人形姫・05




3日ぶりの帰宅。
玄関をあければ、名前と自分の匂いが混ざったいつもの家の匂いがした。

ひとまず服を脱いで、洗濯機を回し、自分もシャワーを浴びる。3日もろくに風呂に入っていないせいで、シャンプーは1度目では上手く泡立たず2度目でやっと洗うのに十分な泡立ちを確保できた。
シャカシャカと皮脂を落とすように頭皮を揉みほぐす。
旅行から帰って、一緒に風呂に入った時にカカシの髪の洗い方が雑だと言って、名前が丁寧にシャンプーをしてくれた。それ以来、名前のやり方を真似て洗うようになったが、あの時ほど気持ち良くできない。目が覚めたらコツを聞かなきゃな、と決めた。

ひとまず全身を洗い終えて、濡れた髪のままリビングに立つ。家を出る前に名前が読んでいたのだろう、テーブルの上に本が伏せられて置いてあった。
冷蔵庫を開けると、名前が作ってくれた作り置きのおかずがタッパーに入っていた。胃は空っぽだったが、食欲なんてとてもなかった。しかし、それ以上に名前が作った料理が無駄になる方が辛かった。

食器乾燥機から箸を取り出し、口にしてみれば、いつもの味がして涙が出そうだ。胸に空いた穴から漏れ出てしまったエネルギーが補充されて行く感覚と同時に、もしかしたらもう二度とこの料理を食べられないのではないかと決して受け止められない現実がカカシを襲った。
カカシは現実から目を瞑って夢中で箸を進め、あっという間に平らげる。きっと他の人の料理だったら、こうはいかなかっただろう
とは言え、胃が少し満たされてカカシは少し落ち着いた。綱手の言う通り、このまま落ち込んでいてもどうにもならない。
名前のことを思うなら、悲しむよりも、守ることに専念しよう。そうしなければ、自らを保つことさえも出来ない気がした。

何かをしよう、何か手を動かして、何も考えないように。

家の空気を入れ替えて、簡単に掃除をすることにした。
ふと、まだ上半身に何も身に着けず髪も濡れているのに気付いて、自分がいかに名前のことになると周りが見えなくなるのかを今になって実感する。そもそも掃除なんてしている場合じゃない。この瞬間も、名前体は必死に生き延びようとしているのだ。

やっぱり、とにかく、早く病院に戻ろう。

服を着てから、名前の着替えを旅行の時に使っていたカバンに詰め込んだ。入院は慣れているが、人の入院の世話をしたことはない。何をどうすれば良いのか全くわからない。ましてや、名前は意識不明の状態だ。
下着と寝間着、それから……。自分が入院していた時を思い出しながら、カカシは荷物を詰めていく。
早く名前の元へ戻らなければ、焦る気持ちを抑えることが出来ずに、やっと詰め終えたカバンの中はグチャグチャだった。
それでもいい、ファスナーを閉めて、カバンを持って家を出た。病院までの最短ルートを駆け抜けて行く。名前の料理のお陰で栄養が補給されたのか、さっきよりも少し体が軽くなっていた。

名前の病室は、目立たない奥まった所にあった。
暗部の見張りはカカシに頭を下げて、病室に入れるように道を開けた。

「ありがと」

カカシは名前を守ってくれる感謝を込めて、暗部の肩をポンと叩いて病室に入る。

変わらず名前は目を閉じたままだった。

「戻ったよ」

名前にキスをして、ベッドのすぐ横にあるチェストに着替えをしまいこんだ。今度は皺がつかないように丁寧に畳み直した。
ベッドサイドに椅子を置いて、再びカカシは名前の手を握る。冷たく小さな手を握りながら、これからどうして行こうかと考えていた。自分がどんなに考えたところで、綱手に依る所しかないのだけれど。何か考えていなければ。

ふと、気配を感じて振り向けば、綱手が立っていた。カカシは手を握ったまま立ち上がる。

「気にするな、座れ」

顎で示され、カカシは頭を下げて椅子に腰を下ろした。

「治療は続ける、だがな、私では治せそうにない」

カカシの肩がビクリと跳ねた。名前のことになると、本当に分かりやすい奴だと綱手は思った。

「肉体は私が治す、名前に生きる希望を再び戻してあげてくれ。それが出来る人間は、私はひとりしか知らないないな」

お前だ、カカシ。そう言って綱手は、まばゆく光る手のひらで名前の額に触れながら、ベッドに浅く腰掛けた。

「カカシ、悪いがお前が帰宅している間に、いのいちが名前の頭の中を調べさせて貰った。記憶の多くがボロボロにされて、見るも無残な状況だったらしい」
「名前が……」
「だがな、ひとつだけ綺麗な記憶が残っていた。それはな、カカシ、お前の記憶だよ」

綱手は名前を優しい眼差しで見つめた。

「生きる希望を失しても、カカシのことは手放せなかったんだな」
「綱手様……俺はどうすれば……」
「こんなの初めてでな、私にも分からん。だがな、お前なら分かる筈だ。お前達の仲の良さは、名前を見ているだけで伝わって来るからな」

お前を信じてるよ、綱手は笑った。

「まずは、ちゃんと眠れ。どうせ家で寝られないだろ。毛布も持ってきてやったよ」
「ありがとうございます」
「礼を言うのは早い。しっかり休んで、今は名前のことに専念しろ」

綱手が去った後、カカシは名前の布団を少し捲り、僅かな隙間に潜り込んだ。布団が掛からない所に、綱手が持ってきてくれた毛布を掛けた。名前の首の下に自分の腕を回して引き寄せた。名前の体は、まるで本当の人形のように力なくカカシが少し腕を動かしただけでコテンと頭が転がった。

名前の体からは、花のような香りが漂う。
それは香水をつけているからだと最初は思っていたが、生まれつきのものだと教えて貰った時には驚いた。人より鼻が利く分、数多くの他人の匂いが記憶にストックされているが、名前のような芳香は知らなかった。それは違う世界の人間だからか、もしくは名前が特別な存在だからだとカカシは勝手に結論付けた。
鼻から息を吸い込めば、変わらず花の香りを漂わせていて、カカシの胸をいっぱいにさせた。名前が生きていてくれる、今はそれが何よりの希望だ。

今はどんな夢を見ているの?その夢に俺は出てきている?

名前の腕に刺さった点滴が抜けないように気を付けながら、少し細くなった体を抱きしめた。


ー49ー

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