが?」

「ミーとベルセンパイが…その、付き合ってることとか…」

「…よく見りゃ分からないこともないからな。フラン、可愛いし」

「は?」

「アイツが囲いたくなるのも、分かる」

冗談を口にするというよりかは、己の言葉を噛み締めて納得するような物言いで。
此方の反応を観察するようにじっと見つめながらそんな事を言われると、どう返せばいいのか分からず怯んでしまう。

射貫くような視線に臆した侭固まっていると、何を思ったのか食べ掛けの弁当を放棄したラジエルが此方のソファにやって来る。
真隣に腰掛けたかと思えば徐に自分の携帯電話を取り出した。

「連絡先教えて」

「……急に、どうしたんですかー」

「んー、フランに興味が出てきた」

携帯を操作しながら何となしにそう言われて、どういう意味なのかとラジエルの横顔を見つめるが肝心の真意が読み取れない。
視線を感じて振り向いた其の人は、此方の訝しげな表情を見て薄く笑った。

「教えてくれないの?」

「…多分ベルセンパイが知ったら怒ると思うんでー」

「連絡先ぐらい平気だろ?」

「あの人、恐ろしく嫉妬深いんで駄目ですよー」

「じゃあベルには内緒で」

「…いや、内緒にすると後が怖いですしー」

「言わなきゃバレないから大丈夫だって」

「だから、あの…」

断ってもぐいぐい来る其の人にたじろいで言い淀むと、不意に髪を掬われて当惑した。

「なん、ですか」

「フランって、甘いもの好き?」

「…なんでそんなこと、聞くんですかー?」

「良い店知ってるから。今度行かない?」

「だったら、ベルセンパイも一緒に…」

「オレはフランと二人だけで行きたいんだけど」

会話のペースがすっかりラジエルの勢いに押され、心做しか距離も迫っているような気がする。
目の前の其の人が発する空気に得体の知れない警戒心を抱いて、後退するように身を引いた所で腰を抱き寄せられた。

「……触らないでくださいー」

「照れてんの? かーわいい」

「…あのですねー、いくらお兄さんでもこういうことされると困るんでいい加減に…、っ」

話の途中で、ぐっ、突然強い力で肩を押されたかと思えば視界がぐるりと反転する。
一体、何が起こったのか。咄嗟に理解出来ず、真っ白な天井と此方を見下ろすラジエルを視界に捕らえてから漸く事態が把握できた。

翡翠色の髪を恭しく耳に掛けられ、内緒話でもするかのように艶を孕んだ声色で耳元に囁かれる。

「フラン、さ。いつもはどうやってベルに可愛がられてんの?」

「な…っなに、言って…」

「まだ未成年だからって、アイツが律儀に待つわけねぇしな」

くつくつと喉を鳴らして笑むラジエルの纏う雰囲気が、先程とは違い猛禽類を思わせる物に変化していて一抹の恐怖を感じた。
仰向けの身体に覆い被さり、嬲るような手付きで腰辺りを撫でられると嫌な予感が現実味を帯びて背筋が凍り付いていく。
眼前に迫るラジエルに己の中の防衛本能が警笛を鳴らし始め、ぼんやりしている場合ではない、と全身に力を入れて抜け出そうともがくが、そんな此方の抵抗すらも微笑ましいと嘲笑うように鼻歌を刻むようにしてあっさりと手首を一纏めに拘束されてしまった。
ふ、と耳に掛けられた生温い吐息にぞくりと粟立ち、逃げ場のない焦燥感で心臓がばくばくと嫌な音を立てる。

「い、や…っ冗談、やめて、くだ、さ…」

「どうせベルは暫く帰って来ないだろうし、今日はオレの相手してよ」

身動きの出来ない状態で覆い被さられ、顕になった耳朶を食むようにして甘噛みされると思わず肩が震えた。渾身の力を振り絞って身を捩っても、体重を掛けて押さえ付けられた身体はびくともしなくて。
直ぐに戻る、とベルフェゴールは言っていたが、もしかしたら仕事の内容で長引く可能性もあるだろう。分かっていても、早く帰ってきてと祈る事しか出来ない自分が情けなかった。
薄いシャツの裾から滑り込んできた手に成す総べもなく、怯えるように身を強張らせる。

「や、やめ…てくださ…」

「恥ずかしい? 肌、赤くなってる」

「…っひ、ぅ…」

細い身体のラインをなぞるように掌が蠢き這い、ぞくぞくと身震いを起こす。浅く上下を繰り返す薄い胸板の中心を指先が掠めた瞬間、意思とは関係なく腰が震えた。
ぴんと張り詰めて赤らんだ突起を指先で捏ね繰り回されると、噛み締めた唇の隙間からどうしても甘い吐息が漏れてしまう。
密事の始まりを思い出させるような胸への愛撫はベルフェゴールから教えて貰ったものなのに。擽ったいような切ない気持ちになる此の感覚は知っているけど、其れがラジエルから与えられている悦楽だとは認めたくなくて顔を逸らした。
欲していた反応に気を良くしたのか、肌蹴たシャツを捲り上げたラジエルが桃色に腫れた胸の飾りにねっとりと舌を這わせてくる。

「…っや、ぁっ…」

「……可愛いなぁフラン。アイツには勿体無いくらい」

「ぁ…っやだ、せ、ぱい…べるせん、ぱい…っ」

「…だからベルはこねぇって」

届かない悲痛な叫びを聞いて愉しげに笑い、指先で顎を掬うと奪うようにして唇を重ねてきた。
侵入してきた舌に口内を荒らされきつく吸い上げられると、どちらの物かも分からない唾液が細い線を描いて顎を伝う。舌を噛んでやろうと口を動かすが上手くいかなくて、逃げ場のない焦りから頭の中がぐるぐると散漫した。
酸素の欠乏によりじんじんと朧気になり始めた頃合いに漸く唇が解放されて、大きく息を吸い込む。

「っは、ぁ…っ、あ」

「……どーしたのフラン。気持ちよくなってきちゃった?」

「っう、ぁあ…っ」

キスをされてぼんやりしていると、膝頭で敏感な箇所を押し上げられて喉元を反り返らせた。ぐりぐりと攻め立てられる内に根本から熱が集まってきて、脚を閉じることも許されず与えられる刺激に身悶えるしかない。
柔く歯を立てながら胸に吸い付かれるとぴりりとむず痒い電流が背筋を這い上がってきて、じわりと双眼に涙が浮かんだ。

「…ひ、っあ、やだぁー…っ」

「……ししっ、カワイー」

違う。胸を這う掌の感触も、触れ方も、鼻孔を擽る香水の匂いも。何もかもがあの人と違うのに、浅ましく反応を示してしまう自分自身に嫌悪感を抱く。
嫌々と頭を振って拒絶の意を示してみても、寧ろ相手を喜ばすだけなのだと分かっているのに。

中途半端に熱を帯びた下半身に降りてきた手が下着の中にまで伸びてきて、無駄だと分かっていながらもじたばたと抵抗する。
ラジエルから漂う雄の匂いがもう目前にまで迫っており、もう駄目だ、と視界が滲んだ其の時。

何やら遠くから物音が聞こえたような気がした。


「……あれ? …早くね?」

「っな…に、やってんだよ…っ!」

強く願った事が遂に幻になったのか。
突然、目の前に現れたベルフェゴールを見ても現実味がなくて、他人事のようにそんなことを考えてしまう。


リビングに入ると直ぐにソファーで揉みくちゃになっている二人を視界に捕らえ、状況を理解した瞬間、ベルフェゴールの中でぷつりと何かが途絶れる音がした。
荒々しく詰め寄り、フランの上に跨るラジエルの胸倉を掴んで容赦なく床に引き摺り降ろせば、声を震わせて縋り付いて来るフランを抱き締めた。

肌蹴たシャツから覗く胸板はほんのりと朱色に染まって浅い呼吸を繰り返しており、白く柔らかな太腿が惜しげもなく露出されているのを見て眩暈を覚える。
フランが自分以外の男に暴かれ、汚い欲を向けられたという事実にぐつぐつと腸が煮え繰り返るような怒りが込み上げた。

「……ってーな…」

片手で頭を抑え、床に座り込んだ侭上体を起こしたラジエルの声には苛つきを含んだような色が窺えた。

「……てめぇ、自分が何したかわかってんのかよ。フランに手ぇ出したら殺すって言ったよな?」

「…ちょっとふざけてただけだろ。そんなキレんなって」

悪びれる様子もなくへらっと薄く笑うラジエルに怒りを逆撫でされ、ぶん殴ってやろうと立ち上がりかけた時、しがみついてきたか細い腕に動きを止めた。

「……フラン」

「…も、いいです、から…」

「…………」

平静を装っていても声はまだ震えていて、其の痛々しい姿に何も言えず押し黙ってしまう。
報復よりも今すぐ去って欲しいとフランが願うなら仕方がない。殺してやりたいくらいに燃え盛っていた怒りを抑え、憎き兄をねめつけるように玄関の方角を示唆した。

「出てけよ、二度と来んな」

「わーかったって。もうお前には会いに来ねーよ」

フランは別だと暗に言っているような言葉が引っ掛かったが、釣られるのは時間の無駄だとぐっと堪えて渋々と退散するラジエルを見送った。

出て行く背中を確認して振り返れば、唖然としたようにぼんやりと放心するフランがいて。此方に気付くと気まずそうに目線を落とした。
同じソファーに腰掛けて頭を抱き抱えると、息を詰まらせたような気配と共に身を委ねてくる。

「……大丈夫か?」

「……はい」

「…お前とアイツを二人きりにしたオレがバカだった」

昔からとことん気が合わず喧嘩の絶えなかった兄だが、何故か異性の趣味だけは被ることが多く、其れが更に兄弟間でギスギスとした関係を作り上げる原因になっていた。
フランは男だから、流石のラジエルも手は出して来ないだろうと高を括っていたのが間違いだった。此処まで来ても血は争えないのだと分かって頭が痛くなる。

「……ごめん、なさい」

「…なんで謝んの?」

「……他の人に、触られて…怒って、ますか」

「……フランには怒ってねーよ」

上司からの呼び出しが結局手違いだと分かり、早い段階で自宅に帰されて本当に良かったと心の底から思う。もしも後数十分でも遅れていたら、取り返しの付かない事になっていた筈だ。

「……どこ触られた?」

「…え、と…」

「ここは? こっちも?」

「っ…、」

「胸だけ? 下は?」

「っ…う、…」

「………わかった、全部な」

思い出したように肌を赤らめて自分の身体を抱き締めるフランを見て、沸々と湧き出た嫉妬が火の粉を散らす程に熱量を増して狂いそうになる。

小柄な身体をひょいと抱き上げれば慌てたようにしがみつき、何事かと困惑した様子で此方を見上げてきた。

「あの…どこ、に…」

「菌がついたから、消毒」

「…消毒、って」

「……全身、上書きしてやんねーと気が済まねぇ」

後半は独り言のつもりだったが、どうやらフランには聞こえていたようで。呟いた言葉に瞳を丸くさせて、其の意味に気付いた途端に顔を赤らめて見せた。
ぎゅ、と肩に回された腕を解いて抱えた身体を寝台へ降ろせば、行き場を失って彷徨う手の甲を取って噛り付く。

「……忘れろよ、全部。オレ以外の男なんて許さねーからな」

フランの中で燻る感情の矛先が、自分以外に向いているだなんて有り得ない。
恋人への止まらない嫉妬を持て余し、見覚えのない印を掻き消すように喉元に噛み付いた。


蜜月を狙う狼




20160306


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