short | ナノ

 


身動ぎをする度にゆっくりと円を描き、乳白色の水面(みなも)が波紋を広げる。

細かい雨粒が絶え間なく降り頻るような音が聞こえてくるのは、ベルフェゴールが髪を洗っているからだろう。何時もの金糸が真っ白な泡に塗(まみ)れていくのを見つめながら、じんわりと浸透していくような心地良さに瞼を閉じる。
裸体を包む温かな水面下が、身体の内側から緊張を和らげていくようだった。

ぷかぷかと湯船を彷徨いながら、時折目の前を通過する玩具に気づいて、思わず口許が緩む。
ミルク色の波間を漂っていたアヒルとカエルが、こつりとぶつかって離れた。




自室のシャワーが不調である事に気がついたのは、ほんの数十分前の出来事だった。
何度捻ってもちょろちょろとやる気のない量の水が出るばかりで、昨日までは正常だったのに、と首を傾げる他ない。直属の上司の顔を思い返しながら、膨大な施設完備を豪語しているくせにと、ひっそり毒づいた。
明日には修理を頼むか何とかしてもらおうと決め、仕方なしに着替えを用意する。
今日の所はひとまずベルフェゴールにバスルームを貸してもらうしかないと思い、自室を後にした。

「は? 壊れた?」

が、どうやらタイミングが悪かったらしく、フランが求めて訪ねた先には、着ていたシャツを放り投げて今にも入浴せんとしているベルフェゴールの姿があった。

「あー…、そうですー。なので、センパイ浴び終わったら次貸してくださ…」

「…ふーん。ま、いいや。どうせだから一緒に入れば」

「え」

然も当然だと言わんばかりに発せられた言葉に遅れを取り、返事を返す間もなく手首を捕られる。二人で入る必要は、と言いかけて、効率悪いし待つの面倒だろ、と否応なく引き摺られるようにしてバスルームに連れて行かれた。

確かに、幹部の部屋に設置されているバスルームは二人で入っても支障はないくらいに広いものだし、ベルフェゴールの言い分は最もなのだけれど。
男同士であるから共に入浴することに抵抗はなくとも、其れが恋仲となると事情は少し変わってくるわけで。
何となく、其処まで深い意味はないのだけれど。数ある入浴剤の中から身体の透けない物をこっそりと選び、フランはベルフェゴールの後を追ってバスルームに入ったのだった。



ぴちょん、と雫の落ちる音にはっとすれば、何時の間にかシャワーが止まっている事に気がつく。
顔を上げた先で、雑な動作で髪を拭きながらバスタブに向かってきたベルフェゴールと目が合った。
水に濡れて撓った金髪が、暖色の照明に照らされてきらきらと煌めいている様子を惚けたように見つめていれば、近づいたベルフェゴールが湯船に浮かんだ玩具を見て笑い声を漏らした。

「ししっ、ガキみてぇ」

「っ…ガキとはなんですかー、大体これはセンパイがミーに押し付けたんじゃないですかー」

波間を泳ぐアヒルとカエルの玩具は、事実ベルフェゴールがふざけてフランに送りつけてきたものだった。お子ちゃまはコレで遊んでな、と言ったくせに、気を遣わせて泳がせてみればガキみたいだと笑われる。

小馬鹿にされたような物言いにむっとしていると、軽口を叩きながらベルフェゴールがバスタブに入ってくる。二人が入浴した分お湯が溢れ、水面を漂っていた玩具まで流れてしまいそうになる。
肩まで深く湯船に浸かり、あ"ー、と隣の其の人が腑抜けたような声を漏らした。

「ジジくさいですー」

「…うっせー、ガキ」

「……ガキじゃないんですけどー」

しつこく子供扱いされ、先程感じた不満が更に募る。確かに彼からしてみれば自分は子供かもしれないが、年齢だけを見れば立派な青年である筈なのに。…アルコールが、まだ飲める歳ではないにしろ。

とぷん、と顔の半分を沈めた反動で気泡が上がり、外気から逃げた肌にじんわりと熱が馴染む。個室に充満した水蒸気が白く舞い上がれば、熱した空気に溶けて穏やかな空間に瞼が重くなった。
たった今蓄積したばかりの不満が湯に溶け出し、心身共に緩和されていくような気がして。
うっかりすれば寝に落ちてしまいそうな心地良さに、開いていた瞳をそっと閉ざした。



バスタブの縁に背を預けたベルフェゴールの正面には、此方からそっぽを向いて湯に浸かるフランがいる。先程からゆっくりとした瞬きを何度も繰り返しているので、微睡んでいるのだと思った。
立ち上る熱気に紛れ、濡れ細った翡翠の毛先が乳白色の水面と接している。エメラルドに滴る睫がふるりと揺れて下を向き、上気した頬と相対して透き通るような肌理が人形のようだと感じた。
一見女のような中性的な顔立ちであっても、白い水面から覗く華奢な肩はどことなく骨張っていて、矢張り此奴も同じ性なのだと改めて感じる。
自分が同性の身体に欲情するなんてことは考えられないが、真っ白に濁った入浴剤に隠された裸体がフランのものだと思うと、其れが女体であろうが男体であろうが関係なしに惜しくなる。そして此方の不埒な視線を遮る水面に対して不平まで込み上げる始末。

そう言えば入浴剤を選んだのはフランだったな、と思い出せば、変な所でオレの目を気にする此奴だから、そんな可能性も考慮していたのかとも考えられて。
確かに其の見解は正しかったとは思うが、全てが見えてしまうよりも、隠された部分に想像力は掻き立てられるという事を知らないのだろうか。
全く此奴も同じ男であるくせに何も分かっていない。本当に、何も。

うとうとと無防備な幼顔を晒す其奴に対して湧き上がってきた感情が、静かに音を立てて沸騰していくような気がした。





ぱしゃり、と水面が暴れる音がして、はっと瞳を開く。
一瞬、記憶が飛んだような気がしたが、どうやらあまりの心地良さに微睡んでしまっていたらしい。

ぱちぱちと瞬きを数回行い、ぼんやりとした頭を叩き起こせば、其れよりも先程目を覚ました正体は何だったのかと周りを見渡そうとした矢先。
気配なく後方から伸びてきた二本の腕が、乳白色に隠れた中でぬるりと身体に巻きついてきて。反射的にびくりと肩を揺らして驚くと後ろから聞き慣れた笑い声が降ってきた。

「…な、んですか… 脅かさないでくださいよー」

「お前がとろとろ寝かけてるからだろ。オレと風呂入ってるってのに」

意味分かんないです、と愚痴ろうとしたが、其れよりも先に後ろから抱き寄せられて思わず口を噤む。
何時の間にか腰に巻きついた腕が、しっかりと此方の身体を固定してくるものだから。身を捩って脱出を試みるが、其れに気づいたベルフェゴールは更に抱き締める力を強めてくるばかりで。
無駄な抵抗だと思い、仕方なく身を預けて大人しくなれば、濡れた髪にキスをされたような気がして思わず俯いた。


ぴちょん、ぴちょん、と頭上から落ちてくる雫の音だけが、静かなバスルームに響いている。
黙り込んだ侭のベルフェゴールに気まずさを感じても、抱き締められている所為でバスタブから出る事も出来ず、湯船の中で膝を抱えた。
白濁とした水面(みなも)に広がる波紋と共に体温が上がり、次第にじわじわと頬の中心に熱が集まってくる。ぴったりと背中に密着した肌と肌の感触が暑くて、逆上せているわけでもないのに心臓がどきどきと高鳴り、不意に、胸の突起を掠めた指先に息を詰めた。

「……っ」

そっと柔らかく円を描くように、指の腹で触れてきた其れが、突起を啄むようにくるりと愛撫する。
直ぐさま故意であると判断して、胸を弄(まさぐ)る手を掴んだものの、逆に手首を捕らわれてきつく身体を拘束され、たまらず身を捩れば後方から掛けられた吐息が耳を擽った。

「っ…ちょっ、と…」

「ん?」

態とらしくとぼけたような声色が聞こえ、ふ、と後ろ耳にかかった暖かな吐息に沸々と鳥肌が立つ。
逃(のが)れる事も出来ず裸体を抱えて身を縮めれば、其の様子にベルフェゴールが小さく笑った気がして。ぎゅっときつく瞳を瞑れば薄く平らな胸に掌が這った。
柔らかな丸みも帯びていない、つまらない胸なのに、指先は壊れ物を扱うかのように優しく愛でてくるものだから。泣きたくなる衝動を堪えて、くりくりと小さく囲うように突起を弾かれれば、幾度となく触れられた其処は直ぐに固さを持って主張した。

これだけの事で律儀に感じてしまっている己の身体が浅ましくて、擽ったいようなもどかしいような刺激に肩を震わせば、不意に耳を甘噛みされて可笑しな声が漏れる。

「ふ、ぁ…っん」

慌てて唇を引き締めても、意味がなくて。からかうように胸の突起を捏ねてくる手から逃れようと身を捻っても、ぱしゃぱしゃと水面が虚しく暴れるだけだった。
意思とは関係なく、とくとくと波打つ心音と共に、頭の中がショートしたかのように熱くなる。実際、少し逆上せている気がして、恥じらった仕草で赤く火照った頬を隠すように俯けば、胸を弄るベルフェゴールが小さく息を吐いたような気配がした。

「…さっき、散々お前のことガキって言ったけどさ」

「…っ、え…?」

「そのガキに盛ってるオレも大概だよな」

そう言って自嘲気味たように笑った其の人が、まぁ全部お前が悪いんだけど、となすりつけたような調子で勝手なことを口にする。ミーが何をしたって言うんですか、と尻すぼみに呟こうとした所で、徐に閉じた太腿の間に大きな掌が滑り込んできた。
此の侭では只でさえ火照った頬が更に過熱してしまうのが目に見えたから、ふるふると頭(かぶり)を振って身を縮めた。

「…どした?」

「……ぁ、暑い、です…っあの、もう、出ましょう」

「もう? …ししっ、本当だ。真っ赤っか」

隠したつもりが直ぐにばれてしまい、恥ずかしさに下を向く。
後ろから回されていた腕の力が緩み、やっと解放されたと思った矢先に身体を包まれる感触がした。

「っわ…ぁ、え?」

「確かにこのまんまじゃ、お前ぶっ倒れそうだもんな」

ザバァ、と重力に倣い、勢いよく落ちる湯を其の侭に、フランを横に抱いてベルフェゴールはバスタブから立ち上がる。
慌てて脚をばたつかせれば、落とすぞ、と脅されて、思わずベルフェゴールにしがみついてしまう。条件反射だったのに、抱き上げた其の人にくすりと笑われた気がした。
一方的にベルフェゴールのペースに呑まれているのが何だか悔しくて、早く出てください暑いんです、と不満を垂れたような口調で返せば、再び聞き慣れた笑い声が落ちてくる。

「そんなに慌てなくても、上がったらちゃんと可愛がってやるから」

してやったりと宣言された言葉に顔が熱くなり、何か悪態を吐こうと考えても何も言い返せなくて。
其れでも中途半端に与えられた熱の所為で、じくじくと催促するように燻ぶる裸体が疼いているのは明らかだったから。

口惜しい気持ちを堪えて赤らめた頬を隠すように、勝手にしてください、とごねながら目の前の胸板に頭を擦り付けた。







20130822


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