数年後、任務先で
名前が里を出てから数年、俺は変わらず忙しく過ごしていた。
里に住む俺と、遠くのどこかの町で住む名前。当たり前ながら、お互いがどうしているかなんて知らないままだった。
それでも、俺の心の中にはずっと名前がいた。
そんな毎日の中、里を離れてある街の偵察をしていた。
その街は、大名筋の貴族や金持ちが多く住む街で隠れ里のように強固なセキュリティに覆われていた。警備は忍ではなく、侍が行っていたよ。
ツーマンセルを組んだ俺と部下は、商人の振りをしてその街に侵入した。
「うわあ、どこも豪邸だ。大通りは高級店だらけだ。どれも立派ですね。この街なら俺も逆玉の輿狙えますかね」
「何言ってんの」
「先輩はいいですよね、顔も良くて、実力もあって、人望もあって、美人捕まえましょうよ。俺も可愛い子探すんで」
「お前は相変わらずだな。任務に集中しろ」
「はい、すいません」
街は調べても至って平和だった。だから、後輩も気が緩んでいたし、俺も白なのではないかと踏んでいた。
あと少し調べたら、里に帰ろうと決めていた。
ふと、女性2人の会話が耳に入ったんだ。
「あそこの看板娘さん、聞いた?」
「ええ、知ってる」
「お店も繁盛する訳よ」
「美人は違うわね」
何の話かはさっぱり分からなかったが、どうしても耳に残っていてね。俺は休みの日に、会話で聞きかじった店の名前を探して行ってみたんだ。
その店は、洋菓子店で覗くとショーケースの傍らに中年の女性が立っていた。人の良さそうな色白でふくよかなその女性は、店の外にいる俺を見つけてドアを開けてきた。
「あら、お兄さん。男でもケーキは買っていいのよ」
「あ、いや」
どうやら、俺は恥ずかしがっていると思われたらしい。
かと言って美人を見に来たとも言えずに、店員に勧められるがままに買わされようとしていた。その時だった。後ろから若い女性の声がした。
「ただ今戻りました」
「おかえりなさい。寒かったでしょう、奥で暖まってから交代してくれればいいわよ」
「ありがとうございます。いつも本当に優しくして下さって」
「うちの看板娘に風邪を引かせたら、信用問題に関わるから」
大袈裟なんだから、クスクス笑う声に俺は思わず振り向いた。聞き覚えのある優しい笑い声。
そう、名前だったんだよ。
信じられなかったね。どこに住んでるかなんて、俺ならすぐに調べられるけど知ってしまったら必ず追い掛けると思っていた。だから、わざと知らないようにしていた。それなのに、目の前にいる。
何が起きてるのか分からなくて、名前を呼んでしまいそうになったよ。今すぐにでも名前を呼びたかった。
しかし、名前は俺の素顔を知らない。俺のことをタダの客と思ったんだろう、俺に会釈をして店の奥に入って行った。
え?そりゃ、前よりも可愛く綺麗になっていたよ。母さんはずっと綺麗だよ。
「美人でしょう?」
名前の後ろ姿をずっと追っていた俺に、女性はニヤニヤと笑いかける。
「そう、ですね」
「あの子のお陰で、うちは客が絶えないのよ。なんてね」
もちろん美味しいからよと言われ、俺は半ば無理やりケーキを買わされてその店を出た。
それから、俺は度々店を訪れては菓子を買うようになった。名前がいる時は、勇気を出して数言交わして俺は幸せを噛み締めていたよ。勿論、菓子は部下に食べさせていた。
え?そんだけって?大丈夫、流石に俺もそこまで奥手じゃないさ。まあ、大人しく話を聞いてなさい。
「あの、店員さん」
「はい」
「……仕事の後、時間はありますか?」
「え?」
名前は、愛らしい瞳を丸くさせてから、周りをキョロキョロと見渡した。そして、小さく頷いてくれたんだ。
「はい」
「良かった」
名前の耳の先が赤くなっていて、俺の胸を擽ったよ。本当に可愛いなってね。
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